2017年10月26日木曜日

1608   アテネのタイモン  シェイクスピア

 シェイクスピアの晩年の物語は知名度が低くなっているわけですが、このアテネのタイモンもおそらく知る人はかなりまれな作品です。

 しかし、わたしはかなりこの劇はすぐれていると思いますね。これもまた晩年に特徴のシェイクスピアの単独による作品じゃないんじゃないか?という研究がされていますが、わたしはこの作品に関してはほぼ90% WSの筆によるものだと思われます。


 作品の内容は、タイモンという人のよすぎる貴族がいたのですが、気前よく贈り物をさらに良いもので返したり、誰にでも優しくすることで、すぐに破産状態になります。タイモンは大丈夫だ、ワタシにはこれまで親しく付き合ってきた友達という財産があるから。といって、ちょっと金を融通してくれとこれまで付き合いのあった友人に頼むと、その全員にことごとく拒否されてしまいます。タイモンはぶち切れて一人洞窟にこもってアテネの街全部に呪いの言葉を可能な限り浴びせかけて、最後には自殺します。


 なんの救いもない、なんの勧善懲悪もほとんどない。ただ単に、善良な人間はこの世界では生きていけない、特にお金に関してはこの世にはまっすぐな人間など一人もいない、いるとすれば、純粋な悪だけだ!と言う。人間嫌いのタイモン。となる・・・。



 このなんの救いも、普通の演劇のひどいことがあるけども最後には丸く収まるということのないという、型にはまらないスタイル、WSらしい作品で、すごいわたしは好きです。ペリクリーズが完全に型にはまった昔風の作品であったのに比べて、この作品はどんな作品にも似てない、斬新な作品です。
 批評家連ではかなり評価の割れてる作品で未完成なんじゃないか?とかアイデアノートなんじゃないか?ということも言われています。
 ワタシの予測ですけど、WSはなんか金銭トラブルみたいなことが実際あって、人間とカネということについて相当溜まっていたんでしょう、それを一気にぶちまけたという感じで、演劇としての構成、みたいなのを無視して、一気にずばっと書かれている感じがあります。


 ナボコフの非常に読むのが面倒な小説「Pale fire」 はこの劇からの引用らしいです、そういうところからもわかるように非常に玄人好みの作品なのかもしれません、ワタシは痛快だと思いますが、人によるとタイモンが全人類に対してひたすら暴言を吐くこの劇の目的がわからん、感動もなにもないじゃないか?と思うのかもしれませんね。



 このまったく善良な人物は、この世界で生きていくことが出来ないというテーマはドストエフスキーの「白痴」にも受け継がれていて、深く掘り下げると非常に、本質的、なテーマです。善いことをしようとすると自分の首をしめて死ぬしかない、それは現代でもまったく同じ、どうして? それがどうしようもなくいやになって、宗教の道に入るとか、自殺するというひとは今でも少ないながら存在すると思われます。正しいことをしようとするとこの世界に居場所が無い。 タイモンは世界には恩知らずの悪人ばっかりだといいますけれど、わたしは、本当は善いことをしたいっていう人は結構いると思います、ただ、そういう人間は、生きていけないから、出会うことがないってことなんだと思いますね。いることはいるんですが・・・ってとこですなぁ。