2014年1月12日日曜日

random review 2009 風立ちぬ 漫画版

 風立ちぬ の漫画版を読みました。こいつはかんなーり入手困難やったです。というよりも実質不可能なので、アドバイス。manga land chapter 9
 
 モデルグラフィックスなる、プラモデルのヲタ向け雑誌に連載されておってほとんどの人はだれもしらなかったものです。駿先生は自分で告知とかしないから、何をしてるのかさっぱわからん・・・というよりわざとそうしてるんでしょうね、なんでもかんでも大騒ぎされて腹立つ、ちまちま好きなことやりたいのに!ってことです。放送室みたいなものですね、でももうそんなことは許されないんでしょう、有名になりすぎた・・


 ほいで映画化されてバックナンバーがかなり売れてるらしいです、ボロ儲けですな。出版社  大日本絵画・・? 知らん・・編集プロ アートボックス・・?まったく知らん・・・よくこの雑誌は続けてこれましたね・・・誰が買うのだろおか・・・

 いつもなら漫画のほうが、原作のほうが映画よりもいい、と決まり文句をいうIですがこれは映画で良くなった珍しい事例ですね(他にはキューブリックのロリータ、タルコフスキーのストーカーくらいです、例外は。たいていは原作付き、二番煎じの映画はクズです)
 
 といっても漫画がつまんないわけでは全然ありません、さらに映画でよく出来たってことです。ただマンガというよりはノートみたいな感じですね、一話4ページしかないし。しかしそれでも全然面白いです、今でてるのマンガの中では一番かもしれない。カラーだし。カラーのマンガってのは死ぬほど少ない、このフォーマットを確立したのも駿ってことになると、ますます他の若手や出版社は何やってんだよって感じ。誰一人新しいことに挑戦してない、未だに白黒であの紙の大きさで、技法も全部昔のままです。なんて保守的・・・

 駿くらいの才能を持ったアニメーターというのは少ないけれど世界には1000はいると思います、稀代の天才アニメーターというけれど、ディズニーのレジェンドたちのほうが、純粋な作画能力では上でしょうね。Iは特にタイトラが最高の天才だと思う・・・
 駿くらいの才能を持った作家というのはこれもすくないけれど20人はいると思います(死んだけど梶原一騎とか、カミュ、AK、タルコフスキーあたり・・一応同時代人ということで)ただ作画能力と作家としての才能、これを両方持っていて、考えた話を絵にできるニンゲンというのが、あまりにも少ないのです、せいぜい3人くらいしか世界にいません。その三人も運やカネがなくて埋もれているでしょう、たまたま、世にでるのは本当に奇跡です。作家の実力よりもこれは運ですから。

 なんでたいていのマンガは面白くないかというに、作画する人に作家としての才能が全くないからです、絵は綺麗だけどアホが描いてる、頭がすっからかんで、何一つ学ぶものがない。特に作家、の才能というのは努力ではどうにもならないものだし、絶対数が少ないんですね。

マンガを読む奴はアホだ、と昔は言っていました。それで良かったんだと思います、マンガはアホ向けのメディアだし、誰かはそんなのを大人になっても読んでるのはアホで、アホ扱いして自分は古典やら、哲学を読む人がいるのがまともです。けど今ではオトナも、日本のブンカーー!!とアホみたいに叫び出して、古典などを知ってるまともなオトナが絶滅しています。

 この風たちぬのマンガだって実はアホ向けではないんです、ツァラトゥストラ、トーマス・マン、ヘッセ、空洞実験、などアホには到底わからない要素が多分に入ってる、現行のマンガにはそういうものは無い。どんなアホにもわかるようなマンガになっています。少年向けというのは必然的にそうじゃないといけない、けどオトナがそれしか読まないとしたら、ガキの頃から一切何一つ進歩してないことになります・・・村上春樹だの、村上龍だのも、Iはそのアホ向けのものとほとんど変わらない気がする・・

 そして社会に認められている文化というのは死んだ文化です、大衆にもてはやされてるということは、実は何一つ新しいこと、を言ってないということです。新しいこと、というのは常に危険だから、危険でないものは、ただの過去の繰り返しです。

 社会が幼稚化して右傾化してどんどんアホになっています。社会全体がアルツハイマー状態、集団社会アルツハイマー病として、群論的アプローチで分析したほうがいいのかもしれないですね。といって打つ手はないのだけど。