2013年9月19日木曜日

憲法9条 スタジオジブリ 熱風  憲法について

http://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf

ジブリーズの憲法問題というか、これからの政治問題についての意見が熱風7月号に出ていて色々と話題を呼んでいるみたいです。



*この文を昨日書いたのですけど、いまいちの出来です。しかしまぁいっかと思って載せますせっかく書いたんだし。


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 確かに、憲法について誰の意見が聞きたいといって、まず宮崎駿、って人が多いんじゃないですかね。けど前も描きましたが、戦争に本当に参加した世代はもう全員くたばっているので、みんなかすっただけで、実際の経験に基づいたものなんてほとんど何もないです、これは事実です。参謀や、実行者の側にいた人々は一人残らず死んだ。兵卒や子供として空襲を受けたみたいな、一面的記憶、だけではそりゃ戦争を賛成する理由なんて1つもないでしょう。みんなの意見はもう聞けない、というか戦後すぐに殺してしまったのですもの、裁判で。そいつらの意見を聞かなきゃ始まんないのに、すぐに縛り首にしちゃったんですもの。そっから民主的議論なんて生まれっこないじゃん、もう最初に反対するやつは全部殺してから、さぁ平和について語ろうなんて。
 もう最初に対話の可能性なんて無いもの。
 民主主義自体が民主主義的話し合いでは生まれてないのです、民主主義者はどうもそれを無視しますけど。民主主義はフランス人民が、あるいはイギリスの貴族が、武力を後ろ盾に、あるいは実際に使用して、権力者から勝ち取った権利です。権利を強奪して分配したと言えばいいのか。
 王はあるいは権力者は、話し合いで、なんの後ろ盾もない純粋な話し合いで、権力を分配しようなんてしない。民主主義はいつも、民主主義に反対する者達をギロチンで血祭にあげてから始まります。反対者は全員殺してから、さぁこれからどうしていくか考えようよ。なんです。そんなん話し合いでもなんでもないです。

 民主主義の決まり、として憲法はあるわけですから、憲法自体が、権力闘争で生まれているということを忘れてはならない。権力闘争の手段として、憲法を使うな、みたいなのは、憲法の神格化であって、誰にしろ、憲法を決めた奴に、必ず都合のいいように書かれているものです。神がモーセに与えるように憲法は空から降ってきたわけじゃない。


 でもそもそもの話ですけど、なんでゲージュツカ、に政治的意見を求めるのですかね、Iが思うにゲージュツカなんていうのは、政治的にはまったく無責任というか、才能だけで、どんなクズであっても、才能だけで、認めさせる。存在するっていう、アンチ体制の生き物だと思うのですけどね。そしてそれがかっこいいのでしょう。
 
 どんな種類のどんな政府にだってゲージュツカは文句を言います。Iもそのはしくれだからわかる、ゼッタイニどんな政府にだって反発します。高福祉国家なら、税金が高すぎてまったく文化が生まれない、アメリカなら、何もかも軍事力で解決しすぎだ、中国ならくたばれ官僚主義ってね。
 じゃなきゃ何もいうことが無いのですもの。もしもIたちが楽園に住んでいたら、ゲージュツカは存在しない。あるいは楽園は退屈だ、っていって、楽園を燃やすでしょうね。楽園に住んでいるやつらは果物を食べてSEXだけをする、サイテーのクズだって言って。家畜以下だ。
 いきなり核心をついてしまいますが、そのずっと平和で仲良しこよしで何も無くてただ寿命で死ぬのを待つだけの人生。(経済を発展させると必ず戦争になるから、非常に小さなコミュニティの自活社会)、プラトンの国家論に出てくる初期の理想の国家、地上の楽園。金の時代。人間の歴史の過去のどこかにあったという黄金時代。(宮崎駿さんが望んでるような社会、あるいはディープエコロジストのいう自然との共生社会)はあらゆる社会の中で一番耐え難い社会だと思います。退屈さと死への恐怖を最大化させるにはどうしたらいいかって考えると、まさに楽園になる。生きてることも死ぬことも最悪の苦痛になる社会、その極限が楽園だと思われます。
 あるいはもっと簡単に言うと、完全に暴力が禁じられた世界。頭のチップか何かで暴力をふるうと即死する。みたいな、衛生的な素晴らしく平和な世界。これは、たぶんゼッタイニ人間には耐えられない。もちろん動物にも。どんな種族でも絶滅するでしょう。
 暴力、と非難されているものは、生きることの根幹だから。力、を徹底的に排除したら、生きることも排除することになる、生きることは、どうあっても暴力だから。
 ほんとにそうか?って思うひとは是非、こういう想像をして欲しいです。一切!それこそ一切暴力をふるわない人間の物語の映画脚本を書いて見て下さい。主人公だけじゃなくてその世界では一切!暴力のない世界なのです。
 あるいはドストエフスキーのおかしなニンゲンの夢を読んでもいいかもしれません。


さて本質的な話はさておき論文の内容は
 要約すれば、みんな憲法改正には反対です。理由はそれぞれです、アメリカのいいなりだ、安倍首相はバカだ、アベノミクスはポシャる、自民党のカネバラマキで投票は取れる。ともかく借金をばらまけば選挙で勝てる、産業構造の変革だ、教育が悪い・・・ etc



 どれもこれもその通りです、今の政治家たちにまかせてもろくなことにならない、戦争になれば被害も出る。


 ・・・ブルジョアだね。と思う。結局みんな守るべきものがあって、生活するのに不便の無いブルジョアのタワゴトです。これを、今にも餓死しそうなホームレスが言ってたらIはその人を尊敬しますよ。実際はそうじゃないもの。
 そしてブルジョアは口先だけは優しいけど、実際にはなんにもしない、行動としてはまったく何もしないのです。
 どれもこれもてめぇの都合ばっかじゃないか、という気がしてたまらないですね。今じゃあシリアで死んでる人はどうなるん?たった今、飢えて死にそうな人はどうなるの?
 そんな人間世界中にゴロゴロしてますよ、一体何が守りたくて、何が目標なのかわからない。それにその日本日本、っていう区切り方が大嫌いです。国家なんててめぇが勝手に決めた区切りじゃんか。
 
 そして今何の希望もなんにもない人は、別にどういう仕方で世界が滅びようとどうでもいいですよ、バカな政治家がめちゃくちゃやってぶっ壊れても、たいした職にもありつけないで、生きててもつまんないだけ、って人は平和なんて求めてない。第一生きてることにウンザリしてます。そういうのを平和ボケだって言うのは違うと思います。自殺する奴は平和ボケなんでしょうか?だって死んでるのですもの。それで戦争の恐ろしさを知らないというのでしょうかね。
 だって死んでるんだよ?今、たった今死んでるヒトがいる、けどこれ以上悪くならないように憲法は守るべし、というのはおかしい。それはあなたが今死んでるヒトじゃなくて、たまたま安全な生活が保障されてるから平和と現状維持といってるだけじゃん、自分が危機にさらされても、まだ安穏な生活をするひとがいるなら、そちらを守るために仕方ないなんて言えるんですか?

 

 それに政権批判にしたってどうせどうやったってダメです、別にアベノミクスでも緊縮財政でも、遅いか早いかの違いでしかない。社会保障なんてものは、誰がどうやったって、無茶苦茶です。だって資本主義と社会保障は両立し得ないものですもの。
 だからってどんな政権が高齢者を全員ぶち殺して、彼らの預金で借金を返す、社会保障は打ち切り、貧乏人はくたばって死ね。なんて政策出せるんですか?そして誰が投票するわけ?老人で有効投票の70%なのに。


 平和を望むのは小金持ちのブルジョアだけです、そしてブルジョアは!ゼッタイニ自分たちの権力や資金をみんなで公平に分配しよう、なんて提案はしません、それで、ある程度貧しくてもいいじゃないか、とか寝言言うのです。貧しくてもいいというセリフは貧しいやつだけが吐けるのです。

 ブルジョアには平和を語る資格なんてない。あるいは戦争も。語るべきコトバを持ってるのは、今日、明日死ぬかもしれない、ニンゲン達だけです。たった今戦火の下で生きてる人、たった今貧困の極みにあるヒト。そういうニンゲンが、平和を望むなら、それは本当だと思う。ワレワレは何も所有しないし独占しない、戦うよりは飢えて死ぬ。という決断をすることが平和だと思う。Iはそういう平和なら、ひれ伏して崇敬の念を惜しまない。Iはそうはなれないけれど。
 
Iは追い込まれたら、闘って死ぬことを選ぶ。

 憲法になんて書いてあろうが関係無いです。


 そういうわけでIの意見は、憲法なんて無くなってしまえってことです。こんなものあっても無くても同じです。他人の為に生きようというニンゲンがいればそうしたらいいし、自分だけよければいいっていうニンゲンは、死ぬまでそのままです。憲法なんかで変わりはしない。
 憲法改悪で日本はまた軍国主義に陥った、なんていうのは、後付で歴史として物事を眺めてる奴のたわごとです。コトバだけで何かを考えてる阿呆なんです。まずニンゲンが軍国主義に陥ってるんですよ、憲法変えてる時点で。

 いくら政府が太鼓かきならしたところで、全員がイヤダ!といって隊列を翻して国会に殴りこんだら終わりです。応!といって突撃していったらそれだけだってことでしょう。
 個人としてのIは、自分が正しいと思うコトをなすしかない。世界中が敵でも1人で戦わなきゃいけないし、憲法をやきすてなきゃならない。