2013年7月19日金曜日

雑ダンス / スーパマリオブラザース USA and 3 

スーパマリオブラザース USA 1988 クリアーー


 ガキの頃プレイした時は、へぇマリオがUSAで活躍するんだ・・USAって何?
(あのぽっこん?キャサリンがUSAっていうイキモノだと思ってましたね)そいでUSAがアメリカだっていうことを知る。なんでアメリカがUSAなの?ってトモダチに聞くと、アダ名だよとかなんとかごまかされた。united states of americaなんてまどろっこしい名前知らないわけです。もちろんgreat britain and north ireland united nationなんて知るはずもない。
 けど違和感があって、ゲームの世界、えっアメリカってこんなとこだったっけ?ヘイポー(インディアン?)砂漠、雪・・アメリカらしさのかけらも無い。ただUSAで発売されたというだけで、ゲーム内の世界はアメリカではないというのも後にして知る。
 そして今調べたところ、これはなんかフジテレビとの企画物のソフトが、どういうわけかすごく良く出来たので、マリオシリーズってことにしちゃえっていう結構無茶な販売戦略で作られたものらしいです。
 ミヤポンはでもこれがシリーズ最高と言ってるらしくて、確かに、マリオでもなんでもないのですけど、マリオのキャラが立っているし、ゲームもスーマリとして生かされている部分も多くてバランスもベストかもしれないですね。ただピーチがカワイクなさすぎ・・wあのドット絵で美少女を描くのは無理なんでしょうね、なんかケッタイなおばはんにしか見えないものねw

 Iはだいたい続編ってのは(同じ事の繰り返しが)嫌いで(映画とかドラマにしても)やらないのですけど、マリオだけはやってしまいますね。やってまうわぁ。

 ミヤポンはほんとすごいってふつーなことをまた言いそうですが、でももしミヤポンがいなかったら、ゲームが根付かなかったかもしれないけれど、逆にまったく違うタイプのゲームの歴史があったんじゃないかとも思う。純粋な楽しさ追求よりも、もっとなんか表現的で美しいものであったり、インテリたちが楽しむ感動的で高度なものだったり、あるいは教育に特化していたり・・・

 天才は天才に騙されるということです。阿呆のいうことに騙される天才はいないのだけど、天才の過ちは、天才も素直に受け取ってしまうので、それを疑うってことが難しい。アリストテレスのエーテル論、カントのカテゴリ論、プトレミーの地動説、アインシュタインの量子力学否定・・天才が間違ってホラを吹くとすごい悪い効果が持続する・・・・そしてそれが決定的な間違いじゃないにしろ、方向性を決定してしまうってことがある。

 ミルのフェミニズムも明らかにそうだと思う・・完全平等を訴えるフェミニズムははっきりいってコトバだけの無茶苦茶だと思う、むしろ適材適所。を考えるべきなのに・・けどミルのフェミニズムの悪影響は現代にも深く根を這っていて改変しようがないですね、むしろ批判するとガリレオみたいに犯罪者扱いだもん。差別論者!人種主義者!クズ!!ってね。 しかし移民をほとんど受け入れないでニッポン、ニッポンいってるバカな島国が一番差別的で人種主義だと思うのですが・・・


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 ゲームとアニメーション
あまり語られないことですが、ゲームってアニメの技法がよく使われてますね、ドット絵の普通のアニメーションからトラック移動(強制スクロール)、つけパン、いまは3Dアニメーションが主流でキャラも背景も3D作画がほとんど。というとフクザツになったようですけど、3D作画の方がキャラに関しては早いし安いでしょうね。ドット絵、別にセルハーモニーでも手書きのほうが時間も金もかかる、そしてセルハーモニー処理のゲームってのを見たことないなぁ・・・それってエロゲーかw

 
 ともかくアニメーターの仕事はどんどんこれからアニメ自体よりもゲームになっていくのですね。最終目的はゲーム・・・


 時間が余ってるからゲームをしている、のではないわけ

 時間と予算がしっかりあったらもっと長期的な視野を持った事が出来る、例えば資格試験を受けてみたり、語学をやってみたり、研究をやってみたり。
 けどそういうのは年齢制限ばっかりでしかも金も甚大にかかる、年齢制限もないし比較的安価で、時間がなくても楽しめるからゲームをやるのであって、暇だからゲームをやってるわけではない。残り少ない時間を楽しむためにゲームをやっているのではないか?
 

 だからよりゲームは進歩しなければならない・・・


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 スーマリ3 1988  クーリア

 正統の続編がついに出たっていう感じでした。ちょっと、バラエティに飛んでるけど、やっぱ初代の時のような驚きはないよね~、どんだけー!って調子のレヴューを書こうという死せる魂でやったのですけど、やっぱ完成度高杉晋作ででして、批判する要素なんて無いですね。ただカエルマリオ一回も使わないで終わることがあまりにも多い。たぬきも一回だけ。バリエーション作ったわいいがほぼ使われないと。

 
 ただどこでも言われてることですが、セーブが無いので、普通にクリアしようとしたら二徹覚悟でやらないといけないゲーム。よくセーブ無いファミコンをスタートボタン押して音消したまま寝たなぁ・・・・それで学校から帰ってきたらブレーカー飛んでてでデータ抹消、親と殴りあいの喧嘩という・・・親子の仲を裂く鬼の子ゲーですw 
 
でもそうやって親と絶好してると、急にトモダチと親密になれたりするものです。今ではたぶんメールで、ウチの親最悪、こんな家に生まれたくなかったっていう愚痴をぶつけてるんでしょう。死にたい死にたいメール・・・なんか中学の頃流行ってましたね、なんか少しでも面倒なことあると、あぁーーー死にたい!!って廊下で叫ぶような遊び?

 あれはでも結構本音なんですけどね、今は親が離婚してるのが1/3らしくてコロコロみんな名前が変わるようですが、オトナから見ればくだらないことだけど、やっぱガキにはしんどい話ですわ。結局カネでもめることになるしさ。うちも親がなんか別居するとかしないとかで揉めて、このクソども死にさらせって何度思ったことかw  盗んだバイクでは走りださなかったけどr



 けどオトナもレベルの低いクズばっかなんだな、と14くらいで気づいて後はまぁクズだから仕方ないって思えるようになるのですけどね。思春期は親と仲が悪くなってるようで、実は関係が途切れる最後なんですよね。
 後は別に死ねば、っていう風に、仲が良くなってるのではなくて、どうでもよくなってるだけなんですね・・・


 だいたいにおいて、能力の高い人はコドモを作らないものですし。社会に求められるような才能のある人は、コドモに関わり合いにならないものでしょう。