2013年9月19日木曜日

Op9 making 104 / Chris Marker - One Day in the Life of Andrei Arsenevich 1999






 あれ? 四枚しか描けてない・・・・遅っ!・・・とくに何かあったわけではないのだけど・・・




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 MARKER 特集二回目は、アンドレイ・アルセーネヴィッチの一日というタイトルだけでは何の映画かさっぱしわからないけど、分かる人にはわかってしまう。

 タルコフスキーのことです。

 というわけでAKで彬黒澤を、この作品でタルコフスキーを撮影したマルケルは、唯一、戦後の二代巨匠のドキュメントを作った、ということにIは勝手に決めています。


 黒澤と、タルコフスキー、やや次点で、キューブリック(あるいはブレッソン)ですが。しかしこの二人が頭1つ乗っているでしょう。キューブリックはそれでもエンタメ作品の監督だから。もっと言えばタルコフスキーの前では黒澤も、やや娯楽映画の作家です。映画、を芸術としか捉えない、本当に純粋に芸術家としての映画監督はタルコフスキーしかいない。そもそも芸術にはならない媒体なんです、映画って。カネがかかりすぎるから。けどタルコフスキーにだけはそれが出来たのですね。なんでか?っていうのはこのドキュメントを見てやっとわかります。

 タルコフスキーは、エネルギーの固まりみたいなヒトだし、愛さずにはいられないタイプのニンゲンだからです。なるほどな、と思いましたね。もっとなんか根暗で、むっつりしてるようなヒトかとおもいきや、ものすごい明るいというか、エネルギーがすごい。

 戦後に映画を作ったのはI的にはこの二人です、というか、戦後に、映画に何かを加えられたのはこの二人だけです、他は、ただ戦前の繰り返しだった。と大批判を受けるだろうことを断言します。ただ表現としての映画、ゲージュツとしての映画、はもはや完全に失われた。

 (もちろんアニメーションは映画とは扱ってないです)


 そしてその二人のドキュメントを作れるのは、マルケルしかいないだろうとは思いますね、天才は天才によってしか語られ得ない。文学批評を、才能無い奴が書いてるのは驚きです、漱石を評価出来るのは漱石しかいない、漱石よりも優れた作家がいないから。
 マルケルは、才能が服着て歩いてるような、天才的 エディター ですからこんな真似が出来るのですよね。

 マルケルはそう、監督、じゃないんです。 編集、の天才なんですよねこのヒトは。映画は部屋から一歩も出ないで作るべきだと言っておる通り。



 ほとんど素材を編集、するだけで作品を作る。それで映画、の仕組み、フォーマット自体をぶっ壊すのがこの人のスタイルでした。



 たぶんこれは日本では永遠に手に入らないのでは?Iは英語版を観ました。マルケルのナレーションはかなり、文学的なので、英語けっこう聞き取れるヒトでも厳しいですね。Iはロシア語ちょっとできるので結構わかりましたが・・・・。


 入手経路はあかせませんが、日本で手に入れるのは、ほぼ不可能です。