2014年7月25日金曜日

1970 いちご白書  strawberry statement film   ニューシネマ

 たぶんこの映画は世界で一番日本で知名度が高い妙な映画です、いちご白書をもう一度、というPOPソングもあるわけでそれがヒットしたことからも。

 映画としては、アメリカン・ニューシネマのトリッピーな感じに、学生運動っていうモチーフをとりあえずぶっこんだという映画です、ノンフィクションの本をベースにしてますが、あんまし本とか関係無い感じです、ともかく、ジョニ・ミッチェル、CSNYとかのPOPソングがガンガン鳴って、若者は反抗的で、最後には権力に屈するっていう、ニューシネマの文法をしっかり守っています。だから映画として別に政治的主張はほとんど感じられないです、ただなんとなく物悲しいって感じ。70年の映画ですから学生運動はすでに下火です、それがなんとなく虚無的な調子の理由なんじゃないでしょうか、60年だったらもうちょっと生き生きした感じにするはずだから。

 映画全体の完成度はちょっといかがなものか、なんでこんなにチープなカメラを使ってるのでしょう?予算が無かったのかな、写真の色調が悪い気がする。70年代だったらもっと鮮明でクリアな映像になるはずなのにな、もしかして撮影監督無しでやったのかもしれません。


 ニューシネマっていうのは、I的には、映画がテレビに取って代わられてしまって、映画が生きる道を探そうとした運動でした、やっぱしニューシネマというとイージーライダーですが、Iはやっぱ真夜中のカウボーイ、ミッドナイトカウボーイがニューシネマだなーって感じですね。
 ニューシネマはテーマが深刻なんですね、普通のハリウッド映画はテーマなんて無いに等しい、楽しいのがすべて、だから。だからニューシネマってある意味全然アメリカらしくない映画運動です、ヨーロッパ映画そのまま、バッドエンドで映画が終わるってのはずっとタブーだったんですよね、ハリウッドでは。けどニューシネマはほとんど主人公達の全滅エンドっていうシェイクスピア的終わり方をします。
 クレーマークレーマー、テルマ&ルイーズ、ボニー&クライド、カッコーの巣の上で・・・だいたいうわーっていう終わり方。

 ニューシネマはいわゆる、スピルバーグ、ルーカス時代が到来したおかげで一気に勢いを失うわけですけど、彼らが映画を駄目にした、って言うヒトは多いですね。まるでヒトラーの政権放送みたいに、社会の最低レベルの理解力しか持たない人間に訴えることが、大衆、に訴える最良の方法であるってわけで、スピルバーグルーカスフィルムはどんなバカにだって楽しめるように作られています。当然売れ行きもいいわけです。
 映画の生きる道は、映画にしか出来ない真剣なメッセージを込めるというよりは、テレビよりも大量の予算を爆発的につぎ込んで、超エンタメ作品を作ることだ、テレビよりも更に産業化されることが必要だ、という結論でそれからのハリウッドは動いていくわけですが、果たしてそれが良かったのかどうか・・・。
 けど映画ベスト100みたいなんに入るのはほとんどすべてこのニューシネマ時代の映画ですね、映画好きはいつだってこういう単館上映的な映画を評価する。大衆とは逆行して。頭がいいヤツよりも悪いヤツのほうが多いんだから、映画は産業だとするなら当然わかりやすい映画にするしかないに決まってる。
 結局売上がすべてなんだ、っていう価値観に対抗する価値観、ってものが今の世界にはありませんから、ニューシネマが敗北するのは当然なのでした、当時はあったんですね、反戦運動しかり、トロツキズムしかり、ゲバラしかり・・・・ソ連なんて国もありましたし・・・