2017年10月22日日曜日

1740 美女と野獣

 作者はヴィルヌーヴ夫人という、おそらく貴族の女性。1740年という、イメージのわきにくい時代のお話。何故かわかりませんが、18Cってのは古代ローマとかよりもイメージがわきずらいですよね、どういう服を着てるとか、生活スタイルとか、まったく予想がつかない。フランス革命以降の世界なら、な~んとなくはイメージがわきますが・・・。ルネサンスから近代までの時代ってどういうつもりで人間が生きてたのかっていうのがあんまりわからない。ルネサンス時代のいわゆる暗黒時代、についてなぜかそういうフェチの神の国に興味があるひとがいて、エーコとかロシアの映画とかが扱いますけども(タルコフスキーにもひとつあります)ハッキリ言うとまったく意味がわからない。ここまでわからないものかね!?ってくらい共感できるものが何もない。ローマ帝国が崩壊してからルネサンスまで、暗黒時代長っ!!ってびっくりしますよね。

ぼんやりとディズニー、というかキングダムハーツでの美女と野獣しか知らなかったので原典を聞くとそんな話だったんだ、って思いました。(能登真美子おはなしNoteというラジオで聞きました)
 オリジナルにはしゃべるランプとかは登場しません、あれはディズニーのアイデアなんですけど、ディズニーは原作にあるネガティブな部分を排除してファンタジー色をつけたのですね。それは正解だと私は思う・・やるなディズニーって感じです。ベルのキャラデザのセンスはひどいと思うけども。ディズニーの女キャラって可愛くないですよね、小人とかチップとかはいいのに、人間の女に関してだけは非常にセンスがない。それはアメコミでもそうですけど。

 プロットはベルのおやじは裕福な商人だったのが落ちぶれたしまって、生き倒れそうになったのを野獣に助けてもらったのだけれど、ベルへのおみやげに持っていこうとした白薔薇を盗もうとしたので野獣は怒って娘を差し出せということになった・・・へーそんな話だったんだ・・・。なんで野獣が白薔薇を大事にしてたのかは本編ではまったく説明されていません。どうして魔女に呪われたのかといういきさつも。
 さらにベルには二人の姉がいて、典型的ないじわる姉さまたちでベルが野獣に食われて死ねばいいのに・・などと思っている。最後まで徹底的にヒールに徹していて、いいところが一つもない。白雪姫の姉さま連と同じタイプ。
 さすが女性作家という感じでこのいぢわる姉さまたちの描写だけが童話風の世界で妙にリアリティがあります。女性ってのは同性嫌悪っちゅーのか、女性の悪い部分ってのが自分たちでも見えてるんだなってのがわかります。
 けどこの物語も結局は野獣は王子様だとわかり、大金持ちでイケメンであることが判明してベルは幸せになるというサゲ。非常にこれこそ女性の悪い部分が出てますよねw 結局はイケで金持ちと結婚したい。それが勝利、であり幸せ。だからこそ同性はやっぱり最終的には競争相手になるわけで、仲が悪くなるのもさもありなんというわけでいじわる姉さまが美人の妹につらく当たるのも当然といえば当然の行動なわけです。
 ワタシ個人の見解ですけど男同士って打算的でない本当の友情ってのは、わりかしあると思います。イケメンの友達が美人とやりまくっていても、まぁさもありなん。やるねぇ!とは思うけど、死ねばいいのに、とかは思わない。そいつがいいやつなら全然友達でいられる。
 なんでそうかというところを掘り下げると男っていうのは、潜在的には、女はアホでどうしようもない生き物。っていう軽蔑がどっかには必ずあって、イケメンにやりまくられてたって、まぁそうだろねー。でも女なんて腐るほどいるし、どれも実は大して差が無い。と思うからなんだと思います。確かにおにぎりはツナマヨがおれも食いたいけれど、まぁ腹が膨れればなんでもいいや、おかかでいいか。おにぎりくらいのことでやいやい言うなよってことです。たかが女くらいのことで、ドハマリしてんじゃねぇよっていう感覚なわけです。
 あなたは真実の愛を知らないの!とか言われるとオーマイ、カルト教信者現る、進化論は信じないタイプのアレかぁ・・って思うのですよね。
しかし物語には、ロミオみたいに一人の女に執着して命まで捨てようという男がかなり現れる。性欲の虜となって我を忘れているのか、それともそれが本当の愛ってものなのね!ってことなのか、女性のオーディエンスに向けて嘘っぱちを並べているのか、これは・・・最後が正解だとワタシは思うのだがこれいかに。

 けれど視点を変えて、女性が結局はイケメンの大金持ちを望むのも、すべて子供をう幸せにしたい、子供が美しく、裕福に育ってほしい、優秀な子孫、DNAを残したいということなんだと考えれば、それはやっぱり、愛なのかもしれません、種の遺伝子がそうさせているんじゃ、と思うと、なんかDNAに操作されて生きていてかわいそうだなぁ、って必死で働くアンドロイドを見るような気分にもなりますね。プログラム通りに動いてるだけなんだ・・それから逃げられないのかってね。



 魔女は王子を醜い野獣に変えて
「だれか乙女に真心から愛されない限り元の姿には戻れない」
 という呪いをかける。
まさにこの魔女が一番女性ってのをわかってますよね、そんなやつは現れないことを知っていて無理難題をふっかけている。

けれどこの物語、野獣はなんか魔法みたいなものが使えるのはもちろん
「野獣は屋敷にすむ大金持ち」
っていうところがポイントですよね。野獣がもしさらに財産まで没収されていたら野獣は絶対に人間には戻れなかったでしょう。どれだけ醜くても金持ちなら50点は確保されているわけで、イケの富豪なら100点、だが、素寒貧のイケも50点。醜い貧乏人は0点です。よし、50点、とりにいこう。っていう女性は結構いくらでもいると思います。
 
 けど魔女もさるもの、キスとか結婚したら、というのではなくて
「真心から愛されるなら」
 という呪い解除の条件はそういう金目当ての女性も不適格になる、ただ!金持ちだということだけでも、本当に好きになる、ということもあるよなと思います。
 豊かさは真心に侵食していく。
 
 また逆にベル、がどうして美人じゃないといけないのかということもあります。心がきれいだけど不細工な女でもいいんじゃないの?ベルという、そのままの美女、という名前の女です。
 ここもやっぱり女性作家のやり方なのかもしれません。女性は美しい女性はライヴァルだから、DNAがそれを受け付けないので、ちきしょう。と思いつつ、一方で美しいことを賛美してやまない。憎いけれど大好きってわけで、不細工で優しい女の子を女性はなんて良い子なの!親友!っていいますけども、一方でこいつはワタシよりもブス、なんの危険もない。と見下している部分がある。でもそれはどっちも真実であると思います。軽蔑してるゆえに、DNAが許容するので、安心できて、本当に、親友にもなりうる。