2014年3月11日火曜日

野狐禅 鉛色の青春  2003

http://www.xiami.com/album/351147?spm=0.0.0.0.dEracJ
 試聴出来ます。

 野狐禅ってどこに行ったんだろう?と思ってたヒトは解散したという事実にびっくりしましたね、いつの話をしてるんだ己は?って思われましょうけど、野狐禅が解散したんだってことをIはつい最近知りました。えっ!?っと思いました、だってこういう・・・なんだろ、こういうグループってのはあんまり解散しないもんだからです。
 そいで竹原ピストルソロになったわけですね。さや侍にも出てましたし、そうやったんですね。


 でもこぉいう、弱いものの味方、っつーかIも弱い人間だったから、さぁみんな頑張ろうぜ、みたいな作家って、ある程度売れてしまったら一体どうすればいいんですかね。おれはこんなに成功したぜ、って言えばいいですかね。そいで、竹原ピストル氏は今なにをしてるかというと、当然ながら、復興の花なる、東北支援活動などに精を出しつつ、積極的に音楽活動などしてると、定型文で書かれます。

 んーーー?違うんじゃないかい。とIは思いますけどね。というかそんなん本人が一番思ってて、こんなん違うんじゃないかなって思われるんだろうけどそれでもやるんだ、っていう決心があるんでしょうけど。

 というかミュージシャンやら夢を与える云々言い出すと、夢なのに金とるんかい、という矛盾を抱えますね。エンターテイメントって夢を与えることじゃないでしょう、幻想を与える対価に金を稼ぐことです。麻薬とかと同じ。
 夢を与えるっていう行為は、カネを与えるっていう行為なのではないですかね、意味もなく、ほい1000万やろう、これぞ夢をやる行為です、好きに使えって。


 

 と、いうことを3/11の今日書いています、どこもかしこも忘れない、忘れない、の大合唱、まだ終わってないから、これもお決まりのセリフ。なんでかしらないけれどコトバというのは繰り返すと意味を失って呪文みたいになって、感情がついてこないただの音になってしまうわけです。
 今日は三周年だから、三年後だから、じゃあ明日から普通に、ってそんなぱっぱっとチャンネル変えるように感情を操作出来ませんねIは。三年後だから、とかなんとか周期で区切るのも意味わかんないし。
 ともかくちょっと待てや!って感じですね、3年で遅々として復興進まずとかいいますけど、三年ぽっちで何もかも元通りになるわけねぇじゃん。ココロの整理だってつくわけねぇじゃん。30年ならわかりますよ、たった三年じゃそりゃうまく行きっこないって。もっと時間をくれって話ですね。