2013年11月10日日曜日

1975 MACINE GUNNERS  ロバート・ウェストール

 ・3/15日にはカエサルもそう思ってたんだろうな(事件が起こるのは今日じゃないだろうという意見に対して、3/15はカエサルの暗殺された日) 




戦争ものの児童文学としてくくられると、えっ!?・・・こんなのガキが意味がわかるかな?とおもうのですが
だんだんとこれは、確かにガキ向けの本であって、本質的な部分は、ガキにとって、トモダチってものがどういうものかっていう友情話になっていくわけです。

 でもほんとは、トモダチ、ってものの大切さに気づくのはやっぱしオトナになってからで、オトナってのはほとんどはトモダチなんて1人もいないわけで、バカ女と
セックスして子供っていう、強制トモダチを作るのが積の山だってわけです。そういうわけでやっぱしガキ向けの本ではない気がする。


 その、ガキにとって、トモダチってのがどういうものだったかな・・っていうのがたしかにこれはめちゃくちゃよく描かれています、戦争なんて実はあんましどうでも
いい。はぶられて、普段よりも、なんだろう・・・下位グループのトモダチしかいなくなって、それもいなくなって、ハブられた、浮いてる人間だけで固まって
そのハブられグループが何かをするってのは、テーマとしてひじょ~~~~に良いですね。

 現代であれば、そいつらがテロリストになって、学校中を虐殺する、っていう風に、自爆として描くと思う、あるいはもっと、悲劇的な結末にするはずです、そうせざるを
得ないから。たぶん戦争ものってことで、ハッピーエンドではないけれど、バッドエンドにはしないでいい余裕がある、どういうわけか戦争ものは楽観的に終わらせることが
出来るのです。学校でなく国家と対決するでもいいけれど。
この時代には敵、ってものがきちんと存在するから、良い方に進むけれど・・・・、前者はどういうわけか子供に読ませられる本にはならんのですな。


 ほんとガキってのはいぢめが好きで、というかヒトってのはいぢめが大好きなイキモノで、常に誰かをいぢめてないと生きていけないのですが
それが喜びの原点なのかもしんない・・・・いぢめるってことが。どんなエンタメだっていぢめ要素はあるものです、アリスはロリいぢめだし、エロだって基本そう
暴力ものはさらにそう、正義と名がつくものは常に悪へのいぢめがあるし、貧乏系の話、推理ものは警察の異端者へのいぢめです。いぢめなしで物語を作るのはかなりむずい。

 
 弱い者達が夕暮れ
更に弱い者達を殴る・・・

 
 ですね。弱いものいぢめというけれど、強いものをいぢめるのはいぢめじゃなくて、革命というのです。弱い者いぢめは卑怯じゃない、勝つための手段です。
みんなそうやって強くなる、強くなる以外に他に方法なんてない。刺し違えて強いものと心中するしか・・・

 いぢめっこかカクメーカか、どっちかなんですな。どっちでもないって結局いぢめを無視してるやつらが一番のいぢめっこなわけです。

 ガイ・フォークスがちょっと取り上げられているのがその暗示だとしたら、相当良く出来ている。けどこれはたまたま
上手くいったのでしょう。名作ってのはやっぱその偶然がバッチリハマるっていう運の要素がかなりある。




 やっぱしこの本に呼ばれてた感があって、PEREATの台本で悩んでたところもちょっと描けそうな感じがしてきました。本ってのは呼ばれるもんなんです、これはまぢで。




1975年か・・・・最近思うのですけどIたちってほんとに過去のことを何にも知らないですね、知りようもないのですけど。とくに戦後は著作権でがちがちに守られていて、ほんとは知らないといけないことは一切知らされない。知るにはカネを払えってわけで。観光名所みたいに入場料がとられるわけです、おまえが作ったわけでもなんでもないのに。