2017年10月15日日曜日

1939  新樹の言葉  太宰治

 太宰シリーズが続きます。


 太宰が甲府に行った時に、疎遠になっていた乳母の息子と偶然に再会するという短編。


 おそらく事実にかなり基づいている系の半ドキュメンタリー的な小説、全部作り話だったらあまりにもリアルすぎます。

 こういう自分の人生を切り売りする、っていうのが太宰治のスタイルなわけで、いわゆる「私小説」なるジャンルで呼ばれるものです。

 多少脚色してるんでしょうけどね、実体験に脚色して創作するっていうのが私小説ならすべての小説は私小説なんでしょうけど。その中でも、暴露というか露悪、みたいなのが私小説なんじゃないかしら。

 ロマン主義とか、物語イズム、みたいなのから写実主義、リアリズムというのが生まれて、さらにそれを突き詰めて実体験を述べるということになったわけですが、これは面白い体験をしなくちゃどうしようもないわけで、太宰治みたいに自分の人生がすでにひとつの作品になってる、破滅型じゃないと成立しないジャンルですよね。

 そして最近めったに見ないジャンルだと思います、まぁワタシは現代小説をちっとも読んでないんですけど、小説とかじゃなくて、普通のメディアにあんまり出てこないスタイルですよね、自伝的物語みたいなのも最近少ない気がする、ノンフィクションなら別の人間が誰かの人生に焦点を当てるっていうやり方をするわけで、オレの人生はこんなのだ、どうだ!オレはとんでもないクズ人間だろう!っていうのは見たことがあんまり無い気がします。みんなプライベートは隠して起きたい、無頼とか破天荒を、新進気鋭を気取る人間は反吐を吐くほどいますけど、自分の生活をさらけ出すってことはしないですよね、なんででしょうかね?こんな女を抱いてる、こんだけカネをもらっている、みたいな悪い自分をぶちまけるってこと。

 たぶんそれは芸人、が役割としてやってるのかもしれませんが、今では芸人も自分の生活を見せないようにしてる、破滅型のタレントっていうのはエガちゃんくらいしか生き残ってないですものね。

 自分で誰もしないからスキャンダル週刊誌がそれを強制的にやらせているんですね。