2013年8月8日木曜日

Op9 making 87 /文化庁メディア芸術祭 / 風立ちぬ









 リライトが多め。第六話を完成させたかったので、そして13話も終わり。


 第五話までを文化庁メディア芸術祭に出す予定。政府に媚びを売るのはキライだけど、ほかの出版社系の金儲け主義のコンペには出したくないので、まだマシかと思いまして。




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 風立ちぬ見て来ましたよ。








    ネタバレ注意!!!!見てないヒト読むべからず!




















































  ほんとうに見た?















































 じゃあお話。
見終わった後に見て下さいって手紙を渡されて、Auを通じてジブリに手紙を書こうという企画をやってますので。日テレ系列とメディアの胡散臭い匂いは大目に見て、その手紙をここに書いておくことにします・・・





 ワタシタチはどんな時代に生きてるのだろうか?ってことを考えます、一般的には閉塞的で希望のない時代だ。と決まり文句のように書かれています。財政危機、政府の頼りなさ、超高齢化、人口減少、世界の全体的治安悪化と経済大国の軒並み右傾化、就職難、原発事故での放射能による染色体汚染、たぶん奇形や不具、未熟児があと数年でごろごろと生まれることになる。中国との領土の奪い合い。環境破壊・・・


 確かに悪条件はあげたらキリが無いけれど、けどほんとにそうか?と思う、明日明後日死ぬかもしれない、今日明日の人生だ、っていう人間がどれだけいる?失業しても生活保護でパチンコに並ぶヒトもいるし、それでもダメなら刑務所にいけば、病院代も持ってくれる。大病にかかったら刑務所に入るほうが良い。

 飢えてる人間がどこにいる?ヒトを殺さなきゃ生きていけない生活をしなきゃいけないヒトがどこにいる?平和や単調な毎日に退屈してることを希望が無いっていうんだったら、そんな希望いらない。希望ってのは今日明日の命のヒトが、またもう一つ明日へ生き残るために使いコトバだと思う・・・

 風立ちぬは残された時間が少ない時代のヒトに、どうやって生きるのかを示すってのを目標にしてるってのを読みました。確かにだんだんそういう時代に入るっていう時代感は正しいと思う。
 
 ふと気づいたのは自殺の時代が終わったということです、自殺が、時代とそぐわなくなった。つまりそれって戦争の時代だってことです。誰しも気づいていることだと思いますが、世界全体が・・なんかもう抑えきれないっていう気分になっている、戦争はもう避けられないと誰もが予感している。それでもまだ数十年は時間があるでしょう。
 今生まれるコドモが、戦争で死ぬコドモです。

 この映画はどうごまかしても戦争映画です、戦時下で健気に生きたヒトというと聞こえはいいけれど、戦時下でなければ、飛行機なんて作れない。作れてもただの金持ちの道楽でしかない、誰かと同じ目的を共有し、間違ってると思っているかもしれないけれど、一体となって何かに取り組むっていうことが出来るのは戦時下だけです。ある種それは強制であって、理不尽な暴力かもしれないけれど、強制が無かったら、みんなで一緒に何かやるなんてことは出来っこない。
 みんなてんでにバラバラで、興ざめしてつまんないつまんないと不平だけを垂れるような時代になる(まさに現代ですけど)。そして一人のトモダチも恋人もできないで孤独に死んでく。
 それがいわゆる団塊の世代の運命だった。今の長生きしただけの老人たちの運命だった、彼らの世代はたぶん、恐ろしく安全に長生き出来る時代だった。
 戦争の時代じゃなくてそのあいだの平和な時代にすっぽりハマりこんでしまった。

 でも本当に希望が無かったのはやっぱりその戦争ベイビーだったんだと思う。一番どこにも繋がってなくて虚しくて、ひたすら一人ぼっちだったのは彼らだったと思う。お金儲けしかやることが無くて生きてる気がしなかったのは彼らだと思う。
 彼らは娯楽として戦争映画を死ぬほど作ってきたけれど、それって全部自分がそこに参加出来なかったっていう憧れでしか無かったと思う、戦争は悲惨だ、もう繰り返しちゃいけないなんてメッセージは、結局戦争で負けたことの自己肯定でしかない、負けたから、このゲームはつまんないって放り出してしまうコドモと同じです。

 戦争生き残りのコトバを聞くみたいなNHKの特集も、一方的です。だって戦争賛成だったヒトの意見なんてちっともきかないで、一方的に悲惨だった悲惨だったって、そりゃないですよ、そんなGHQのプロパガンタは無いですよ・・・

 それに戦争に賛成していた勇敢な人はみんな死んでしまったでしょう、戦争反対派で、生き残った人の話だけ聴いて、それが戦争の時代のすべて、みたいに語られるのは我慢できない。じゃあホントに避けたれたのか?何もしなかったらほかの植民地みたいに、それこそ死ぬほどの屈辱にまみれて独立を血みどろになりながら手にしなきゃいけなかったんじゃないのか?インドや中国がそうだったように?って思います。

 けどこの映画は違いました、戦争賛歌でも平和プロパガンタでもなかった。戦争や争いは避けられない、それでも、そこで誰かを好きになったり、夢を描いたりして、ちゃんと生きていこうっていうのが伝わりました。
 

 私達はだって今からその戦争の時代生きていかなきゃいけないんだもの・・・・




蛇足ですけど
 ひとつだけ言いたいのは、結核の女性が(妙に描写が若すぎて何才なのかわかんないのですけど・・えぇと・・、もうちょっと年を取ってるのじゃないでしょうか・・、30近いのに15才の少女にしかみえないのは・・ビョーキ持ちなのに・・)、死期を悟って猫みたいに弱っていく醜い自分を見せたくないと山上の療養所にたった一人で死ににいくってのは・・・・ちょっと許せませんでした。そんなのってないよ、醜い自分を見せたくない?恋人に自分の病気をうつしたくない? そんなのって優しさでもなんでもないです・・・あなたには生きていって欲しいから?・・・そんなかっこつけなんて二郎を信じてないってことだと思いますけどね・・・、一緒に死ぬ覚悟なら出来てるし、ビョーキがうつったら生きて行けないほど、弱い人間じゃないでしょ、なんで信じてあげないでそんな、任侠物みたいなカッコつけをやるのかわかんない。そんなん優しさじゃない・・・・、もちろんそれはやっぱ絵が、どうみても30そこそこのおばさんじゃなくて15ぐらいのコドモだからそう感じるのかもですね・・あれがもうちょっとシワのあったりするおばさんだったら、死期を悟ってさようならしても文句言わないのかもしんない・・・あの15くらいのコドモが、たった一人で死と向かいあうってのが・・・・演出だったらあざといし、そんなの嘘っぱちじゃんと感じました。映画を綺麗にするための飾りごと・・・そういう演出は、たとえそれでお涙ちょうだいであってもやっちゃいけないと思いましたね、 さぁ生きよう、っていうキャッチをつけてる映画なのに・・・・




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 でも一言でいうと、良い映画でした、すごい良かった。
      まだまだ出来るじゃん、頑張れ駿先生ってとこですw