2014年5月29日木曜日

ラファエルロ 池上英洋

 Iは画家の中ではラファが一番好きなのですが、ラファを扱った本というのはものすごーーーーく少ないのです、理由はわからないですが。西洋ではラファが画家としてのすべての能力で頂点にいるというのは周知の事実です、レオやミケよりも。日本ではレオやミケのほうが断然ネームヴァリューが高いけれど。絵画、というとまずモナリザ、そしてミケの天地創造ってなりますものね。ただレオやミケ本人がわかってたようです、ラファはこれはどえらいヤツが現れたと。同時代人で会ってもいますからね、三人は。それがレオやミケを絵画以外へ向かわせることになってるとIは勝手に思います。



 画家としての技量でラファを超えることは誰にも出来ないと思います、あのサルヴァトールダリですら、ラファになりたいと憧れたと言ってましたしね。ピカソも若い時はラファのように絵を描くと言われてました、つまりラファにはかなわないってことですね。XXXみたいに、なんちゃら、なんとか2世って言われてる内はオリジナルにかなわないってことですから。
 
 こぉいう、◯◯は最高なんだ、とかいうと、へんほんとかよくだらねぇって思うあまのじゃくがいるしむしろIもそっち側の人間なんですけど、事実なんだから仕方ないです。シェイクスピアを超える劇作家がいないのと同じくらい、最高の画家はラファ、というのはもはや動かさざる事実って感じ、スケッチの技術をぱっとみただけでわかりますよね、うわたぁ、100点じゃんこれ。ってのが。
 ラファが現れた時点でもはや印象派やモダニズムに突入しても良かったのですよね、もう答え出てるもの。ラファが現れたおかげで西洋絵画は廃れたとも言えます。写実、というアカデミーの規範上答えがあるのは明らかです、まさか角をはやしたりデフォルメしまくってキリストを描くわけにはいかないもの。表現主義にはそのフォーマット上、答えというのは存在しないわけです。自由すぎて普遍性にかけるとこもあるけれど
 ドラクロアやゴヤみたいに、絵画自体ではなくて、社会との関連性、物語性を組み合わせるという、方法は残りましたけどね、純粋絵画としてはラファはもはや超えられない・・・。一応絵を描いてるものとして、Iも純粋絵画はやりたくないですね。



 以下はまとめ

ミネルヴァ 美と知 本と剣
ヴィーナス 愛と美 花と肉体  
 どちらを選びますか?

 フィレンツェ
正期ルネサンスの中心、其の歴史は面白い。 


 レオ(ナルド)、ミケ、ラファの順
ラファが最後の完成者であり、ラファはおそらく両方に会っているし、確実に作品を見ている。完成者というより、一番かわいい末っ子という感じ。1人だけ夭折しておるし。

 レオの構図をラファは完全に研究する(三角形構図、ジョコンダの肖像画のカタチなど。ミケからは肉体を平面ではなくて、カラダをねじらせたり、脚を出したりと立体的に
描く方法を受け取っている、ミケはそういった肉体の彫刻的写実表現をギリシャ彫刻より学んでいる・・)


天才は固まって現れ、そして相乗効果により何乗もすぐれたものを生み出す・・(天才とソフトの生産性・・)

 ルネサンス当時ではレオ、ミケ、ラファでラファの評価が圧倒的に高かった。特にレオは同時代人には人気が無かった。

 ラファは長らくアカデミズムの頂点であり、カノン、規範そのものであった、特に新古典派では

*新古典、偽古典、ネオクラシック、エトセトラ。復古主義がオリジナルを超えることは殆ど無い。ルネサンス、くらい。ルネサンスはギリシャ文化の復興
であったから。ラファはシェイクス、が演劇にしたように、ドストが小説にしたように、BTVが交響曲、弦楽四重奏にしたように、1つのジャンルに答えを出した。
100点を出してしまった。あとはそのフォーマットというのは廃れるだけである。
 特にラファが完成させたのは聖母、というジャンル。聖なる母、というモチーフはもはや永久にラファを超えることは出来ない。そのフォーマットの制約上無理である。