2017年10月22日日曜日

1925  檸檬 梶井基次郎

 檸檬という漢字はレモン感がまったく伝わってこない漢字ですよね。とくに、もん、のほう、なんだこの漢字は。もんごるのもん、ってこと?

 蜜柑という感じはなんとなくミカンだという感じがする。

 蜜柑というと芥川龍之介を思い出し、檸檬というと梶井基次郎というわけですね。林檎は・・・林檎の歌か、今では椎名林檎ですかね。椎名林檎というとメンヘラーの女神w メンヘラーというと、メルヒェンに造詣がありそうな響きだから、メンタルヘルス、じゃなくてメンタルディスオーダー、メンディサーとしたほうがよいと思いませんか?
 メンタルヘルスってヘルシーだから精神が安定してるみたいだし。



芥川に対して梶井のほうは知名度は低いですが玄人に言わせると基次郎のほうが、世界観を持っているというわけで素晴らしいという人が多いようです。あの三島由紀夫が褒めたということが大きいみたい。

 三島というと最後にファンキーな死にかたをしたことをどうしても思ってしまいますね。やっぱりクリエイターは死に様というのが大事で、どぶ川で入水した太宰、おなじように入水のウルフ、睡眠薬自殺の芥川、火山に身を投げた哲学者、無実の罪で毒ニンジンをあおったソクラテス。どうやって死んだか、というのが遡及的にその人間の作品の真実味というのか、そういうものを規定していく気がします。どんなにすごい作品を書いていても、死にかたが残無いと、なんか価値が下がる気がするし、たいしたことを書いてなくても、死にかたがセンセーショナルだと読んでみようという気がするし、付加価値がかかる。

 三島はどうかと思うけども。私は三島由紀夫が文章上手いとはあんまり思わないんですよなぁ・・・。


基次郎は肺結核で31で死にました。でもまだ檸檬のころは結核はそこまで進行してなかったみたいですが、体調はよくなかったみたいです。

 24歳くらいの作品で、ヴァガボンド的な生活をしている基次郎がその憂鬱を振り払うために京都の街を歩き回るというお話。まぁいわゆるニートですが、ニートってどんどん意味が変わっていって本来の意味とは全然違うことになってて使いにくい言葉になってしまいましたね。ニートって「教育を受けてもいないし、働く気がない」、無気力状態を示す言葉だったはずですが、今では「金持ってないやつ」、がニートってことになってませんか?フリーターも、売れない作家も、バンドマンもニートと呼ばれている気がする。何の仕事をしてなくても、金持ちであれば、趣味人ということになるんだろうし。

 本来の意味であれば、いくら金持ちの息子でも、何もしてなければニートだし、いくら売れてなくてもなんか目標があってがんばってる人はニートじゃないはずなんで、基次郎も作家として本を書いてるからニートじゃありません。

 クズ人間、という言葉をやわらかくしてクソニートとして呼んでいるという感じですわね。

 
 話が戻りますけど、肺結核で若くして死んだということが、基次郎の作品の半分以上だと私は思いますね。長生きしてたら、だれも注目してないと思う。文体は芥川よりも素晴らしいといわれているといいますけど、私は芥川派ですかね。芥川って、天才ちゃんです、普通に、単純に頭が良いんです。それと結核で自分の意思と関係なく死ぬよりも、自分の意思で自殺するほうが、ワタシ的にポイントが高い。ODで中毒死したジミヘンよりも、ショットガンを使ったカートのほうが高得点です。


 そうはいってもこれはすぐれた作品であることは間違いなくて、基次郎タッチというのは、上段からふりかぶってないし、共感力という点で芥川よりも優れています。芥川はやっぱり頭がよすぎるところがあって、どっか、これがわかるか凡人ども?っていう臭いが少ししていますし、自分の弱いところなどを見せないタイプですものね。いきなり漱石に認められるというエリートコースの芥川にたいして、基次郎はなかなか作品が認められずに、ようやく認知された頃に死ぬという、みんなが食いつきやすい経歴を持っています。

 天才の孤独と失敗者としての焦燥、どちらが共感できる人が多いかというに圧倒的に後者ですものね。天才の孤独を理解してあげられるやつなんて、基本的には数人しかいないわけですから。漱石はそこまで見抜いていたのかもしれません。