2017年10月3日火曜日

1996 2005 Rent レント

 I'm New Yorker
 Fear is my life


 レントとはミュージカルとして始まったものでこれはその映画版。レントとはつまり家賃、家賃を払えない人々を扱ったミュージカルなんですね。

 ちなみに Rent Boy っていうのは、娼男、つまりはホモのおっさんに変われる男の子の売春をするヒトのこと。家賃を払うためにカラダを売るコドモってわけ。このRent ってのはそういうわる~いイメージのする単語なわけです。


 都市の貧困、みたいなのをテーマにしたものは腐るほどあって、それもその一つ。ジャンキー、ドラッグ、HIV、貧困、犯罪、ギャング、カウンセリング、NGO的な集まり、宗教、LGBT、風俗産業、ストリップ、売春、エトセトラ。

 2017年の現在ですと、それに高齢化、少子化、負債、難民、内戦、戦争、極右、差別、ミサイル、破産、生活保護、保護主義、差別と、個人的問題というよりももっとえげつないテーマになってしまいますね、4000年ずっと続いてる問題を未だに継続中というか。
 ただもうそういうのは考えるのも嫌だ、というわけでアイドルと美少女ですべてのものにフタをして、悪いことは考えない、というスタンスに変わっています。


 
確かにジャンキーやら陽性、性的マイノリティーを雇ってくれるとこなんて無いわけでしてこのへんは無限ループのように連鎖するわけですな。
 映画は2005年ですが、オリジナルは1996年、やはりというかなんというか、ワタシは勝手に思ってるのですけど1996年、はターニングポイントなんです、それ以前と以後ではセカイのあり方ってのが変わった。
 ともかく世紀末ブームの頃の作品なんですね、この頃こういうのがめちゃくちゃ流行っていました。若者の死、っていうジャンル。刹那主義の時代だったんですよね。

 このミュージカル、が流行ったのには別な理由があって、この劇の作家であるジョナサン・ラーソンという人物はこのミュージカルの通り貧しいミュージカル作家で、しかもこのミュージカルの公演が行われる直前に発作を起こして死んだのです。それが伝説となって、貧しい作家の遺作、というものすごいメロドラマちっくなエピソードが生まれ、それが絶好のプロモーション素材となり、爆発的ヒットへとつながっていったというわけです。


 ミュージカルそれ自体が日本には無い文化なので、奇妙な感じがしますよね、それはまぁ外国のヒトに歌舞伎とかが意味不明なのと同じです、なんなのこのちんたらしたリズム??っていう感じ。あれは日本人でも理解不能ってほうが多いですけど。
 でも歌ったり踊ったりすると、その物理的な作用で気分が明るくなるってものがありますよね。ナチュラルハイ。コトバで人生はいいものですよ、みたいなことを言うよりもよっぽどフィジカルで伝わる。
 ある重度の鬱病患者で自殺志願者だった人間が、枕を変えたらまったく別人のように明るい人間になったという例もあります、ココロとか気分とか高尚なものに見えて、向精神薬とか物理的、な方法で違う考えになるってこともある。



 映画に話しを戻すと、貧乏で家賃も払えないはずなのに服は小奇麗だったり、顔とかもさっぱりしてる・・・。家もめちゃくちゃ広い、日本の貧乏人の家の20倍くらいの部屋に住んでますし家財道具も揃いまくってる、いや全然貧乏じゃないじゃんって感じで、悲壮感をわざとなくそうとしたのか、なんかオシャレ映画みたいにされていて、ん~~・・・っていう感じ。正直映画の出来はイマイチ。ただやっぱり、伝説、が後押ししてRENTという作品全体になんか色をつけてるっていう感じですね。

 作者が長生きするとだいたいろくなことにならないから。落ちぶれるならまだいいんですけど、成功して金持ちになってしまうともう最悪です。ワタシはクリエイターってのは落ちぶれて死ぬのがいいと思います。オスカー・ワイルドみたいに。そのほうがまだかっこいいでしょう。まぁ絶頂期に自殺が一番かっこいいんですけどね。


 一番最初に書いたのは映画の中のセリフでして、HIVになって怖いか?と聞かれてこう答えます。

 ボクはニューヨーカーなんだ、恐怖ってのが生きるってことだよ。


 これはすごい気の利いたセリフですね。確かに、怖いことばっかりですよね、やれクレジット、やれ犯罪、失業するかもしれない、年をとったら雇ってくれないかもしれない、捨てられるかもしれない、サイコ野郎に襲われるかもしれない、自然災害がくるかもしれない、放射能に汚染されてるかも・・・エトセトラ。

 生きてくってことは怖いってこと。これはなんか真実がこもっていましたね。