2013年10月25日金曜日

take me to the land of hell YOKO ONO 2013



どういうわけかOk computerかKID A 以来、あるいはgorillazのdemon days以来、さっぱし音楽シーンを追うのをやめてしまったし、注目すべきアーティストもいない。新しいアルバムが出たら即買するようなアーティストもいなくなった。クロスビートは廃刊になるし、ロキノンにはおっさんしかいない。雑誌のレヴューコーナーの期待の新人とやらは、チャートから1年以内に消え去って、売れてるCDはアイドルばっかし。といってライヒや坂本のアルバムにも嫌気がさしたし、結局ジミヘンが今でも一番斬新だな・・・みたいな、感受性が疲れ果てた音楽好きにおすすめのアルバムです。

 

 かなり、出来がいいです。コーネリアスやらなんやらかんやら、大量にクリエイターが参加していて、どういうことになっているのかは特にわかりませんが。この1曲ずつプロデューサを変えて、音的に幅を広げるっていうやり方は、foster the torchでも上手くいってて、ヨーコ・オノ1人では、前衛的すぎるのも、耳に優しくしてくれてます。I個人はやり過ぎのオノヨーコ的アルバムも好きですけど。




 DAWが進歩して、音作りは1人、で出来る範囲が広がったおかげで、プロデューサーが作曲からマスタリング、エンジニアリングまですべて1人でやるってことが多くなりまして、アーティスト、フロントマン、シンガーも1つの楽器みたいにみなすようになりました。プロデューサーじゃなくて、コントローラーっていう感じですよね。コントローラーの才能が曲のすべてを決めるようになりました。それは良いことか悪いことかわかりませんが、年寄りのおっさんが、生録音で生音じゃなきゃダメ、サンプラーに頼りきってるクリエイターなんて全然ダメだ。みたいな断定をしてるのを聞くと、なるほどじゃあその逆こそ真なりだな、と思うわけです。天才はいつでも正しいとは限らないけれど、バカはいつでもバカです。




 海外のレヴューを見ると、真っ二つにわかれてます、YOKOはレノンのビッチじゃなかったら、誰もこんなクソアルバムには注目しないっていう意見から、現代音楽シーン、の唯一の前衛、だって評価するヒト。それで良いのだと思います、文化ってそういうものでしょう?みんなにいいかっこするものでもないし。それ以上に何枚売れたかを競う金儲け競争でもない。




 ライブもかなりすごかったです、アメリカのゴールデン番組で、歌詞を全部飛ばして、アメリカは戦争を止めて、武器を放棄せよ! ピース!!ってずっとピースサインを出してました。今みたいに、平和!キレイ事いうなよしょーもな、っていわれる時代に、歌詞を全部変えて、武器を捨てろ、ピース!なんて出来る奴は今の世界にどれだけいますか?




時代遅れのコトバとも言えるのかもしれないけれど、時代に逆らって、大衆に逆らって、自分のコトバを吐く。やっぱそっちのほうがいいでしょうね、I自身は平和主義でもなんでもないけど。社会や時代に自分の意見を曲げないことって大事だと思います。


 

 でもどういうわけか放送事故ですよね、それって。でもなんでそれが放送事故なのかちゃんと説明出来るひとはいますか?