2013年9月23日月曜日

random review マルクス・エンゲルス 資本論 Ⅰ 1867~

*これと、自分用のノートをまとめるのに相当時間がかかってしまいました。ふぅ・・・、それでもやっぱこの本は聖書以来のベストセラーとしての価値がやはりあるんだろうなと思います・・・



 PREFACE
  
労働者(というか無資産者)のバイブルと呼ばれてる本ですが。実際バイブルのような分量を持っている強烈な本です。そして現代まで、1968年までは、唯一
 意味のある 本でした。無資産者にとっては。プロレタリにとっては。
 
 ヘーゲル的弁証法にもとづいていてわかりにくくて、難解、みたいなイメージが持たれているけど、難解なものなんて別に何もないし、ヘーゲル的弁証法、っていうのは、ようするには(無根拠な)自己正当化です。

 そして別にヘーゲル的弁証法には別に基づいていません。資本論についた語る人の99%は資本論なんて読んだこともない。というのは、共産主義者批判に言われますけれど、共産主義批判者ももちろん99%は読んでいません。資本論は、共産主義の本というよりは、資本主義、とその御用経済学を批判して共産主義的視座を得ようという、なんだろう、誘導的な本です。論理は決して難解ではありません、ただ、間違っているところがあるので、破綻しているというだけです。
 
 かなり大事なコトなのですが、資本論は未完です。マルクス自身が書けたのは1巻とその改訂版だけで、二巻以降はノートの羅列をエンゲルスが一応読めるように整理はしたものの、結局よくわかんないものです。だからIは、資本論と呼べるのは、1巻だけだと思いますし、そして1巻だけで結構完結してるといえばしてると思われます。


 直線的に、マルクスが(科学的社会学)が何を間違ったか、というを指摘できます。

 社会、は科学、では分析出来るものではない。

 ってことです。社会科学なんてものは、存在出来ない。でもマルクスが悪いのではなくて、科学、ってものがなんなんだろう?ってのをきちんと考え出したのは20世紀からです、19世紀には科学、はなんとなく数値、と事実に基づいたものであるだろう。っていうふうな、コトしか考えられていなかったと思います。そういうわけでは19世紀科学に基づいた社会主義、ってことなら確かにこれは19世紀中頃の科学に基づいた社会主義の本です。マルクスが法螺吹いてるわけではない。

 社会がどうして科学で分析出来ないか、というのは、これも至極簡単ですが、自然、のルール、物理法則は、カミサマが決めたのかは知らないけど、最初から決まっていて、公理として存在するから、それを分析することで、一般法則が導けるのですが。社会のルール、はニンゲンが決めてるので、それを分析しても、勝手に書き換えられてしまうので、結局、何も一般的なものは得られないということです。

 商品とはなにか、で資本論は幕をあけるのですけど、20世紀論理学では商品とは

 商品という名で呼ばれている概念としてニンゲンが決めたもの、です。

 一般的に、商品とはこれこれだ。こういうものだ、って分析はほとんど意味がない。ただ現代社会では商品というコトバは、こういうことを示している、というコトバの説明をしてるだけです。あるいは勝手にコトバに自分の概念を当てはめているだけです。
 そして全員が、商品、というコトバにたいして、完全に同じ概念を抱くことはまず不可能です。理解力が違うし、経験や感覚も違うから。
 コトバ、には限界があって、コトバ自体に一般性が無い。社会を科学で分析しようというのは最初の一歩から躓いています。



 けどそういうマルクス批判はどうでもよくて。
ほんとに大事なことは。

 なんで奴隷を殺してはいけないのか?

という理由が無いということではないでしょうか。マルクスはともかく労働者が悲惨に扱われている、奴隷であるということを繰り返して、直接的ではないけれどこれを是正しなければならないと考えています。マルクス、は目的があって学問をしているのです。
 それをプロパガンタ(つまり自分の主張したいことを伝えるための学問)だといって批判することも出来るけど、社会学、として何の目的もない社会学なんてものがあるのでしょうか、というか自然科学でさえも、目的の無い、学問ってのは無い。どんな学問だって、多かれ少なかれ何かのプロパガンタを含んでいる。数学だって、現実とは関連無い、純粋数学、さえも、ほんとは実世界への応用を考えている。(でなければみんな同じ記号を使う必要がない、誰にも伝わらない自分だけの記号を使えばいい)
 
 それでも現代の学問は目的、の無い客観的なものだという嘘をつきます。結果何の目的もない経済学があります。ミクロ、マクロ経済学と呼ばれているもの。すべては需要と供給で価格が決まるのだ。という教科書に乗っているあれです。
 で!?が何もない。ただそうやって経済は決まるのだ、という事実を示しておわりです。銀行がカネをばらまくと、金利はこう動く・・・
 で!?は何もない、ただこうしたらこうなるはずだ。ということが羅列してある、こうしよう、は何もない。
 ケインズでさえ、目的があります、失業を抑えるにはどうすればいいかというテーマが。ただ現在の経済学にはそれがない、ないのではなくて、無いという嘘をつくのです。

 でもそれはまったくおかしいということに気づくはずです。そうであるならば、完全独占が生産性が最大であるはずです。
 たった1人、の独占者が、すべてを独占して、すべてを完全に合理的に運用するように経済は動くはずです。つまり1人の資本家、に対してすべて奴隷、という状態が、生産性がMAXになるはずです。もし数式通りに経済がうごくならば。
 そしてその独占者は生産物をすべてそのまま破棄すればGDPはほぼ無制限に増殖するでしょう、すべて生産してそのまま捨てる。あるいは擬似的に売り買いしてループすれば売上を無限に出来る。

 まったく目的、の無い経済ではそれが可能です。目的論ではない、社会学、はそれほど馬鹿げてるものです。

 なんで全員奴隷にしてはいけないのだ?というマルクス経済学の批判もそうです。奴隷を殺せばいい。商品が売れなかったら殺せばいい。競争者を殺害すればいい。労働者が反発したらすべて殺せばいい。わざわざカネを出す必要もなく略奪すればいい。
 
 科学的、な分析は出来ない。科学、には価値論が無いから。ニンゲンを奴隷にしてはいけない、は価値論です。

 価値論はすべてトートロジーであり、価値論的公理は不可知である。
 
 20世紀初頭の論理学革命がそれを証明してくれました。そこから科学、というものがわかっていくわけです。 


 経済学には一般的なものなんて無いってことです、高齢者医療問題という問題を取り上げてもそうです。

 殺せば?

って思う人がいるはずです、生かしておく理由がない。ただのオマエの勝手な死生観だろう、死がそもそも悪いはずだっていう根拠もないし。労働者が悲惨で豚のように扱われていると、左派は言う。

 何がいけないんだ?

なんで豚のようにニンゲンを扱うのはいけないんだ?

 そういう主張をするニンゲンは実際にはいて、貴族や権力者達でしたが、今ではいないということになっているけど、憲法や法律が変わっただけではニンゲン自体が、変わるわけじゃない。けどそれがなぜいけないのか?これは価値論ですから理由は無いのです。なぜニンゲンを殺すのはいけないのか?とテレビで昔子供がオトナに尋ねたということです。
 
理由は無い。ただ人を殺したニンゲンを、牢屋にぶち込んで縛り首にするように国家も暴力によって復讐するようになっている、それはたった今そうなっているだけでこれからはわからない、あるいはキミが、国家よりも強力であるならば、人をどんどん殺しても何のリスクもない。
 これが誠実な回答じゃないですか?

 
   
 卵子と精子で人口培養して、労働家畜、としてニンゲンを牧場で育ててそれに働かせればいい。ニンゲンという名前がいやなら、ヒト型労働力、として。リモコン爆弾でも脳に埋め込んでおいて、反発したら脳みそずしゃあってことにすればいい。


 非常に、経済的、であるでしょう。なんでそれがいけないのか?




 以上が概括的なマルクス批判、というか 科学的、なんとかと名のつくすべてのエセ科学批判なんですが。

 蛇足ですけどそれでも唯一、科学的、でありうる社会学は、軍事力学でしょう。最後には最強の武力を持つ国が残る。これは非常に物理的な問題です。


 科学、である必要は無いわけです。マルクスが間違っていたからといって、マルクスの悪口を言ったってしょうがない。
 Iたちは生きてるんであって、マルクスの悪口を言ってる暇なんか無い、間違ってるとこはちゃんと訂正して、じゃあどうしていけばいいのか?もっといい生活をするにはどうすればいいのか、っていうコトを考えないといけないはずです。ほとんどのマルクス批判、というやつは上記みたいなただマルクスの間違いを指摘して終わりですけど。
 本当のマルクス批判はマルクスが一番言いたかったこと

 資本主義は改善されなければならない。

 ということを考えなきゃいけない。だってそれが上手くいってないというのは、どんなバカにだって明らかなはずでしょう。
 マルクスは2つの世界大戦の精確な預言者でありましたが(資本論は共産主義革命を暗示する本として書かれましたが、結果的には、世界大戦の必然を分析する本になりました)あれでも資本主義は成功であると信じてる奴には、もはやコトバが通用しない狂人と思うしかない。世界大戦が終わっても、資本主義は何一つ変わっていない。また同じことを繰り返すに決まっている。
もっと前向きな話をしよう、ただ文句を言うのではなくて代替案を出す、そうじゃないと話にならない、ただの悪口です、マルクス個人をけなしても仕方ない。資本主義がうまくいかせるにはどうすればいいんだってのを話そうよってことですね。

 マルクスの言ってること、に注釈をいれまくっても何も始まらないです。マルクス経済学は論理として破綻してます。それでも、マルクスの意思。労働者の為に何かをしないといけない、ってことに共感するヒトは多いのではないでしょうか。

 それとマルクス自身は、本当に誠意を持って本を書いています、嘘っぱちを書いたれと思って書いてない。それだけでもこの本は価値がある、誠意があるニンゲンの本なんて殆ど無い。値段がついて本屋で売られている本に、本当に他人の為を思って書かれた本なんて無い。無料で配れって話だから。

 そして西洋人が、ここまで徹底的に西洋文明を批判した本は初めてなんじゃないでしょうか?西洋の国家というのは徹底的にクズのウジ虫ばかりだというコトをこんなに声高に言う本はないです。そしてフランス革命は人民ではなく、ブルジョアの革命であったというのを指摘したのも、明確に定式化したのもすごい功績だと思いますね。
 なぜならどの国の憲法にも

 「所有の絶対」

が書かれているからです、神から与えられた神聖な権利だと言っているのです、ブルジョア憲法は。現在の世界においても憲法はブルジョア憲法のままです。

 所有が絶対

であるのは誰がどう考えたって、嘘でしょう。神から与えられた権利であるはずもない。資産があるもの(ブルジョア)の自己肯定です。本当に人民の憲法があるのならば

 所有は絶対ではなく、公平に分配されなければならない。

 となるはず、誰もがあたりまえに思っていることですが、相続権というのもおかしい。なんで財産は家族、に分配されるのか?その理由はどこにあるんでしょうか?




 


まとめ



 献辞は
勇敢、誠実、高潔なプロレタリ戦士、ウィリアム・ヴォルフへ
 となっていて、この本の正体を明かしている。

・Iは新たなものを学ぼうとして、また自分自身でも考えようとする読者を想定している

・パリサイ人=ドグマ的偽善者の象徴

・Weは生きているものだけでなく、死んだものにも悩まされている


・発展段階を飛び越えることは出来ない (ソ連革命への預言)

・個人は主観のそれとは異なり、必ず社会の被造物である

紫衣=王権 黒衣=法権

・科学的批判にもとずく一切の意見を歓迎する、しかし世論という偏見だけには一歩も譲歩しない
 
――汝の道を進め、ヒトには語らすにまかせよ
                  DANTE

・ミルは無気力な折衷主義者である、調和するはずのないものを調和させようとする・・

・観念的なものは、ニンゲンの頭で整理された、物質的なものにほかならない

1883/3/14 マルクス死去

・イギリスの産業は市場の不断の拡大なくして不可能であり、自由貿易はその方策を使い果たした

・市場の拡大 y=kx
生産の拡大  y=kx^2
 常に生産は過剰になり失業者は増えるばかり。終わりなき不況。
 しかししつぎょうしゃが自分の運命を自分の手につかむ時がくるはずだ
                       エンゲルス 1886

・中世の教会は10分の1税を受け取っていた。それを正当化する根拠は何も無い

・マルクスの引用はシェイクス、ダンテ、ゲーテ、聖書・・

・資本家にとって労働者は人格化された資本にすぎない

・生産財が社会の一部に独占された社会では、必ず搾取が行われる。過剰労働として。

・無知は迷信だけでなく、勤勉の母でもある。資本主義生産が最も反映するのは人々の精神がニンゲンを1つの機械とする社会である。 
             A・ファーガスン 「市民社会史」

分業による単純作業はニンゲンを最も愚かにする、しかし労働大衆がそれをさけることはできない
               A、スミス

プラトンの国家論はエジプトのカースト社会のアテネ的理想化にすぎない

植民地理論 
 過剰生産(は過剰人口を必然に含む)→市場の拡大→国内市場の飽和、植民地化→世界の分割→分割の終了によると、植民地戦争→軍拡競争・・・
 
 マルクスの世界大戦予言。これは的中する。

・機械は労働運動を粉砕する強力な武器となる

資本主義の発達により家族、は破壊されて、子供は親の奴隷的労働力となり市場に売買される。児童の権利を社会が強制的に保証する必要が出てくる。


資本主義の土地開発は、その持続的源泉を破壊する(マルクスの環境論)
 これは非常に鋭いです・・・この時代にそこに気づいた人はほとんどいなかったはず。資本主義はミライのことを一顧だにしない。

・資本の生産は商品でも自分のためでもなく資本の剰余価値の生産であり。教師はその生徒に企業に剰余価値を与えるように教育した時だけに生産的である。 (マルクス教育論)
 これも非常に鋭い、そして教育の就活予備校化は現代において、最もグロテスクである・・・

なぜ貧乏人が増えると人口が増えるのか、Xは労働者がひどい状態に置かれて男もオンナも一緒くたにされると、無知と野獣化が促進し、少女が退廃して、子供を生むという?
 しかしそこまでひどかったら死んでしまって子供は生まれないのでは?

封建制であった農民から、土地の私有という権利が発明されて、領主は暴力的に農民から土地を取り上げた(囲い込み)そうして土地を奪われた農民が浮浪者になり、浮浪罪が制定されて、浮浪者は死罪となる。浮浪者は拷問と、虐殺の後に、プロレタリアートとして奴隷市場(労働市場)を形成して、資本主義が始まる。
 →国家の軍隊化と奴隷化。


1791 フランスでは早くも団結禁止法が制定された、労働者の団結は資本家の所有を損なうからである、フランス革命は民主革命ではなくブルジョア革命である・・・

イギリスでは魔女狩りが禁止されると同時に、銀行私兵の偽造が死刑とされるようになった。(両方共魔法だ)

 植民地化の過程で、資本家は、貧困層のいない未発達国家においては、いくら資本があっても労働者がいないということを発見した。まず貧困層が生み出されなければならないのである、そのために奴隷制がしかれた。奴隷がやがて解放されて労働者となる。奴隷がやがて解放されて労働者となる。彼らは自由、の為に、勤勉に労働するようになる。
 しかし、本当の自活した自由は、最初に奴隷にされた時に永久に失われたのである、土地の権利はすべて奪われているから。