2014年1月7日火曜日

その時歴史が動いた 第13回 戦火のアニメーション  瀬尾光世 と政岡憲三

http://v.youku.com/v_show/id_XMjMyMDIxMzI0.html

その時歴史が動いた 第13回 
 プレ宮崎駿のアニメーション史というのはほとんどの人はまったく知りません。知ってるのは60くらいの手塚アニメをリアルタイムで見た人でしょうね。
 政岡憲三は日本アニメーションの父といわれています。どうやって物の無い戦前日本でアニメを作ったのか?というのは非常に簡単で、彼は無茶苦茶な金持ちの息子でしたから好き放題アニメを作れたのです。なんてがっかりする経歴の持ち主w
 逆に瀬尾は普通の人です。彼は海軍に協力して、大規模な予算を手に入れ、巨大なプロジェクト、桃太郎で、アニメーションの技術の限界に取り組むことになりました。政岡はぼんぼんなので、自分の芸術を追求できる。
 普通軍に協力するコラボの瀬尾を、戦争協力=クズ。と簡単にレッテルを貼ってしまうのですが、しかし瀬尾だって、ボンボンの息子でパパに頼んで会社が作れるんだったらそうするでしょう。
 逆に政岡はボンボンの息子という引け目がありますから、失明寸前になるまで徹底的に作品の完成度を貫いたということもある。
 アニメーションは基本、予算がなきゃ話にならない、大衆、文化ですから、どうやって予算を手に入れるかが、常に問題になる。予算の入手先の意向で、作品は決まってしまう。海軍の予算なら戦争賛歌、テレビ局や金儲け主義の予算なら低能向けアクション映画、ヲタクの小遣いならエロアニメ、天才一人では作れない、だからアニメってのは名作がひじょーーに少ない。10無いといってもいいですね。

こういうわけで、政岡→瀬尾→東映動画チーム→手塚→大塚→東映の労働組合チーム(高畑、宮崎)→漫画原作のアニメ化(出版社の予算)っていう具合です。
 70年くらいからですかね?漫画原作というか、ただ漫画に色をつけて、声優を当てたひどく動きの少ない二次使用のアニメが主流になって、オリジナルはがっつり減りました。

それもまぁ当然で、オリジナルってのは博打なんですね、あたるかどうかわかんない、広告費もかかる。だから保険をうって二次使用やろう、予算も入りやすい。それにコンプライアンスだの、能力給だので責任の所在が検討されるようになってきて、より、リスクをとって新しいことやろうという人は減っています。また、若者がそう思っても、上層部や上司が(そして株主が)つっぱねるので、結局形にならない。

 ただ!戦前戦後、など、もう明日は我が身だったり、せっかく生き残ったのだからなすべきことをなさねば!という時に限って、そういうリスクをとらないポンコツたちが、志を高く持つ時があるのです、だから、名作ってのは戦前戦後のぎりぎりの時に生まれるものなんですね。

 Iの意見を言うと、軍部に協力する瀬尾はやっぱりクズだと思うし、ボンボンの息子でパパァ!アニメがやりたいの!みたいな政岡も好きになれません。手塚はIは本当にあの絵のスタイルが嫌いなのです、労働組合に入って会社ともめて干されるような宮崎がやっぱ良いですねw Iは大塚作画も好きです。