2012年12月30日日曜日
森鴎外 青年 1910
10 「一体日本人は生きるということを知っているだろうか、学校に入れば、一生懸命それに励む、その先に生きることがあ
ると思うのである、学校を出て職業につけば、その仕事をやりとげようとする、その先に生きることがあると思うのである。
けれどその先にはなにもないのである
現在は過去と未来の間に書いた一線である、この線上に生きるがなければ、生きることはどこにもないのである」
*鴎外は、ニーチェは神を信じない新しい人間の端緒であるが偏った個人主義でいずれ破滅する、トルストイも新しい時代
から逃げているだけで何の解決にもなりはしない。と明治のインテリの代表格として看破していますが、お前もその体制側の
しかも軍隊の高官じゃないかとついツッコミたくなりますね。そしてたぶん意図的に、ドストエフスキーとマルクス、という
20世紀前半のテーゼ、ドスト、マルクス、ニーチェテーゼ、DMNパラダイムとでもいいましょうかへの言明を避けました
ね。それはやっぱり体制側の高官として社会主義を認めるわけにはいかない、鴎外の限界ってところなんでしょうね。けれど
たぶん日本に初めて実存主義的価値観を持ち込んだ人間だと思います、大陸ヨーロッパ系の知識を懐胎したというか・・漱石
は明らかにislanderですもの、福沢諭吉も。
才能以前に、時代と結びついていない、ってことは作家としてはかなり応えることです、あの芥川だって、プロレタリア文
学の書き手達を羨ましがってたし、太宰だって大学ではごちゃごちゃやって、それが人間失格の端緒となっていくわけです。
DMNパラダイムは、結局1969年頃になくなってそこからは思想の空白期間が40年ほど続いているって感じですかね
。DMN、パラダイムはともかく世界を変える、というテーゼでした、なんで世界を変えるのか?それは生きてる理由が無い
し、生きていても何の目標もなく楽しくもないからです、Dは結局は裏切って世界を変えるなというそれは何もするなという
ことじゃなくて変わっていってしまう世界を変えてしまう奴と戦えということ、Mはもちろん世界を変えろという、Nは自分
がまず超越的な存在になれという。
近代人の苦悩とは、突き詰めればそれしかない、生きている理由がない、目標が無い。ナチスの敗北はNの敗北だった、共
産主義への絶望はMの敗北だった。1968、9年というのは反共産主義の時代でした、共産主義という夢が終わった、あれ
は革命じゃなくて、反革命だった。誰もそれに気づいてなかった。Dの預言通りになった、けれど私達には、トルストイのよ
うな地主じゃないし、逃げこむべき修道院も、坊主になる寺も、信じるべき神も、死ぬべき天国も無い。
そしてそれはすべてのテーゼが棄却されて古臭くなってしまった後にも、ずっと残っている。私たちはやっぱりスタヴロー
ギンです。