2015年10月18日日曜日

1595 リチャードⅡ  シェイクスピア

 リチャード二世はシェイクスピアが時代劇から離れていた時期からのカムバック作品。

Iとしてはシェイクスピアは  っていうテーマ、KING、っていう物語の型を作り上げました。リチャード二世ってのは王、の演劇です。

 
幽閉されて暗殺されるという非業の運命を辿ったリチャード二世、王位簒奪をやってのけた野心家のボリングブルック、後のヘンリー4世。

 王、というタイトル、をめぐって人間が結びついていく。王にはすべて破滅が待っているのですね。王はいつも裏切り、追従、堕落、戦争、耄碌・・・と悲劇が待っている。自分のせいにしろ他人のせいにしろ。

 それはあまねくだれにも訪れるものですが、王、という存在では一番それがはっきりと明瞭に現れるというわけ。

 王、を求めるのは人民である。人民が王を求めようとする。民衆は王を崇めて神のようにたてまつり、そしてそこから引きずりおろし、すべての責任を負わせて惨殺する。これが民衆による、王様、ゲームなんですね。

 いまだってその王様ゲームを民衆は一番面白がります、誰かを担ぎあげて祭り上げ、神のように礼賛して、最後にはボロ雑巾になるまで市中引き回し、クビを切り落とし、誰にでも見れるところに辱めとして掲げてゲラゲラ笑い物にする。

 それでも民衆はいつだって誰かを神のように崇めたくてたまらない、誰かの奴隷になりたくてたまらない、そして奴隷として主人をズタズタに切り裂いてやりたいっていう願いを持ってるのですわね。


 王、という存在はそういう不可解なブンレツした存在なんです。

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Pride most have a fall
 誇りは必ず滅びをもたらす