2014年6月7日土曜日

堀辰雄 聖家族 1932

文学には呼ばれるってことがあって、それが来るまで読まないっていうふうにしています、それは大学卒業後からだと思う、小説をじっくり読んでる時間なんて無いし。

 少し前にラファエロが大好き、っていうことを話して、たまたま見たふたり、という映画の中で母親が読んでいたのが聖家族でした(ちなみにレイプ未遂の犯人が持っていたのは車輪の下)。こうやって作品の中で他の作品を使うのはレイヤー技法とIは勝手に名づけています、そうすることで一発で深みが出せる。
 レイプ犯は実は車輪の下のハンスのように、周囲から期待された天才児であったけれど、挫折して自暴自棄になっているということ、母親は聖家族の母のように、好きだったヒトを失くして、ココロが死んでいるということ、そして明確に自殺のイメージが浮かんでいること。


 この作品は堀辰雄が芥川の自殺に影響されて描いたということですが、短編でして非常に短いです。

 内容は書きませんが。


 あれですね、車輪の下というのは大学時代に絶対読んだはずなのに何も覚えてません、けどものすごい現代的ですね、ともかく今の時代というのは周囲の期待、というか子供に求められるものはもぉ馬鹿げているというか空想的な領域です、夢のために頑張らないといけない、やれアイドルやらミュージシャン、ワールドカップで活躍する選手、そういうものになれると本気で思ってる、子供だけじゃなくて親も、そんなばかみたいな夢を背負ったら、車輪、社会に押しつぶされてほとんどのヒトは死んでしまう。
 だから夢を見るなといいたいわけじゃなくて、実はそんなのは全然くだらない夢だってことです、そんな世間の賞賛するような地位なんて、結局車輪の一部、スポークになってるだけだってことです、パーツであれば使い物にならなきゃ捨てられる、もっと本質的な夢をみなよってことですね。
 



ともかくヘラヘラしたネアカ組織社会の中で自殺がぴったりと張り付いているのですよねこの車輪には