2014年3月7日金曜日

ゴーストライターやらなんやらの話 コンテクストと作品主義

 メディアの尻馬にのって批判がしたいわけではないのです。
 
ただ、めちゃめちゃやなこのおっさんw っていうふうにみんなは片付けてるようですけど(どうも姉歯の時のやり口みたいな感じですね)、でも本当は難しい問題じゃないですか?


 NHKのドキュメンタリーもIはちらと観ましたよ、今売れてるクラシックの音楽がある、またNHKの拝金主義が始まったか、と思いつつ。コンサートにはスノッビーな方々がいっぱいいらしまして、BBAが泣いておった。
 でも肝心の音楽、どうもIにはそんなスノッビーな人々にはハマるような音楽では無い気がしました、え~~?こんな音楽ほんとに好きか?ってなふうに。

 で、そっからコンテクストが語られるわけです、実は作曲家は、フェルディナンセリーヌみたいな聴覚障害なんですって。Iはそこで見るのやめましたけれど。


 でも、音楽にとって大事なのは音楽でしょう?パクリでも剽窃でも、ゴーストライターでも、来歴、歴史、コンテクストってのはどうでもよくて、音楽を聞いててそれが好きだと思ったり、感動したりするんであれば、それでいいじゃん。
 
っていう作品主義的な考え方もあります、音楽は音楽であればいいんだって。

 でもそういう、作品主義的、客観的美学ってのも、絶対に嘘っぱちだってことも言えるわけです、だってIたちは、Iという自分の歴史、自分のコンテクストの中からしか感覚しえないから。結局自分のコンテクストにあてはめてるだけで、音、そのものを聞くなんて所詮無理。
 
ゴッホが好きだという人のほとんどのは別にゴッホの手法や作品が好きなわけでは全然なかったりする、たぶんホンモノか偽物かすらわからないでしょう。ただゴッホみたいな純粋な生き方に憧れる、谷中アンキみたいな、餓死した芸術家のように、その純粋さ、生き様に惹かれるってことのほうが多いわけです。それで間違ってないと思う。
 コンテクストから逃れることなんて出来ない。生まれてきた赤子だって、誰の子か、っていう意味付けがすでになされてるわけです。

 だから別にええやん、ってIは思うって話しです。
嘘をつくのはよくない、って販促やプロモーションで嘘付かないやつなんてこの世にいないですよ。やれ、恋愛禁止のアイドル(これは言うまでもなし)、お客様第一の企業(ならどうして利益が出るわけ?)地球環境を守る石油会社(死ね、んなわけねぇだろ)、全米NO1の映画、今世紀最大の問題作、話題作エトセトラ。全部嘘ばっかしですよ、というより嘘をつくのがエンタメ産業の仕事みたいなところもありますし。別に耳が聞こえないフリをしたっていいじゃん。あるいみプロモーションとして斬新極まる、って感じです。演技力に感心しますよw


 デジタルバンドだってほんとは中身がいるに決まってるし、キャラクターきぐるみだってそう、謎の二人組、レーベルの奴は誰かわかってるに決まってるだろって。



 本当にしたいのはただ弱い者いぢめだけって気がしますね。それでいぢめ=カッコ悪い、とかいうんだからたまりませんな。戦うんなら自分より強いやつと戦わないと何も面白くないですよ。これはほんとです。