サリンジャーが好きな人ってのがいますよね、ほんとによくいます。昔々に小泉今日子がラジオでキャッチャー・イン・ザ・ライを読んだよ、ってのを言ったら、ファンがこぞってキャッチャーを読み始めたってのがきっかけで、文盲世代にもひときわ有名です。
ただ、あんまし本を読まない人にとってはサリンジャーはちょっと敷居が高いのかな、というか、なんていうんでしょうサリンジャーは・・・、なんでそこまで人気があるのかIはあんましわかりません。卓越した才能がある、ってのはパッと見でわかるのですが、しかし一体何について書いてるのか?というとなんとなく曖昧です。
曖昧さ、と謎、というのがサリンジャーらしさで、そこがなんかIは本を読むんだよー、って自慢したいヤツには格好のネタっぽいのがいいのかもしれません。こうこう、でこうこうだよ、っていう定説が無いのでなんとでも言えるって感じ。
例えばカントの批判シリーズを読んだフリをしてても、ちょっと話してみればこいつ全然読んでないな、ってのはわかります、こういう意味だ、というのがわりとハッキリしてるから。
プレビート世代って感じなのですかね、20世紀あたりの前衛とはまったく違う、生活に根ざした描写でありながら、突然カルマだのホメオパシーだの、ヤッピー的なものが飛び出したり、突然神の話しをしたり、精神がおかしくなったり。といってもピンチョンみたいに、ヒッピートリップ感全開ってのではない。
そしてサリンジャー自身が、ランボオ―みたいにいきなり作家を引退するっていうコトをしたので、話しが全部ぶっちぎりにされてて、結局すべて未完、という調子になってるのも、なんというか、ミステリアスで、とらえどころのない感じのアレでもあるのです。
日本ってのはそういうことをこと小説に関してはしないのですけど、欧米では小説のベスト100ランキングーーー!みたいなのをやってます、日本がそれをしないのは、そんなに本を読んでる編集者も読者もいないからでしょう。
だいたいキャッチャーはそのベスト100に入りますね、そのベストがオールタイム・ベストなのか、20世紀のベストなのかにちょっとよるけど。オールタイムベストだとシェイクスピアの1作品ずつリストにいれるのか、ファースト・フォリオっていう全集で1個にしちゃうのかで変わってきます、1つずついれると100の内の20ほどはウィリアムで埋まってしまいます、それでダンテ、ゲーテ、ドストエフスキーあたりの四天王クラスがぶち込むと、半分埋まるので、20世紀の作家なんかはリストに入りませんからね。特にI的にはウィリアムとドストで30作品ですね。群を抜いてるもの。
でも、実際のランキングを見るとえっ???って感じのがこつんこつん入ってたりします、邦訳すらないものもある、ディドロのジャックザフェイタリスト、コンラッドのノストローモ、エリオットの本などなど、ベスト100に入ってるようなものが、邦訳すら出てないんだ!ってちょっと唖然とします。しかしながら、ベスト100といいつつ東洋の本は一冊も無しかこのやろうってのもある。西遊記、とかは絶対に入らない、漱石も太宰も、視野が狭いですね。結局小説っていうジャンルは、そのフォーマット上、国境を超えると劇的に知名度が下がるものです。