2013年3月11日月曜日

バーチャルリアリティ学 日本バーチャルリアリティ学会



 VR、ARなどの、いわゆる3D技術全般を扱った本です。

 さてこういう科学の本全般の欠点ですが、たいがい、実際には何の役にも立ちません。
というのは自分で研究するには膨大な資金が必要だし、研究員になるにもやっぱり予算がいるし、求人はほぼ無い。
 子供に科学に興味をもたせようみたいなコトを言いますが、研究費くださいというと無いというし、せめて学費を
出してくださいというと、これも出さない。それでどうやって科学に興味が出るのかちっともわかりません。

 だから研究員になってから、勉強すればいいって話で技術的なコトや、固有名詞を覚えたって仕方がない。
それにたいがいこういう本には実際のhow toは載ってない、こういう機材を買って、こういうふうにセットする、ような
コト。実際はそれを載せなきゃいけないんですけどね、そうでなかったら、なんでこういうことが分かったのかという
証明は全く無いということになる。 
   
 
 
 3D技術が一般に存在意義を持つにはやはり肉体的快楽を与えるコトが出来るようにならないと無意味のように思えます。
つまるところセックスゲームが3D技術の起爆剤になるのは目に見えている。けれどこの本にはただの一言も、セックス
シュミレーションについては触れられていません。
 こういう新しい技術について、古い価値観で評価していくのは最低です。和魂洋才みたいなもので、そんなの無理に決まってる
新しいコトが可能になるのに、古い価値観でしか価値を与えないのだとしたら、新しく可能になった領域は結局無くてもいいもの
になるので新しい技術の存在価値は無い。


 あるいは新技術で高齢者や、障害者の手助けが出来るというのも、やはり、で?というコトでしかない。植物人間にヒモを
つけて操れるようになる、と言ってるのと同じだと思われます。ハッキリ言えば、高齢者やボケ老人を介護しても
何の役にも立たないと思う。何の生産性も無い。
 まず考え方がさっぱり間違っている気がします、高齢者が元気に働くことのできる社会づくり、なんてありえないし、
結局全然面白く無い。
 そうじゃなくて、高齢者、障害者、貧乏人、弱者、などのマイナスレッテルが存在しない社会づくり、ですよね、目指すべきは。
自然世界では、そりゃ年寄りもいるし、障害者もいるけれど、VRではそういうものは存在している必要性は無いし。そうである
と明示すべき理由もないわけです。
 
 自然世界というものがあってその再現や代替としてVRがあるなら、それは結局はまがい物や二番煎じで価値は無い。
そうではなくてVRで世界そのものを構築して、自然世界を超える世界を作らなければね。
 それにはどうしたって自然世界に属する肉体ってものをどうやって切り離すかという問題になるのですが・・・・




 まとめ
・virtual というコトバの意味は仮想、二次的という意味ではなく、本質的、という意味。
 virtualの反対はnominal、virtual とreal はsynonimで同じような意味である。だからvirtual reality
というコトバはトートロジーである。
・人間も見ている視覚は、自然世界の光学的再現ではなく、様々な処理が施された映像である。
 
・様々な刺激は最終的には電気エネルギーに変換されて脳で処理されるので、原理的には、物理的刺激を用いないで
直接脳に電気情報を打ち込むことで、感覚器官なしで、感覚を与えるコトが出来る。
 まだ発展段階で、人工内耳などは成功した例。