2017年12月31日日曜日

よゐこ無人島生活  なすD 友寄D

http://www.miomio.tv/watch/cc358090/

 毎年恒例の無人島生活なんですけど、今回はもうほぼ100%なすDと言われている友寄Dという人物に食われてしまっています。

 わたし全然知らないでこの番組見るまでまったくわからないで那須っていう名前のディレクターがなんでかテレビ出てるのかな?と思ってましたら、まぁすげぇですね。

 こんなテレビにまだ情熱を持ってる人間がテレビ業界にいたんだ!ってちょっと感動してしまいました。ともかく野生児というか、ものすごいサバイバル力を持った素人なんですが、意味不明なくらいのバイタリティを持っていて、とにかく一番衝撃だったのは、無人島に漂着した中国のペットボトルに入っていた黒い液体をなんとそのままがぶ飲み。
 うっっそぉおぉぉんw まじで漂着物に入っていた液体飲みますか!?信じられない、お茶じゃなくてガソリンとかだったらどうすんの!?

 「死ぬギリギリを見せないと面白くない、そうじゃなきゃ見てもらう価値なんてない、頑張ってるところを視聴者は見たいんだから」


 コトバだけなら誰もいえますけども、このヒトのコトバには重みがありました、ペラペラの業界人の誇大広告気味な煽り文句じゃなくて、ガチで命がけで番組作ってんじゃん。頭おかしいぜw 面白いからって漂着物のペットボトルの中身飲めるやつなんてほんと今の業界に5人いないんじゃないですか?うんこ食べるくらいの覚悟がいりますよ。・・・そういうとうんこ食べるのが好きなやつも実はいるからなんか焦点がズレてしまいましたがw



 ほんとにこういう熱い人間がまだいたんだ、って感動してしまいました。結構今年の初めくらいから注目されていたらしいんですが全然知りませんでしたね~。すっかりファンになってしまいました、来年にも続編があるみたいなので期待大。やっぱ熱いのって面白いです、暑苦しいのは嫌、もっとおしゃれでクールなのにしようぜっていうのがありますけど、やっぱし熱いのは面白い。

  

 ただ画面の下にツイッターのコメントが流れるんですけどこれがまじで鬱陶しい、テレビでニコニコ動画の真似事やってどうすんだよ、って感じです、それにコメも凡コメばっかり、そりゃ無難なのを選んで流してるんだからそうなりますけど。みなさんのコメントを反映といいつつ、ディレクターが選んで流してるんだからそんなの視聴者の声を反映してるんじゃなくて、イエスマンを集めてるだけじゃんか、この偽客観性みたいなのがすごくムカつく、それに字が流れると人間の習性としてそれを見てしまうのでほんと邪魔でしかないです。邦画で日本語の字幕出てるくらい邪魔。
 素人がガタガタ言ってんじゃねぇってのも思いますし、こういうのに投稿しようなんてやつもことごとくクズどもだからほんとに嫌です。テレビの生放送見ながらツイッターするなんてクズ中のクズじゃないですか、暇すぎるだろ。
 画面の下を隠して見えないようにして見ましたけどなんでこんなことをしなければいけないんじゃ。

2017年12月22日金曜日

1996 新スーパーロボット大戦

 以前なんでスパロボってこんなにグラフィックが進歩してんのにいつまでもSDっぽい感じでやってるの?っていうことを書いたのですが、実はSDではないリアル等身のスパロボっていうのが存在していたのですね。それが新スパロボ、妙に知名度が低いのは、シナリオに問題がありすぎるってことがレヴューされてますけども、シナリオっていうよりはゲームの構造に問題があります。スパロボの物語部分読むやつなんてごくわずかですよ、みんなスキップしてます。



 8話あたりで地上と宇宙に分岐するんですが、これはスパロボいつもの分岐だなって思ったらそうじゃないんです、以下一切地上編と宇宙編は交わりません、宇宙に行ったロボットは二度と使えませんし、地上のシナリオは最後までずっと地上だけ。宇宙用のスペックが存在する必要ないじゃん!
 っていうかデータの無駄が多すぎますって、一方のシナリオを選んだらゲームの半分のデータはドブに捨ててるようなもんです。同じゲームの中に二種類のゲームが存在してる感じでして、スパロボの一番の売りである、お祭りゲーム的にアムロと機械獣が戦うみたいなことが一切起こりません。地上編を選んだらそもそもアムロが出てこないし。こりゃひどすぎる。しかもこの分岐がものすごい大事だよ、みたいなヒントは一切なし。


 両方の分岐を遊んでねってことなんでしょうけど、だったら8話とか微妙なところに分岐を置く意味がわかんないし、最初のオープニングで選ばしてくれりゃいいのでは?ともかくデータの無駄遣いです。分ける意味がそもそも無いですもん。
 話数も34くらいまでしかなくて、だいたい40レベルくらいまでしかあがりません。これもヴォリューム不足な気がする、2つのシナリオをあわせてミックスさせなきゃだめじゃん何考えてんすか!?
 


 グラフィックなんですが、これは相当緻密に作られていますし、当時としてはめっちゃ手間暇かかったろうなぁっていうムービーなどもあります、SRXなんて一回しか出てこないのにここにどんだけ労力を集約してんだよっていう感じ。リアル等身のロボットは・・・実際見てみると、たしかに、可愛げが無いかも・・・、っていうかスパロボの絵って背景に対して遠近感が無視しててあおりで描いてるじゃないですか、それがすごい変。空間が歪んでいて頭がちーちゃい。特にガンダム系は顔がちーちゃいと表情がわかりにくいというか・・・割りとイマイチかも。とにかくこの新スパロボ、が失敗作として認知されてしまったおかげで、リアル等身で描くっていう流れは廃れて、基本SD、カットインでリアル等身でCUするっていう形に決まっていったのですね。あとやっぱりリアル等身描くのがしんどいってのもあるんでしょうね、最近のロボット無駄にディテールがあったりしますものね。


2017年12月19日火曜日

にけつッ!!

 みなさんにけつっていうテレビ番組を見てますか?深夜にやってるケンコバとジュニアの二人が劇場でトークするだけという単純至極な番組。


 ガキの使いでダウンタウンがトークをしなくなって、その代わりとして生まれた番組といってもいいでしょう、スタッフがほぼガキと同じだし構成が高須のみっちゃんなのでそのままやん。

 ポストダウンタウンとして二人が選ばれたわけですけど、ワタシは、ジュニアがあんまり好きではないっていうか、ガキをずっと見てきて、どうも劣化版松本人志みたいな気がしてなんだか好きになれないというわけです。ケンコバはハマちょんの代わりじゃないし、全然色が違うのでかなり好きなんですけど。

 でもふとしたきっかけでガーッと10年分だいたいを見ました。


 やっぱりフリートーク番組こそ、実力が出るっていうのか、ワタシはネタってのが好きじゃないんですよね、笑わせよう笑わせようっていうのが鼻につくから、偶然というか、狙いすましてない、むしろ天然がツボなんです。
 ともかくそうはいってもジュニアは実力者なんだなぁと今更思いました。構成力がしっかりしてるっていうのか、松本人志イズムを受け継いでいるというのか。やっぱりしゃべれる 芸人さんですよなぁ。喋れる芸人、って実は本当は少ない。フリートークだけでちゃんと成立させることが出来るヒトってほんの一握り。

 じつはしゃべれる芸人、っていうのは、ラインを3本くらい走らせられる芸人なんだとワタシは思ってます、ひとつのことをしゃべっていながら、頭の中ではその話題、というライン、次の自分がしゃべる話題、トーク全体の構成、みたいなのが何本も走っていて、最初の話題のキーフレーズを三本目の話題と絡ませたり、トークの最初から最後まで、っていう全体の構成ってのが見えてないと、フリートークだけできちんと成立させることが出来ません。面白い話があって、それだけをしゃべることに100%使っているようではいつまでたってもゲストとして呼ばれるレベルを抜け出せない。
 このレイヤリングの話術、ってのが使えるのがしゃべれる、芸人です。でもこれはめっちゃ疲れるんですね、だからみんなやりたがらない。


 ちなみにさらに昔にはパペポといって、大阪ローカル?で鶴瓶と上岡龍太郎、という二人のトーク番組、ガキの使いは実はこれをパクってるのがあって、二人のフリートークだけ、というスタイルはそっから来てるのですね。

 それとガキの使いのトークは最初っから面白かったわけじゃないというのも大事なとこです、最初は結構グダグダだったけど5年くらいやり続けて完成されていったわけですね。松本人志は天才だってみんないいますけど、最初っからすべてに完璧超人だったわけじゃない、成長出来る場を用意したヒトもすごいんだよってことです。今はそうやって成長の場所、を与えるってことをしないから、ちゃんと能力が育たないんじゃないのって思ったりします。


 ともかくこういうフリートークだけの番組ってのは一番、今、ってのが直で伝わるメディアなのでニュース嫌いのワタシには大事な番組です。

1939 太宰治 火の鳥

 ヒトにはヒトを偉くすることなんて出来ない


ドキュメンタリー風に描かれた作品ですが未完です、大筋は架空の娼婦のような生活をしている女性が、黒色テロをして自殺をする男と出会って、心中するが自分は生き残ってその後女優になるという顛末。


黒色テロ!?

 耳馴染みがないコトバですが、黒はニヒルの黒。赤は共産主義者の赤。ってわけ。無政府主義者、といっても、無政府のほうが、自由競争によってうまくいくっていう市場至上主義みたいなのと、完全に虚無、すべてを滅ぼしてやりたいっていう全然違うのを指しますよね。この小説の場合は多分後者の完全な虚無主義者でしょう、たぶん。そのテロリストについてはあまり触れられていません。がすげぇプロットだなおい。っていう感じです。

 テロ、ってのが21世紀を象徴するワードだと思います。けど当然の成り行きといえばそうで、ガチでドンパチとなると核戦争になってしまって両方全滅になってしまう、けど、話し合いでは何一つ解決しない、階級は固定化される・・ってなるとそれが水道が流れるようにテロに向かうわけですね。この1939年の戦前、っていうのもだいたいそんな感じで、どうしようもない空気ってのが充満してる。けど戦前にはもちろん戦争という形がそれが爆発するわけですけど、21世紀は爆発する事もできずに、戦争無き戦前状態ってのがずっと続いてるわけです。

 そういうわけで、現代とシンクロするのはやっぱり1930年台なんですよね、すごい共感、出来るんじゃないでしょうか。

 すぐに死にたくなっちゃう!自殺っていうのがすごく身近に存在していて、生きてくのがしんどいってのが非常に伝わってくる。かっこいいんですよね、そぉいう感じが。かっこいいってのがすごい便利なコトバで、面白い!っていうコトバがあまりには汎用性が高すぎてもはや無意味になってるのに変わる新しい万能用語になるとワタシは思っています。

 かっこいいです、この小説のキャラクターたちは。未完となってますが、こんなの発表出来るわけない、って途中ではっと気づいた感じですね、熱に浮かされるようにダーッと書いて、ちょっと冷静になって、いやいや、これは本当のことを言い過ぎてる。ってやめる。けっこうこれって物書きあるあるだと思います。ちょっと待て、本音を書きすぎてる、だめだよ、っていう気分。

2017年12月15日金曜日

1986 Top Gun トップガン

 有名だけど見てない映画を見ようのコーナー。

 戦闘機映画といえばトップガン、ほかにあんまし戦闘機をフィーチャーした映画ってのは聞かないですよね、第二次大戦でスピットファイアだのムスタング、B-21とかが出てくるのはありますけど戦後の超音速戦闘機が出て来るのは少ないし、出てきてもネタとして登場というか、リアリティの無い登場の仕方をします。

 実際に戦闘機が戦った、という事実が相当少ないのですわね、相手もちゃんと戦闘機で戦ってくれる国ってのが存在しないわけで、中東の戦争だって、一方的に爆弾をぶち込むだけで戦闘機同士が戦って活躍するなんて機会はないし、っていうかもしそんなことになってたら、核戦争のリスクがありすぎてやれ戦闘機の空中戦がどうのというレベルの話ではなくなってしまうから。


 核ミサイルが死ぬほどあるのに、わざわざ莫大な予算をつぎ込んで戦闘機を作る意味がまぁわかんないですけどね、軍需産業にカネをあげるためだけにやってるようなもので。


 映画としてはほとんど内容は無いに等しいようなもので、トム・クルーズが若くてイケメンであって、金髪の上司とセックスしたり、同僚が死んだりするっていう物語です。
 ただ戦闘機のシーンは他の映画では見られない映像というか、なるほどなぁ・・っていうシーンばっかりです。一体どうやって撮影したのかって感じ、それとめちゃくちゃお金かかったろうなぁ・・・っていうことだけが深く印象に残ります。今みたいにCGじゃなくて本物を使ってますからね。

 絶対にハリウッド以外には作れない映画ですね。F-14、トムキャットは複座機で二人乗りってことすらも普通のヒトは知らないですものね、戦闘機ってのはだいたい一人乗りだと思っています。まぁ後ろのヒトが何をやってるのかちっともわからないのですが。

2017年12月12日火曜日

1844  早すぎた埋葬  the Premature Burial E・A ポー

ポーの短編小説で、いわゆる生き埋めモノの始祖的な作品。火葬するタイプの国からするとあまり理解しづらいテーマですが、キリスト教とか、死者復活系の文化のところには常に刺さるテーマみたいですね。

 ポーという作家は、新たなジャンルをたくさん生み出した、ジャンル自体の創出者として他にいないくらいのパイオニアです。

 まずこの小説にもあるようなホラー小説、そしてルーモルグの殺人のような探偵小説、スリラー小説、サスペンス小説、そして象徴派風の詩。

 こんなにたくさんのジャンルを生み出した作家は他にいないんじゃないですかね?本屋の棚を見ると、ほぼポーが生み出したジャンルは、今では小説の三分の一は確実に占拠している状態。

 純文学は全体の5%以下かさらに少ない、ファンタジー小説は戦後にかなり勢いを伸ばして、いわゆるラノベみたいなのもファンタジーに入れると25%くらい、歴史小説、SFが10%くらいずつ、あとは官能小説とか、どうしようもないクズみたいな小説(恋愛小説のことね)、がちょこちょこあるって感じです。ちなみにポーはややSFチックな作品も書いています。

 いわゆる文学賞的なものも今では純文学っぽいのは少なくてほとんど、サスペンス小説をちょっとこねくり回したものがほぼ全てです。

純文学って何なの??っていうとこれはもう終わりなきBGMで結局はっきりとした答えはないんですけど、ワタシが思うにはつまりはリアリズム小説のことなんじゃないの?って思います。カミサマとか魔法とか魔物、殺人鬼とかが出てこないやつ。殺人鬼は実際にもいるじゃんって言うでしょうけど、そんなの一億人に一人くらいの確率でしか存在しません。そんな超特異な性質の人間を主人公にしてるのはやっぱリアル、ではないんじゃないの?って感じです。


 ワタシはホラーっていうジャンルがすごい苦手で、なんでわざわざ怖い思いをするのに時間やカネを使わないといけないんじゃ、って思うタイプです。でも探偵ものとかサスペンス系は結構好き。

 それでもやっぱりワタシが一番すごいって思うのは象徴派的な詩まで作ってるところですよね、いわゆるこういうホラーとかやたら黒が多様されるジャンルの人間で、詩までこなすってのは特異な才能ですよね、だからホラーとか苦手やなぁ・・・とかなんか重い、暗いっていうのが苦手なヒトにも刺さるように小説も作られています。構成力というのか、書き方、っていうのもかなり独特で19C前半の人間としてはどう考えても早すぎる、時代の先を行き過ぎてます、生前はかなり貧乏だったというらしいのですがさもありなん、図抜けて優秀すぎて周りは一切ついてきてない感がすごいです。

2017年12月11日月曜日

2000 ドラゴンクエスト 7 Ⅶ

 今更こいつはなにを言ってるのか!?と思われるでしょうけど最近DQ7をプレイしました。実はワタシのゲーム履歴って初代プレステがぽっかり抜けてるのですよね、ちょうど受験とかでゲーム離れしてた時代というわけで。よってプレステ時代のゲーム補完計画が始まることになったのである・・・

攻略情報

・石版の間までの道のりが非常にめんどいとお困りのみなさん、ルーラで謎の神殿に移動するとすぐに石版のところにいけますよ、最初に説明してよ!!何回もあの道のりを歩いてしまったぜ!

・キャラの抜け入りが結構あるのでどう育てていけばいいのかわからん!というヒトに単純な答え、全員をゴッドハンドに目指せば間違いないです。
 ちなみに
キーファ、序盤の終わりで抜ける。
ガボ、加入から最後まで
マリベル 中盤で抜ける ラスダン手前ぐらいで復帰
メルビン  中盤の後半で加入 最後まで
アイラ  終盤で加入 最後まで
 です。マリベルはたぶんほぼ使わない。終盤で再加入してもずっと棺桶でもおk
回復はしゅくふくの杖と賢者の石しかほぼ使わないので僧侶すら不要。打たれ強いやつに杖をふらせれば良い。ゴッドハンドにするまえにパラディンになるので結局全員僧侶は通過する羽目になる。

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今回のドラクエ(も)わりかしノーヒントすぎて石版集めがすごい大変。今回は石版は必須アイテムで取り逃したら進めないのですけど、それが普通にダンジョンの宝箱に入っていたりフラグの立ち方がわからなかったりと非常に攻略情報なしだとストレスを抱えますこのゲーム。
 まぁドラクエは昔っからうそぉん!そんなのわかんないよ!っていうのがあったりするゲームでしたけどね。ワールドマップの沼でラーの鏡を拾ったり。この7は特にそれが多い気がします、街の全員と会話しないとわかんないじゃんみたいなの。過去と現代を行き来してイベントをこなさないといけないのですがこれもかなりムズい。

 とにかく長いというのが7の一般のレビューのようです。(最終的にプレイ時間は70時間くらいでした。ワタシはロープレは50時間は遊べないとだめっていう基準なので、これはかなりの合格点)確かにヴォリュームという点では素晴らしい。エンドコンテンツという便利なコトバが今はあって、つまりは裏面のことですけど、せっかくキャラを強くしたのにその強さを発揮する場所がなくてゲームが終わってしまう、裏面はあるにはあるんだけど、ゴリゴリのコアユーザーにしかクリア不能でレベル上げのやる気が起きない。っていうことがなくて、ギリギリ耐えられるくらいのレベル上げで攻略出来るようになってます。
 といってもワタシはレベル上げすぎました、たぶん42くらいでラスボス勝てるんですが、47くらいまで上げてしまって、全員ゴッドハンドにしてしまったので、ラスボスめちゃ弱っ!ってなってしまいました・・・。レベル上げるつもりはなかったんですけど、ゴッドハンドにはしたかったので・・・。
 ともかくバランス調整がすごく緻密になされています。レベル上げはたぶんギリギリまでしないで大丈夫。転職システムなどがあって自由に育成出来るとかにすると難易度のバラ付きが多いんですけど、全然戦闘向きじゃない職業ばっかり、ってことにしなければ、ギリギリ勝てるラインにボスが設定してあります。
 (ワタシみたいに最短で全員ゴッドハンドにするとヌルゲーになってしまいます、あと剣の舞が優秀すぎ・・裏を返すとゴッドハンドという職業が圧倒的に最強すぎて他の職業が存在する意味がほぼ無いです、モンスター職なんて一回もならなかったし・・・ゴッドハンドはアルテマソードという最強の攻撃、ザオリク、ベホマラーを覚えるので万能です、ゆうしゃはまったく意味の無い職業、ここだけバランス調整が出来てない気がする・・、ほとんどの職業がほぼ空気)


 ゲームで一番重要なのはバランス、これがワタシの信念。ドラクエっていうある意味単純なロープレが今もずっと人気であり続けるのはドラクエはゲームバランスにおける信頼感があるからだと思います。雑いゲームだと、あるキャラが強すぎて他がゴミ、オーラバトラーが無双、主人公一人で勝てる、バランスブレイカー技が存在していて他の技一切使わない、ってことがしょっちゅうですけど、ドラクエはいっつも発売延期を繰り返してギリギリまでそのバランスを調整しているのでしょう。ワタシはドラクエ派では全然ないんですけど、そこは素直にあっぱれ!w

2017年12月8日金曜日

1909 永日小品  夏目漱石

 短編というかエッセイみたいなものを色々に織り交ぜた作品で。

 夏目漱石っていう作家は、何が言いたいのか、というのをはっきり言わない作家です、どういうことなの??っていうのを読者に委ねる。突き放したようでもあり、ミステリーや謎解きになっているともいえます。一体この作品は何がいいたいのか?っていうのを考えながら読まないといけないから、読み手を試しているようで、なかなか・・おっおれはわかったよ、こういうことだろ??っていうのに勇気がいったりします。他にこういう書き方をする作家はあまりいません、独特のスタイルなんですよね。

 イギリスに留学していた頃の昔話がかなり書かれているのですけど、やっぱり20世紀初頭ごろのイギリスに日本人が、しかもあの夏目漱石がいるってのはすごく妙なアナクロニズムみたいな感じを受けます。あの乗合馬車と霧のホームズが走り回っている頃のロンドンに、日本人の学生が詩とシェイクスピアを学びに来ているというのは、脇役として登場したらとっても変な感じですよね。

 戦前という時代は実はものすごく現代よりも先に言ってるというか残心だなぁおいっていうものがあったりします、戦前のほうが前衛的だったって気がかなりする。挑戦的なエネルギーに満ちています、ファッションなどを見ると、戦前のモードファッションってのはすごい。セカイ全体が持っているエネルギーってのはもぉパンパンに膨れきっていていつ爆発してもおかしくないという空気感がすごいのです、実際爆発するんですけど、そういうスケールの大きな感じ、ってのを感じさせてくれるものが現代にはあまりないのですごい羨ましいですね。

2017年12月4日月曜日

1983 フラッシュダンス

いわゆる映画名作ランキング!みたいなのに入らないけれど、一部の世代に非常に刺さった作品っていうものがありますね、映画にかぎらず、名作や古典として残ってはいないけれど、記憶に残っているっていう。

 この映画もその手のもので、現在40くらいの人々にかなりビシっと刺さった映画だと思います。

 映画レヴューや映画賞みたいなのってつまんない映画に賞を与えますよね、映画賞としてのかっこつけだったり、批評家としてのおごりだったり。結局は病気もの、戦争もの、子供、刑務所、がだいたい賞をとることになります。はいはいまた中東の戦争ね、へぇへぇ・・・。っていう感じ。


この映画は青春ダンス映画みたいなもんで、ダンスの正式な教育はまったく受けてない女主人公が、バレエダンサーになりたいという夢に向かって頑張るっていうものすごい王道極まりない青春映画。ただ、女性主人公ってのは当時は珍しかったのでしょうね、今ではむしろこっちが主流なんですが。夢を追う若い女性たちっていうのがテーマになっているのではかなりパイオニア的な映画のようです、だからこそ当時の若者にはかなりぐっときたんでしょうね。

 ストーリーも至極わかりやすいこと極まりない、バレエのオーディションなのにブレイクダンスのようなポップダンスをかまして合格するという、なんか漫画でよくありそうなやつの元祖なのかもしれません。今ではポップ系のダンスのほうがむしろメインストリームみたいになってますけどね。

 ダンスってのはポエムと同じくらい現金化しにくいメディアです、ダンスを見てお金を払うっていう文化が無いというかそういうルートが存在してないというか。結果、バックダンサーみたいなことで脇役みたいなことをして小銭を稼ぐことになる。
 けどだからこそ尊いってこともあると思います、脇役にとどまるということじゃなくて、お金にならない芸術だからこそ素晴らしいと。

 ある数学者が言っておりました、数学な実生活には何の役にも立たないものだからこそ美しい。

 カネにならない芸術だからこそ美しいってわけです。ワタシは未だにお金持ちの表現者ってやつを信用しないという前時代的な反骨精神を信奉してますw 

 CDは今は売れないから音楽業界はだめになるってJASRACのクズどもは言ってますけどワタシは絶対にそんなことないと思います、宅録の技術も進歩してるし、っていうか一般人はそんなに音質なんかにこだわっちゃいないですし、カネにならないから音楽辞めるっていうやつは辞めても続けても、いい音楽が生まれるかどうかには一切関係ないという気がします。
 カネなんかなくたって情熱とアイデアと才能さえあればいい曲は出来ます、映画とかとは違うんですから。

2017年11月27日月曜日

FIBAバスケワールドカップアジア1次予選 日本対フィリピン

http://www.miomio.tv/watch/cc353060/


 ようやく日本でもバスケの試合が放送されるようになったのですね、なんかめちゃくちゃ揉めてましたけどもBJリーグなるプロリーグも出来たばっかしなのですが。

 いやぁ・・・・、弱いですねw

 普段NBAを見てると、やっぱ3Pって普通は入らないんだよな、ステフとかがかんたんに入れまくってるのを見慣れていると、いや、全然入らないじゃん!エアボールとかまじかよ!!って思ってしまいます。

 日本はバスケ後進国でして、ほんとーにバスケが弱い。女子はまだましなんですけど男子は国際大会の予選すらも突破できていないような有様です。

 と、結果を言ってしまいそうになってしまいましたが、言わないでおこふ・・・。

2017年11月25日土曜日

1974 おにいさまへ 池田理代子

 おにいさまへ、というタイトルからいくと、ブラコンとか、兄妹の禁断の愛みたいなマンガなのかなぁと思いきや、実は全然違います。真逆といって良い。シャープな百合マンガです。

 貴族的女学校?に入った主人公が女たちばかりの社会で、さらに学校の中にあるエリート集団に入ることになり・・・という。百合学園モノのお約束的なのがふんだんに盛り込まれております。ワタシは百合マンガ、まったくと言っていいほど詳しくないんですけど1974年でこんなのありなんか!?っていう展開で度肝を抜きますね。少女漫画とありますけども、すごい大人向けマンガです。


 ワタシはすごい関心したのは、主人公たちのファッションですね。そのセンスとかはいいとして、常に違う服装をしてるんです、毎回毎回違う服を着ている、そんな服ありえないだろ!っていう古典ローマとかギリシャ風の服を着てたり、ロリロリな服からゴシックまで、脇役ですら柄物のワンピをコロコロ変えていて、すげーって思いますね。脇役の服なんて考えるの面倒だから同じ服にしたくなるじゃないですか。それに髪の結び方などにもバリエーションがたくさんあって、これもすごいです、この辺さすが少女漫画ですよね、男の漫画家でそういうセンスを感じさせるようなヒトはいません。井上雄彦に誰もファッションのセンスを求めてませんし。
 けどワタシはキャラデザってのはそいつのファッションを決めることなんだと思ってます。顔とか目の書き方ってのは、モーフィングみたいなもので、だいたいの定番ってのは決まっている、それに実は顔の形なんて特に美男美女はみんな似通った顔をしてます、かき分けが出来てないとかいうけども、パリコレなどのファッションショーを見ると、だいたい美人の顔のパターンなんて3種類くらいしかないってわかります。もちろん東洋人とか黒人を使うことでバリエーションを出せますが、それはキワモノっていうか裏技みたいなものですからね。
 だからどういうファッションか、っていうのがキャラデザのほぼすべてだと思っています。けど、なかなかマンガで、すげぇファッションセンスだ!っていう作家はいませんね。本職のデザイナーでも、うぅん・・、いまいちってのが多い。斬新なファッションってのは難しいですよな。

 作品に話を戻すと、このマンガは女の嫌な部分がゴリゴリに出ている、露悪的な作品でありつつ、しかし憎めないかもしれない、と思わせる作品でして、ということはこの作品はよく出来ているんだなって思いますね。
 女ってのは、すごい自己中なんですが、自分が悲劇の主人公になりたい、ものすごい不幸とか、ものすごい苦労が襲ってきても、なんかそれをドラマティックに波乱万丈に生きてみたいっていう、このマゾ野郎!っていう薫のセリフじゃないですけど、そういう、悲劇のヒロイン願望ってのがあるんでしょうね、それはでもある種の強さを持っているってことでもあって、女性の良いところでもあるわけです。

 それとこのマンガ、最後の終わり方が素晴らしいです。終わり方でものすごい好きになりました。文庫本で2巻なのでぜひおすすめしたいです。


 百合というジャンルについて付記すると、百合、というジャンルにかぎらず、女性向け作品で「セーラームーン」が女向けオタク業界に与えた爆発的な衝撃は、一般的なオタクの「ドラゴンボール+エヴァンゲリオン」よりも甚大のようです、セーラームーンを子供のときに見て育ったセーラー世代が今クリエイターになってて、こぞってセーラーについて何かを持っています、大好きだったり、くそがっ!って思ってたりどちらにせよ。百合ジャンルってのが男のヲタクのマネーで動き出したのもそっからみたいですね。

1988 銀河英雄伝説 わが征くは星の大海

 タイトルが非常にダサくて、なんかあまり手が出なかった「銀河英雄伝説」ですが、見てみると、結構作画がしっかりしていて、なかなか楽しめます。

 タイトルからいくと、なんとなくアメコミみたいなノリのスペース・オペラみたいなのを予想しますけども、すごく硬派な宇宙戦争ものです。

 女性キャラがなんとほぼ一人も登場しない(間接的に言及される姉様くらい)あとはモブの娼婦くらいなもので、媚びないなぁ~と関心してしまいます。この時代は媚びないで作品を作ることが許されていたのだなぁと思います。

 たぶん過去と現在のアニメとかの男女比率は逆転していて、今は女キャラが8割、下手すると9割で男性キャラはいたとしても、あまり中心的でなくてツッコミ役か、あるいはとってつけたような熱血キャラとしてステレオタイプなキャラ付けをされていることが多い。物語の中心はだいたい女キャラになっていると思います。まぁそれは今まで散々男キャラを使い尽くしてこすり倒したからっていう理由もあると思いますけども。


 この作品はほぼ美少年?というかわりとルックスがいい男子ばっかり出て来るので女性向けの作品なのかも。

 宇宙の時代の話のはずなのになぜか帝国はドイツ系で占められていて、名前もラインハルトだのキェルヒャーだのとドイツの貴族チックなネーミング。アナクロニズムなんです、貴族趣味。それとBGMもOVAだから著作権料を減らしたいのかほぼクラシックで占められていております。


 ただやっぱりタイトルがどうもダサすぎませんか・・、もっとなんかしっくり来るタイトルだったら認知度も上がっていた気がします。
 ACクラークの小説みたいな感じで昔のSFってこういうウソみたいにダサいタイトルだったりしますけども。英語圏ではタイトルはシンプルなのがかっこいいという価値観があります。THE KID、とかTHE TIME , 12 Monkeys  みたいな感じで多くを語らないのがおしゃれ。シンプルなのの権利を早めに取っておくとあとから使えなくなるっていうやらしい発想もあるんでしょうけど。それを日本語にすると、子供、時間、12の猿、みたいなウソみたいにダサいタイトルになってしまうのですね。


 ただワタシは最近の文章的なタイトルも大嫌いですけどね、「なんとか部活やめるってよ」、から始まり「xxxxがXXXXなんだがXXX」みたいな2chっぽいネーミング・・・
 

2017年11月22日水曜日

1939 太宰治 創世記

 太宰治にたまにある、むちゃくちゃに書きなぐったような作品。実際には全集に収録されるまで発表されてない未発表作なのでさもありなん。

 太宰が芥川賞が欲しくてみんなに頼んで回った、太宰治かっこわるい、というエピソードがありますけども、あらゆるかっこ悪いことをすべてこなしている太宰治にそんな悪評なんて屁の河童ですね。

 ワタシは最近、太宰治ってのは第二次大戦前の日本、って言う時代を代表する作家なんだよなぁというのをすごく思います、漱石は明治そのもの、文明開化そのものを体現している作家ですが、太宰は戦前の日本というのをがっつり反映しているのです。

 戦後に書かれた戦争あと話みたいなものがたくさんあるし、戦争世代の作家っていうのはそっちの戦後に、作家になった人たちのほうがを言うんですけど、でも本当の戦争世代ってのは20~45年に活躍している作家ですよね。

 けれど太宰の作品で直接的に戦争の話やら、軍国主義の政府の話なんかが触れられることは滅多にない。でもやっぱりその社会状況がすべてなんじゃないですかね。

 作中でジャンキーとしてのエピソードが書かれてますけども、やっぱりそういう時代のものだと思います、戦争がなくて、何もやることがなくてスリルを求めてドラッグに向かうのと、現実があまりにもリアルで、それから逃げるためにドラッグに走るのとでは全然違いますものね。

1987 リーサル・ウェポン

聞いたことはあるけど見たこと無い映画特集。

 この時代の映画って今となっては、CGが無いからリアリティがあって、別の価値が生まれて来てますよね。ダイハードとかそのへん。うわっ!あぶねぇっ!っていう緊張感があります。ヘリで車に横付けしてみたりと、今の普通にミスってない!?っていうのとか、あと車のクラッシュとかも、そういうふうにクラッシュするんだ、っていう方向にぶち当たったりしますね、CGでやると、いかにもクラッシュしましたという感じですが、とりあえずぶつけてみよう、という実写だと計算は出来ませんが、想像を超えた動きをもたらしますね。 
 この映画めちゃくちゃ金がかかっているという感じではないのですが、お金の使い方が上手くて、ここぞというところに金がかかっていて面白いです。割りとおしゃれ目に作っています。

 

 CGはどんどん進歩して、映画はどんどん荒唐無稽、ファンタジーよりになっていて、映画自体から離れているヒトもけっこういると思います。すぐに地球滅亡、人類の危機、とかいうけどどんだけ地球に危機迫ってんねんってことで、やりすぎましたよね、地球滅亡もの。もうたまには滅びて欲しいって感じです・


 最後には謎の格闘シーンがあったり、ベレッタの拳銃だけキャノン砲みたいな音がしたりとけっこう謎が多いのですけど、なかなかおもしろいですね、ベレッタに憧れるのもわかる。

 

2017年11月15日水曜日

1908 夢十夜  夏目漱石

 教科書にもよく採用されている、漱石の中でも有名な作品。

 けど漱石の作品としては異色でして

「こんな夢を見た」

 という始まりで、10夜の夢物語を語るというものです。夢なんてものはそんなにはっきり覚えていることもないしディテールがあるわけでもないので、夢といいつつ、ちょっとしたアイデアを夢から得て、それを膨らまして物語にしてるというものでせう。


 ややファンタジーっぽい感じで、どっちかというと写実主義の漱石の作品の中で色が違う作品です、そのちょっと幻想的なところがこの作品が人気がある故なのかもしれません。


 漱石の描く美人ってのは、だいたい漱石の作品には美女が登場するのですが、当然和装でモガじゃないんですけど、絵が浮かんでこないです。ただ美女であるとか瓜実顔であるとか、心持ち首をかたむけてしゃべる・・とか。具体的にどういうのを漱石は美女として描いているのか?っていう絵を描きずらい。漱石の趣味がわからんのですね。だいたいシェイクスピアが想定している美女は思い描ける、クレオパトラはたぶんこういう感じ、ポーシャの顔つきもなんとなく描ける。けど、明治の日本の美人、っていうののテンプレがよくわからない。
 西洋ってのは美女、の基準がずっと同じなんですよね、ギリシャ・ローマ時代から、今のスーパーモデルみたいなのまで、ほとんど同じプロポーションと顔つきをしてる。けど日本はカメレオンのように流行り廃りが変わっていて、太古の時代、宮廷時代などコロコロ変わっていてよくわからん。浮世絵の美人ってのもなんだかわからない。

 
 漱石ってのはどうもモテたようには思えないし、女遊びをしそうなタイプでもないので、女性、の内面、っていうのがほとんどないような気もします。外面的っていうのか、一般的な型、として性格付けをしているというのか。そして常に、自殺と神経衰弱のイメージが背後にある。それはこの夢十夜でもそうで、悟り、切腹、入水、死、のイメージが次々と現れる。それが漱石の現代的なところで、そういう世界観とかイメージみたいなのが、漱石がずっと色あせない理由なんでしょうね。一言でいうと、暗いんですね。


 

2017年11月14日火曜日

Chatmonchy について

 どういうきっかけだったかわかりませんが、チャットモンチーを最近はずっと聴いていて、ようやく「共鳴」、までを聴いてアルバム的には現代に追いつきました。


 そこまで知名度は高くない?十分高いのか知りませんが、よくワタシの大好きな曲っていうのである時代の女性にはものすごいヒット率が高いのがチャットモンチーなんですね、いまだいたい25~38才くらいの世代。
 
 この世代に強烈に印象に残っているようです。「シャングリラ」とかが有名ですけど、これはワタシのテーマ曲、的なものを数々生み出している、非常に珍しい女性バンド。バンドといっても3ピースだったのが一人脱退して二人になってしまい、ユニット、になりましたけども。

アルバム収録曲すべて名曲、みたいなわけでもないけど、アルバムに1曲は、この曲はすごい、っていうのを残してくれるタイプのアーティストです。

 女性のバンドってのは、絶対に短命なんですよねw まぁ女ってのは基本性格悪いっていうか独占欲の塊みたいなとこがあって、ずっと友達♡ ほど脆い人間関係もないわけで、女性バンドってのはほんと珍しい。たいてい2枚くらいアルバムを出すと崩壊するんですよね。
 

 それに基本女性アーティストってのは、アーティストっていうよりはシンガーだったりパフォーマーだったりで、曲自体を作ってるケースは珍しい。フェスとかで唯一自立して演奏できる女性アーティスト、と何かのレビューで書いてありましたけど、確かに、って思いました。

 とにかくヴォーカルの声質が突出してるバンドでそれだけでも価値があるんだと思います、ワタシは音楽で誰かを褒めることはひじょーーーに珍しいので、ぜひ、聴いて見てほしいですね。


 ワタシのお気に入りは「世界が終わる夜に」っていうセリーヌの小説みたいなタイトルの曲。おや・・・ただものじゃない。っていう曲です、この曲でものすごい好きになりました。


 

2017年11月13日月曜日

1939  愛と美について 太宰治

 性格の違う5人と兄妹がかわりばんこに一つの小説を作るという短編。

やっぱりキラキラと才能を光らせますね、すごいなぁ・・。

末弟の弟が解析論の話を初めて、ガウス、カントール、パスカル、などから引用をあやふやにしていきます。一体太宰治はどこでこんな高等数学のネタを仕入れたのですかね?やっぱり戦前の大学生ってのは相当な賢さですよね。昔の大学生とか専門学校生ってのはスーパーエリートなんですよね、高等教育を受けてるのが10%とかの時代だから。英語は当然第二外文も相当やりこんでいる。今の学生とかよりもよっぽど博識です、今の学生にイプセンのノラが云々・・・、カントールの無限集合論が・・・、なんていったってそれを専門にやってる人間以外はまったくわかんないと思います。

 「幸せの予感があるってだけでも今の時代では幸福なんです」

なんて鋭いことも書いてあります、1939年・・・、いぃ時代ですね、ものづくりをする人間にとっては。


いわゆるリベラルアーツ、教養、ってのは日本ではまったく重視されなくなりました、唯一東大だけが教養を重視していますが、ほかの学校、というか大学自体が就活予備校みたいになっていて、就活が3年のゼミを決めるころからもう始まってしまっていて、あとは何一つ勉強しません。

 大学生の1年は長い受験勉強からの解放感からで勉強なんてできるわけないし、ようやく2年になって慣れて、そろそろ何かやるかって頃にはもう3年になり、就活と卒論を書くだけで終わってしまう。大学は4年あるけども、実質2年の一年間しか何かカネにならないことに無駄に時間を使うことはできないのです。


 昔の大学生が賢いのは彼らがスーパーエリートの金持ちの子供なので、そこまで真剣に就活に取り組まなくてもいいからなんです。今の大学生がバカなのは、彼らがカネを持ってないからでカネがないとつまり時間がないのです。別に人間としての知能は平均的には何も変わってないとワタシは思います。


 リベラルアーツ、は自由な知識ってわけですが、みんな就職のために大学に行ってるので、自由な知識などを勉強したいわけじゃない。

 私は大学なんて無くていいと思います、本当に一握りの暇な金持ちが年齢問わず教養を学ぶスペースがあればいいわけで、学費と時間の無駄遣いなんだから大学なんて無くして、1年制の就活予備校みたいなのにみんな入るってことでいいんじゃないかと思いますけど・・・・。

2017年11月12日日曜日

スマホゲーム RMT スーファミ

 スマホの話をもう一つ。

 スマホゲームってのが今ではゲーム業界のほぼ半分?くらいにまで成長しているようで、膨大なスマホゲームがあって、業界の大手ももれなくスマホゲームを作っています、FFもあればDQもあり、グラブル、ロマサガ、SO、なんでもあります。

 
 ワタシはスマホじゃなかったのでまったくやったことがなかったのですけど、スマホゲームの専門用語みたいなのが一般名詞化されてきていて(ガチャ、レア確定、課金)一体なんのこと??って思ってたのですが、ようやくわかりました。

 だいたいスマホゲームってのは、ゲーム自体は無料なのですが、経験値やお金の収入などがかなり低めに設定されていて、有料でお金を払うと、経験値やキャラや武器などが得られるようになっています。


 それはオンラインゲームが流行りだしたころにプレイヤー達がゲームの中のお金じゃなくて、リアルマネー、現金の取引をすることで、ゲーム内で強い武器をあげたりする、チート行為 リアルマネートレード (RMT)、と言われたいたものを、ゲームを運営してるゲームマスターがやるということなんですね。


 それって・・・、詐欺なんじゃないの??? RMTと初心者狩りはオンラインゲームでは最低のマナーとしてバンアカウントされたりするものの代表でした。企業がRMTをするのはいいんだ・・・、なんかそれっておかしない??


 って、思うのはワタシみたいなオールドタイプだけなんでしょうね。ゲームを買う代金を課金に使ってるだけ、後払いをしてるだけなんだって考えれば、まぁその通りですし、基本的に詐欺か詐欺じゃないか?というのは政府に税金が入るかどうかという問題にすぎず、オレオレ詐欺が犯罪で、医師会が医療費を釣り上げてるのが合法なのは、政府にどれだけ利益があるか、っていうことなんですわね。どちらも老人とかを食い物にしてるんですけど、ともかく、税収になればよいのだ、税収というよりは政治家自身のポケットというか。



 それでもワタシみたいなオールドタイプで、課金て・・・RMTじゃん、まぢか?って思う人間は少なからずいると思うのです。

 PSOのように、RMTをしてるプレイヤーだけが強くなり、金を出さないPLが不利になるようなことはないよ、っていうのをうたってるゲームもあります。これはスマホゲームじゃなくてオンラインゲームですけど。オールドタイプ向けのゲームですね。


 で、ゲーム自体は、スーファミの時代のシステムだけれど、メモリの容量が増えたので音楽やビジュアルが刷新されているって感じですね、基本的には、ゲームは全部スーファミ時代のものです。
 これはでもワタシはいいなと思うところで、ワタシは3Dのゲームがやっぱりどうも好きになれません。テイルズとかも、あぁまた3Dか・・やらね。って感じで、3Dモデルよりもやっぱりイラストじゃないとやる気が起きません。スーファミでゲームは完成されてしまったわい、といういやなゲーマーですw でもこれだけスマホゲームが流行ってるのはやっぱし2Dゲームのほうが感情移入出来るっていう人が多いんだと思います、アジアの美意識は平面構成で、立体構成のグレコローマン式の美意識にはあんましぐっとこないのだとワタシは思うものなり。
 端的にいうと西洋では美女のヌードの彫刻などを作ってぐふふ、とやっているのですけど、ワタシはなんにも感じない、ニケやヴィーナスなどもやっぱり何にも感じない、何がいいのかちっとも理解できない、カラダが反応しない。まぁ顔の作り自体がアジアは平面的で西洋は立体的ですものね、そりゃそうだって感じです。


 RMTには納得いかないですけど、ゲーム自体はなかなか良い、ってのがワタシの感想ですね、あと買い切りゲームではできないどんどんストーリーやイベントが追加されるっていうのもあります。でもワタシは普通の買い切りゲームとして作ってくれたらな・・と思いました・・・。


 天下のADOBEも、Creative Cloudといって、買い切りではなくて月々お金を払い続けないといけないようになっていますしね、でもワタシのADOBEはCS6より先に進歩することはおそらく永久にないでしょう。脳に映像を描くだけで絵がかける、みたいなことにならない限り。

 

1906 文鳥 夏目漱石

最近ワタシの読書スタイルはついにスマホになりました。本を持ち歩かなくてよいのですごく軽くて便利、さらに画面が光るので暗いところでも夜でも外で本が読める、これは今まで見逃していたけどめちゃくちゃ便利です。

 電車とかでみんなスマホクルクルやってて、こいつらバカなんじゃないかと思っていたワタシもついにそのグループの仲間入りというわけです。そりゃ今更紙の本なんて誰も読まないよな。


 人間には自分で光を出す器官が存在しない。これは人間という生物の一番の欠陥です、ほかにも直立してるので腰が弱いとか、肩が凝りやすいとか、排泄したあとにアナルが弱点だとかいろいろあるんですけど、やっぱり一番は夜に目が利かないくせに光を出せないということです。だいたいのイキモノは夜だって目が見えるし、光を出すことができるイキモノもいます。超音波で空間を探る能力などもある。

 だからスマホってのはその最後の臓器、としてほぼ体の一部となるのでせう。脳が飛び出して目になったといいますが、さらに脳の処理機関と記憶、大脳新皮質を分離してスマホになったのでせう。


 読書するときに全集とかにしか入っていないマイナーな作品ってのは非常に困っていました、ワタシは家では本は読まないタイプです、ほかにやることがありすぎる。でもまさか漱石全集とか太宰治全集みたいなのを持ち歩くのはしんどいです、これ絶対読む人間のことを考えてないだろ!って本がたくさんあります、ハードカバーなんていやがらせとしか思えない。日本の若者は本を読まないといいますけど、読ませようって気が全然ないとワタシは思います。海外ではペーパーバックが主流で、かなり安いし、薄いし、そして何よりものすごい軽い。英語ってのは日本語よりも1ページに入る情報量が多いんですね。日本で上中下三巻本みたいになってるものも、ペーパーバックだとけっこう普通の厚さの一巻本になってたりする。そして向こうは本を分けるというのが好きじゃないらしく、吉川英治の宮本武蔵、日本だと文庫だと7巻くらいだと思いますけど、ペーパーバックだと大きめの一冊になってました。これはさすがにでかいのですが、よく考えると値段的にはものすごい安い。さらに海外の人はペーパーバックをハサミで切り裂いて、読みたい部分だけ持ち歩くなんてこともするようです。ペーパーバックは読むためのものでとっておくためのものじゃないんですね、読んだらそのまま捨てる。海外の人はまじで本をたくさん読むのだな、と結構驚きました、とくに夜が長い国は本を読むみたい。


とにかく全集を持ち歩くのは学生の頃はそれをやってましたけど、学校で授業受けるだけじゃなくてほかにやることがあるのにカバンを占拠されては困ります。

 っちゅーわけで青空文庫をかなり利用させてもらっています、翻訳物が少ないのが玉に瑕ですが、ないものねだりをしてもしょうがない。



やっと本題ですが、この文鳥という作品は漱石の日記みたいなもので、文鳥を飼ったのだけれど世話をするのがおざなりになり、やっぱり文鳥を凍死させてしまったことに漱石が自分が世話をしなかったのに逆ギレするという簡単な話。
 
 漱石ってのはいろんな文体を持っていて、いわゆる名文、といわれる漢文調、坪内逍遥的な英語翻訳風の文体、古典風の文体、落語風の文体いわゆる言文一致体。
 文体で、漱石っていう人物の性格も変わるという感じがします、この「文鳥」は日記文学みたいに言文一致体で書かれているのですが、この文体だと漱石はけっこうな困ったちゃんでちょっとひょうきんというか、頑固なくせに怠け者みたいなニュアンスを持つ、漢文体だとすごい真面目で哲学的、やや厭世的な調子になる。
 漱石ってのはほんとの自分ってのを見せないタイプの作家ですよね・・・。

2017年11月9日木曜日

1906 趣味の遺伝 夏目漱石

 夏目漱石が日露戦争の凱旋の模様を見てから起こった事件について記した、ドキュメンタリー的な作品です。たぶんフェイクドキュメンタリーではない・・はず。


 WIKIなどによると厭戦的な小説であるとありますが、別にそれが主題ではないし厭戦的でもない。ただ漱石は浩さん、なる旧友を戦争で失ってそれについて書いているだけで、浩さんは名誉の戦士を遂げた英霊である、みたいな戦争を賛美する内容であったとしたら、それは小説にはならないです、だって世間の一般論を言っているだけなんですから。


 よく反戦運動、とか平和運動、みたいなことをやってますけども、なんか釈然としないところがあって、日本が戦争で勝っていたころ、実際には、戦争はいけない、なんていうやつは本当に少なくて、凱旋などを迎える民衆は本当に熱狂的、強熱的に歓迎ムードでしたし、メディアも、政府に言わされているとは到底思えない賛美をしていました、戦争で負けそうになると、政府に言わされているだけだったり、戦争を批判する人間は抑圧されたりしましたけれども、あの民衆の狂乱ぶり、とかそういうのは、一体あれはなんだったの?っていうことについて、まったく説明されないことがありますよね。
 特にNHKでは、戦争に勝利しているサイドがどれだけそれに対して歓迎とか賛嘆してたところっていうのはバッサリカットしている。

 
 そしてどうも私はあの、凱旋将軍に対して狂乱して盛り上がっていた民衆と、反戦運動とかデモに参加する人間が、同じ人間だという気がするのです。まさしくこの小説の題名の通り「趣味の遺伝」、DNAが同じ人間は、同じようなことを時代を変えてするということなんです。

 逆のことをしてるようで「体制側に属してみんなで騒ぎたい」というおなじ趣味の遺伝が起きているという気がするのですね。


 この小説は日露戦争を当時の人がどんな感じで受け取っていたかっていうのだけで歴史的な価値がありますよね。GHQの手が加わった、政府の公式声明ではない、リアルな当時の人間の感想です。

 
 ただやっぱり不思議なのは、決死隊として突入する浩さんの場面が想像で描かれているわけなんですが、なんでロシアと戦わないといけない??っていう疑問を持っていなかったのかってことですよね、ロシア?どこやねん?って話ですよね、現代でもロシア??ロシアって何よ?っていう感じでロシアについて理解してる人間なんて一握りですし、ロシアの文字がキリル文字だってことすら知らないのが大多数です。それと戦争する?一体どこのだれかわからない人間と、それに対して命を捨てられるか?っていうとものすごい疑問です。ワタシは無理ですね。
 ロシアと戦争するっていうのがどうも非現実的すぎて、体が動かない。

2017年11月5日日曜日

1939 花燭  太宰治

 太宰治の女中シリーズというようなもの。
 
 この短編は太宰が左派主義活動をしていた黒歴史についてのちょっとしたオマージュも入っていて、太宰が若いころに左派に傾倒して活動家、をやっていたということが裏にあります。

 女中の弟、の発言や、太宰の家に居候みたいに集まってくるニート集団もその関わりであるということなんです。

 戦前の日本の社会主義者というのは、本当に触れられることの少ないテーマでして、なぜかというにやっぱりGHQがその手の資料とかをすべてなかったことにしたんでしょうね。軍国主義もダメだけれど、社会主義はさらに発禁処分である。戦争が終わって社会主義が勃興することをGHQはさらに警戒したというわけでしょう。

 日本が戦争に向かって極右街道をまい進したことからもわかるように社会主義は敗北しました

 「転向」

 という言葉は左派には重い響きを持っていて、自分の主義などを曲げて行くことです。この1940年頃ってのは、まさにその「転向」を余儀なくされた時代だってわけです。


 貧しく弱いからといって神はそれを愛さない、その中にサタンがいるからである
強き者の中に、善がある、神はこれを愛するのである。


 という名文があるんですが、まさにこれこそ「転向」、主義を変えたことを示しているわけですね。貧しく弱い人間を救う、というのが、共産主義、社会主義のかなりの根本的な理想なわけですが、貧しく弱い人間が、善人だとは限らない。むしろその中にサタンがひそんでいる、これはのちのち共産主義が崩壊するなかでさらに明らかになっていくことでありました。

 太宰治っていうのは、第二次大戦、の時代の作家なんです。まさにその時代を体現している作家。夏目漱石が明治、という時代そのものであるように、第二次大戦という時代を代表する作家。そりゃ、今の時代の作家が太刀打ちできるわけはないよな・・・

2017年11月3日金曜日

1907  虞美人草

夏目漱石のいわゆる、プロデビュー作品。

 それまでの作品は大学教授をしながら副業として書いた作品でしたが、この作品は漱石は朝日新聞専属となって書いた作品であります。


 つい最近に、PCノベルゲームみたいなのは、文章がどうも大学生が頑張ってる感が出ていて内容が入ってこないって書きましたけど。漱石は漱石で、名文すぎてなかなかすんなりと意味が入ってこないですね。

 漱石の場合、漢語調ってのが問題があって、まず語彙が現代の日本人とまったく違う語彙の領域を持っていて、たぶんラノベなどを読む現代人には、いくら内容が面白くたって、伝わらないんですよね、だって知らない言葉なんだもの。現代人はその代わりに、英語の語彙が日常語にどんどん増えていて、今の語彙はもちろん漱石の時代の人には伝わらないでしょう、まぁ漱石は英文学教授だから英語に関しては圧倒的に出来るんですけど。


 やくしまるえくすぺりえんす、で朗読されているのは漱石だと思いますが、なんかものすごい名文なのだけれど内容はちっともわからん。むしろ英訳された漱石の草枕などを読むと、へぇ、そういう意味だったのか、という逆輸入現象がおきます。


 わたしはそこまで日本文学マニアではないのですけど、漱石より前に、プロ、の純文学作家となった人はいるんですかね?そりゃ新聞記者まがいの物書きはいくらでもいるんでしょうけど。

 よく言われる話ですが漱石が活動した期間はわずか10年、血反吐を吐いて死にました。それはデビューが40で遅かったのもありますけど、「風立ちぬ」の中で、創造的人生の持ち時間は10年、っていうのはこれを元にしてます。けど今の時代プロの作家で40から活動なんてのはほぼいないですよね、小説家じゃないにしろ、あらゆる領域で、参入障壁が高いんで、逆に高校生の作家とかのほうが売れそうだから多いくらいです。
 それと明治なんて病気や医療がないのもそうですが、戦争やりまくってる時代なんで今よりもボコボコ人が死ぬ時代、50まで生きたら長生きなほうです。10年、という年月の重さも全然違う。
 この小説で一応ヒロインの甲野藤尾、は失恋したというだけでショック死してしまうんですけどそんなわけあるかいな、っていうのは今の感覚で、100年前は、そのくらいのちょっとしたことで死ってのが身近にあるんですなぁ。


 さて前置きはそのへんにして内容なのですが、ワタシが思うにはこれは漱石の唯一の失敗作でして、どうも読者におもねっている感があります、こういう作品を書いたら大衆は喜ぶだろうっていうのが見え隠れする。

 プロットとしては、簡単に言うと、お金持ちで美人の令嬢か、恩人の娘、どっちと結婚するのがよかろう?という結婚とカネ、という身近な物語をその他の人物で固めているわけです。

 本文にもありますが、20世紀には切ったはった、で人間の本心に触れるなんてことは起こらない、きったはったではなくて日常のなかで人間の本当に触れるのが20世紀である、というわけで、ほとんど何も事件という事件は起こらない、リアリズム文学ですね。

 そういう物語としては、簡単な喜劇なんですけれども、文章はやはり名文の連発で、短い言葉の中に驚くほどの内容が含まれています。また情景描写による間接的な世界観の作り方も、そんじょそこらの凡人には真似できない、ただ達人すぎて何が言いたいのかほんとにわからないってことにもなりがちですw


 漱石の小説の主人公はほとんど30頃の何もしてないが、それほど金に苦労してるわけでもない、ややぼんぼんのニートで、彼らがそのあとをどうやって生きるか、っていうものが殆どです。だいたいはみんな、生きるべきか?死ぬべきか?という問題を抱えている。ハムレット君たちなのです・・・

2017年11月1日水曜日

2006 Fate stay/night 初代テレビアニメ版

なんかしょっちゅう名前を聞くのだけれど、一体なんなのかわからない作品が結構あって「物語」シリーズ、東方系、「ひぐらし」、がそれにあたります。

 だいたいPCのギャルゲーとかが発端となってるシリーズでして、わからない人には、一体どこから入っていいのかが全然わからん。ヲタクの内部から生まれてヲタクの内部で作られていくものなんでしょう。PCのノベルゲームってやらないヒトにはまったく未知の世界ですものね、テレビゲームにしたって、やらないひとには永久に知らないままってのが多い。FFとかですら、まったく知らないってヒトが結構な数いますものね。

 やらないひとには一切届かないのでちょっともったいないととも思う、特にゲームとかってクリアしないと物語の全貌がわからないので、すごい良いシナリオなのになかなか知名度が低いってことがあります。最近はそういうのを考えて、テレビアニメ化されるものが増えましたよね。ペルソナ3とかその代表だと思います。ゲームをやらないヒトにも入り口を広げてあげているというわけ。


 Fateシリーズも最初はPCノベルゲームで、ゲームらしく一本筋じゃないマルチエンディングシナリオのもののようです、アニメはもちろん一本のプロットになってしまいますけど、いろんな分岐を出来るってのはゲームのシナリオでしか出来ない技ですわね。ゲームのシナリオのほうはどうやらもっと長くて深いものらしいんですが、どうもワタシはノベルゲームをやりきるエネルギーが無いようだ・・・・


 内容はアニメ版に限らせて言うと、全然エロゲーっぽくない、シリアスでダークなファンタジーです。結構重いし暗い、ただPCゲームらしく仲間になるのは美少女ばっかり、しかもなぜかみんな主人公の家に移住する、何もしないのに女のほうから寄ってくる、デフォルトで完全に自分を溺愛してる、せんぱーい、みたいな隠れ巨乳が家に飯を作りにくる、そんな馬鹿なことあるわけが・・っていうまったくリアリティの無い設定ですし・・・ともかく不細工な女などは存在し(てはいけ)ない世界。



 それとPCゲームっぽいテキストの構成の仕方、これはなんていったらいいんでしょうね、PCゲームシナリオ特有の言葉づかいとか書き方がありますよね・・・、本で調べた知識をそのまま使ったっぽい感じ、あとキャラを立たせるためにしゃべり方が非日常くさいっていうのか。これがワタシはちょっと苦手。ラノベもそうですが、なんかそのへんの大学生ががんばって書いてるような感じがう~~む・・ってなる。


 シナリオ全体としては、なんかむちゃくちゃやーーーん、っていうところもかなり多くて、最後は「うぉおおおおおーーーー!!!」みたいな気合いだけで性能が変化する熱血ファンタジー的解決法ですし、主人公が特別な能力を与えられていて、結局は主人公が最強な主人公ゲーであって、かなり問題も多いです。


 正直、なんでこれがここまではやっていまでもずっとシリーズが続いているのかよくわからにゃい・・・、キャラデザもちょっと古い90年代のセガのマイナーゲームみたいな感じだし・・・。

 ただセイバーとかリンとか主要な女キャラが萌えキャラではなくて、けっこう自分を持っていて、強いタイプの媚びない女性キャラってのが、この手のものとしては異質ですね。美少女キャラなのに媚びない、無駄にいっつも風呂に入ってたりもするんですけど。しかし全体としてシリアストーンで、stay nightというように、基本ずっと夜ですし、主要キャラ以外はけっこうあっさりボコボコ死ぬ。

 主人公も全然面白いことを言わない、重い過去をもった少年で、妙に・・・、重いですね。なんか美少女アニメとみせかけておいて、なんかズーン・・っていう重い感じがなんかこってりしてあぶらっこくて胃にズシズシくるものがどうしても食べたいっていう感じでその暗い感じがクセになるのかもしりませぬ。


 キャラデザがワタシの好みじゃないってのが一番大きいかも、結局はキャラの作画こそテレビアニメのすべてなりってワタシは思うものなり、特にこういう美少女ものだったらそこしかないですものね、劇場版だとまた違うんですけど。


 ともかくこのシリーズ膨大なスピンオフになっていて格ゲーやらスマホゲー、マンガ、映画とにゃんだかもうついていけんわい・・・。しかもナンバリングじゃなくて、ZERO、GRAND ORDER みたいなかっこつけたタイトルなので初心者お断り感があります・・・。

2017年10月31日火曜日

2005 喧嘩商売 喧嘩稼業

 ワタシはマンガは全部終わってから読む派なんですけど、一部、あっこれ完結しないなw ってのはいつまでも待ってたところで永久に読めないので読むことにしてます。ワタシのSEIMEI、のほうが早く終わっちまうなってもの。



 つまり
「バガボンド」「ベルセルク」「HxH」そしてこの「喧嘩稼業」ですね、四大休載漫画と言われているw あと「ガラスの仮面」もそうっちゃそう。ただガラスの仮面はもうすぐ終わりそうな予感もある。バガボンドも作者的にはもう書きたいところは終わったからどうでもよくなってる感がすごい。最後には農業をやるっていうガッカリエンド・・・。



 そういうことを考えるとペースを崩さずにサクサク書いているJOJOの作者は超人マンなんだって思いますね、あの人ドラキュラだと言われてますけど、確かに・・・ドーピングでもしなきゃあの生産性はおかしいぜ・・。



 ワンピースも別な意味でいつまでも終わりそうにないですけど、ワンピの最近の迷走ぶりはひどくないですか?まぁ最近と言ってもそこまで読んでないけどちょっと期待薄。JUMPの悪いところが出ましたね、本当にカスッカスになるまで連載させるという、ドラゴンボールの二の舞・・・。


 この喧嘩商売というマンガもまぁ絶対に最後までいくことはないでしょうねw 第一巻からずっと最強の格闘技を決めるトーナメントを開催するということを前フリしてたのですが、そのトーナメントが始まるまで、にすでに10年以上経過してしまいましたw スラムダンクばりにひとつの試合が長くて数年にわたってひとつの試合をずっとやってますし、さらに作者は休みがち、いつ突然終了してもおかしくない。さらにHxHやベルセルクのように超売れ筋漫画ではないところも、いつ打ち切りになってもおかしくないヒヤヒヤ感があります。


 内容はいろんなマンガのいいところをパクリまくっているんですがw 最強格闘技トーナメントというのもバキの丸パクリですし、ほんといろんなとこから剽窃している。まぁわざとやってるんですけどね。

 作画は特殊で背景はほぼ完全に写真と3DCG、キャラ作画も顔と手だけは手書きであとはCG処理をしてるのが半分、動きがあるコマなどは手書きで書いています。
 
 バキのあのクセの強い作画と荒唐無稽なアクションが苦手な人には、ほぼフォトリアルで、うそくさいけど一応現実世界の物理法則にのっとっているので、こっちのほうが好きという人が多いかも(タダほんとぎりぎりのリアルですけどね、車に轢かれてもなんともなかったり、ビルから落ちてもすぐに立ち上がれたり・・)・・・がこれもこれでクセがあります、初期のバイオハザードみたいなCG作画が多いので・・・。あとかなり問題だと思うんですけど、漫画のカバーが全然面白そうじゃない。あんまりビギナーが手を取りそうな感じじゃない、もっと面白そうな感じにすりゃいいのに・・。ワタシはこのマンガラジオでケンドーコバヤシがオススメしてたので初めて知りました。そういうきっかけがないとあんまり手を出しにくいマンガです。


 けっこうこの半分だけCGを使うっていうやりかたはいいとワタシも思っていて、特に背景に3DCGを使うってのはこれから主流になると思います、理由は背景なんて誰も見てないから。とくにフォトリアルな建造物を手書きで書くのはただの時間と労力の無駄だと思う。ナウシカみたいにファンタジーな感じの世界観だと、ちゃんと背景も書かないと雰囲気は出ないんですけど、普通のビルだの商業施設だの手書きしたくはないですよね。
 
 それと服を3DCGでやるのにも利点があります、質感表現が出来るってことと、パターンを使えるってことです、2Dにテクスチャを貼るだけだと平面的になってしまうけど3Dならそれが出来る。よく考えれば気づくと思いますが、アニメや漫画のキャラにはパターン、柄物の服はほとんど出てきません、あってもワンポイントかトーンを貼ってるだけ。

 けどこの漫画は白黒なんで、そのテクスチャが逆になんか汚いだけになってしまってるし、3DCGの技術も専門学校2年レベルっていうのか、稚拙です。カラーじゃなきゃ意味ないじゃん。
 まぁ手書きとCGで調和をとるってのは実はとっても難しくて、まだこれっていうやり方が出来てないのが実情なんだと思います。それと思ったよりも作業量は減らないしラクできないじゃんってのが経験的にわかっております。3DCGでモーションをつけるのは
、実は手書きしたほうがはやかったりします。めっちゃ複雑な服を着てたりしない限り。


 ただ下ネタと時事ネタはえげつなくて、女性キャラはほぼレイプされるだけに存在しているようなありさまw 喧嘩稼業になってからは女性は一人も登場しなくなりましたけども・・・。
 そういうのが苦手な人にはまったく向かない、いや、一握りの格闘マニアにしか受けないマンガですね。ワタシはテレビ全然見ないのでテレビネタも全くわからんし・・・ヤングマガジンって一回も買ったことないなぁ・・・。
 ギャグのセンスもマガジン独特のノリってやつがありますよね、GTOにもあるような、どういうのっていうと説明は難しいんですけど、闇金牛島君をちょいマイルドにしたようなダーティな感じ、うしじまくんはあれは・・・スピリッツ、小学館でした。意外にも。なんかそういうのが好きなやつっていますね、やせてるタイプのヲタクっていうのか。わたしはちょっとやっぱしマガジンのギャグセンスは肌が合わないのかも・・・。

 途中でいったん休載(3年も!)して、喧嘩商売、から喧嘩稼業として再スタートしたんですけど、主人公の顔が全然ちゃう!?・・・なぜ?作者死んだの?ほかにも同じ人間が書いてるはずなのに、作画が全然違う感じになっている・・、なんか怖っw
 鬱エピソードが隠れてそうなので退散!

2017年10月28日土曜日

1936 葉桜と魔笛

 太宰治ってのは私小説風の、自分の人生を切り売りする、自分の悪癖を暴露する露悪的な小説が有名なのですが、創作小説、つまりはフィクションでもものすごい才能人です。ただ、芥川と一緒で、大長編を書くということはとうとう出来ませんでした。

「ワタシにはまだ戦争と平和を書くほどの腕はない、だからすこしずつやるしかないのだ」と書いているように、最後まで「戦争と平和」のような、これぞ歴史的マスターピース、っていう作品は作れませんでしたね。

 しかし短編はほんと天才的、特に短めの作品の完成度たるやすさまじくて、凡人には100年かかってもこんな作品はかけません。一体どういう風にアイデアを考えているんだろう?ワタシがもしも小説家だったら落ち込んでしまいますね、こんなにうまく書けるわけない。


 特に太宰ってのは女性の書き方がうまくて、女性よりも上手だし、女性よりもさらに女性的な心理描写を出来ます、女性にもわからないはずの女性の心理を描き出せる、それでも女性を無駄に美化していて、うそくさいという感じじゃなくて、とにかくリアル、なんです。この物語は一応オチがあるのでそれをばらせないのですが、いやはや・・・。

 前にもなにかで書きましたが、作家とかものづくりをする人間ってのは基本モテない人間ばっかしですから、太宰みたいな、真のモテる男、顔がかっこいいとかそういう次元じゃなくて、運命的に女性に慕われる人間ってのが作家なのは非常に希有なタイプなんですよね、だからこそ女性をちゃんととらえて描写が出来る。漱石みたいなあたまでっかちはもちろんモテないし、漱石は女ってのは心の底から理解しあうことが出来ないってのをずっと感じているという気がしますし、芥川にしたって、モテ路線ではない。

 他に一人もいないんじゃないですかね?わたしは太宰以外にこのタイプのクリエイターってのを知りませぬ・・・。


ちなみにモテる、というのは、一緒に死のう、といって、わかった。といってくれるような相手がどれだけいるかってことです。一人くらいならいるかも知れませんが、それが次から次に現れるなんてヒトいますか?

2017年10月26日木曜日

1608   アテネのタイモン  シェイクスピア

 シェイクスピアの晩年の物語は知名度が低くなっているわけですが、このアテネのタイモンもおそらく知る人はかなりまれな作品です。

 しかし、わたしはかなりこの劇はすぐれていると思いますね。これもまた晩年に特徴のシェイクスピアの単独による作品じゃないんじゃないか?という研究がされていますが、わたしはこの作品に関してはほぼ90% WSの筆によるものだと思われます。


 作品の内容は、タイモンという人のよすぎる貴族がいたのですが、気前よく贈り物をさらに良いもので返したり、誰にでも優しくすることで、すぐに破産状態になります。タイモンは大丈夫だ、ワタシにはこれまで親しく付き合ってきた友達という財産があるから。といって、ちょっと金を融通してくれとこれまで付き合いのあった友人に頼むと、その全員にことごとく拒否されてしまいます。タイモンはぶち切れて一人洞窟にこもってアテネの街全部に呪いの言葉を可能な限り浴びせかけて、最後には自殺します。


 なんの救いもない、なんの勧善懲悪もほとんどない。ただ単に、善良な人間はこの世界では生きていけない、特にお金に関してはこの世にはまっすぐな人間など一人もいない、いるとすれば、純粋な悪だけだ!と言う。人間嫌いのタイモン。となる・・・。



 このなんの救いも、普通の演劇のひどいことがあるけども最後には丸く収まるということのないという、型にはまらないスタイル、WSらしい作品で、すごいわたしは好きです。ペリクリーズが完全に型にはまった昔風の作品であったのに比べて、この作品はどんな作品にも似てない、斬新な作品です。
 批評家連ではかなり評価の割れてる作品で未完成なんじゃないか?とかアイデアノートなんじゃないか?ということも言われています。
 ワタシの予測ですけど、WSはなんか金銭トラブルみたいなことが実際あって、人間とカネということについて相当溜まっていたんでしょう、それを一気にぶちまけたという感じで、演劇としての構成、みたいなのを無視して、一気にずばっと書かれている感じがあります。


 ナボコフの非常に読むのが面倒な小説「Pale fire」 はこの劇からの引用らしいです、そういうところからもわかるように非常に玄人好みの作品なのかもしれません、ワタシは痛快だと思いますが、人によるとタイモンが全人類に対してひたすら暴言を吐くこの劇の目的がわからん、感動もなにもないじゃないか?と思うのかもしれませんね。



 このまったく善良な人物は、この世界で生きていくことが出来ないというテーマはドストエフスキーの「白痴」にも受け継がれていて、深く掘り下げると非常に、本質的、なテーマです。善いことをしようとすると自分の首をしめて死ぬしかない、それは現代でもまったく同じ、どうして? それがどうしようもなくいやになって、宗教の道に入るとか、自殺するというひとは今でも少ないながら存在すると思われます。正しいことをしようとするとこの世界に居場所が無い。 タイモンは世界には恩知らずの悪人ばっかりだといいますけれど、わたしは、本当は善いことをしたいっていう人は結構いると思います、ただ、そういう人間は、生きていけないから、出会うことがないってことなんだと思いますね。いることはいるんですが・・・ってとこですなぁ。

2017年10月24日火曜日

1607 ペリクリーズ   シェイクスピア ? 

シェイクスピアの晩年の作品のスタイルはロマンス劇と呼ばれるみたいですが、そうよんでるのはどうやら日本人だけのようです。

 物語の形式としては、主人公がたくさんの苦難に見舞われて漂流したりするのですが、最後にはハッピーエンドになるという、オデュッセイア的な放浪話、というか、物語形式。となっていて、これまでの演劇とはスタイルが異なっています。


 そういうこともあって、この作品は偽作がずっと議論されていて、確実にShがすべてを一人で書いたのではないが、かといってまったくかかわっていないともいえない。わたしもそう思います、随所に、Shらしくない、やり方というのか、スタイルがあるけれども、明らかにShしか書かないだろう、っていうスタイルで書かれている、Shらしい部分もあります、とくに売春宿の下りですね、こんなに上手に書けるのはShしかいません。SH監修、で劇団の若い作家に書かせたという感じだと思われます。


 プロットは大変複雑のようにみえてすごく単純で、まぁいろんなことが起こるのだけれど、丸くおさまる。というお話で、同時代人にはかなりヒットしたと同時に、こんな古臭い陳腐な劇が人気なのはおもしろくない、という意見もあったようです。

 たしかに、ものすごいふるいタイプの、童話とか神話みたいなプロット、を使っていて、これはすごくSHらしくない、たぶん別の人のアイデアで、それに味付けを加えたということでしょう。また、本当に誰も死んでいないハッピーエンドというのも全滅エンドばかりのShとしてはまったくらしさがない。これも別の人間のアイデア。


 というわけで名作とかそういうふうにレビューするのは難しい作品です、けど明らかにShの手が入っているところで、良いシーンなどもあり、なかなかどうして侮りがたい作品でもある・・・。

2017年10月22日日曜日

Frontier frs509/23a パソコンが爆発 (電源ユニットが爆発) 分解  画像付き

ワタシのメインのパソコンがとうとう爆死してしまいました。
 なんかいやな予感がしていたので、本当に必要不可欠なファイルだけはバックアップをとっていたので、これまでの数年の苦労の成果が0ってことは無かったですが、一週間分くらいの仕事データと、消えたとしてもまた手に入るファイルはたぶん死にました。HDDを取り出したので近々データをサルベージしようと思いますので乞うご期待。

 私はそれほどなパソコンフリークではないのでなかなか分解に手間取りました。ネットで情報を探しながら試行錯誤しました。


 まず分解するまえのBEFORE写真





パソコンの中ってややこしそうだな・・・と思わせるのは、ATXPOWERってやつのせいですよね、みるからにややこしそうなコードびっしりのやつ(メモリの横に刺さっているやつ)あれが初心者には、どうもこいつは嵐になりそうだぞ・・・っていう気分にさせるたぐいのものです。
 まず全面ガードを外します、これは必要ない。
するとドライブが丸出しに。Frontierの公式サイトでは電源の外し方が書いてなかったのでここで詰まってしまいました。えっ?・・・どうやって外すの?
 プラスドライバーがさせるようなところはなく、あのどう考えてあかないだろうっていう丸い穴の固定具みたいなのしか見当たらない。はて・・・・



    バゴーーーン!!!こういう方向に開くのだ!これはもうすべて取り外したあとの写真になってしまいましたが、まさかの観音開き。すべてのコードが電源から飛び出しているのかと思いきや、前面からのUSBケーブルがあってこれは取り外す必要なし、というか物理的に手が入らないので取り出せない。この写真の右側の真ん中から二つ出ている灰色のコード。右上はドライブ。
 わたしは最初右上がHDDだと思っていたらHDDはこの画像だと空になっているドライバの下の空間に刺さっていました。黒いネジを四本外すととれるようになりました。HSSがSAMSUNGだったことを初めて知る。それ以前に私はこのパソコンは1T容量があるんですが、パーティションでDドライブがあったので、二つHDDがあるんだと思ってましたが、仮想で分けられていただけだったんですね。そんなのあたりまえじゃん、って思われるかもしれませんがワタシはそれレベルの初心者だったのです。


で、取り外した電源ユニットを分解して魔女狩りです、どこが爆発したのか?ちなみに電気が焼き切れた時の臭いがぷ~んとしていてこいつが爆発したのはどうやら間違いない。バチバチいってましたし、それ以前に1月くらいまえからハーレーダビッドソンかよっていうヴォンヴォン唸り声をあげていました。
 当然ほこりがびっしりなんですけど、電源ユニットのファンを分解して掃除するなんて普通のユーザーには不可能ですよね?そんなことしてる人いる??まぁほこりが原因で爆発かな・・・って思いました。カラフルなコイルみたいなのが見えますが、どうやら臭いがしてるのはこいつだし、なんかぬるぬるしてる、白いボンドみたいなのは中国のメーカーが適当に塗りたくってるのではなくてこれは普通にあるものみたいです。


 さらにkwsk....



おやおや・・・?

 きゃーーーーっ!!w



真ん中の丸い円筒形のやつ(コンデンサ、あるいはキャパシタというのだ)がひしゃげてますがな。こいつが爆発した正体のようです。





 まぁこのパソコンはもう8年近く使っていて、電源ユニットって寿命は5年らしいので、仕方ないかなって感じですね。パソコン自体も8年もてばまぁ元は取れたかなぁという感じ。ヤマダ電機に早朝並んで限定何台っていうやつをかったんですな。たしか7万くらいだったと思われる。(23.6ワイドモニタ付きです)年でいくと一年8000円くらいと考えると、まぁまぁ・・・お疲れ様でした。って感じですかね。まだモニタは生きてるはずだし。
 そこまで不満は無かったのですが、カードリーダは3カ月くらいでぶっ壊れましたし、スリープモードも速攻でぶっ壊れて、何故か自動で電源が入ってしまうので常につけっぱなしにするほかなくなったのは残念。あとそれによってLEDがピカピカ鬱陶しい。それくらいだったので、frontierのパソコンには特に文句はありません。デザインはダサい。
 あとスモールPCなのでグラボを増設しようとした時にロープロしかつけられない、それ以前に電源ユニットが250Wしかなくて、拡張できないのが残念。それはまぁおまえが先に調べとけって話ですけどね。
 

 最近小さいパソコンばっかり売ってますがスリムタイプなのは後で拡張出来ないってことをみなさん覚えておいてください。かといってタワー型の拡張可能なやつは最初からグラボがバンドルされて売っているのがほとんど。自分で後から改造する必要はないようになっています。


タワー型で電源容量たっぷり、好きにカスタマイズしてね、っていう製品は私は探してみたけどどこにも売ってませんでした。BTOパソコンはカスタマイズをすることで儲けているみたいなので、カスタマイズをユーザまかせしたら利益率が下がるんでしょうね。それがやりたかったら0からケースを買い、マザボを買い、CPUを買い・・・って自作するほかないようです。けど自作すると結局バラでパーツを買うことにより値段的にグラボがバンドルされているのと同じかそれ以上の値段、さらに組み立てる労力を差し引くとマイナスになるんで結局バンドルされてるゲームパソコンを買うのが一番のようです。

 けどそういうケースからマザボを選んで・・っていうのがシュミレートされてちゃんと使えるパーツのみが選択肢にあがってきて仮想のマシンをくみ上げられるっていうサービスがあってもいいのにって思いますね、まぁ製品の発売数が膨大でアップデートがすぐに間に合わなくなるし、この会社の製品妙に上にあがってくるけど裏でつながってんじゃねぇのってことにすぐなるから無理なんでしょうな。
 



 ただ!自分で分解したり組み立てたりすると、経験、というかけがいのないものも手に入ります。前面にUSBをつけてるのがケーブルの配線をややこしくしてるんだな、便利だけど、コードがぐちゃぐちゃになるんだ。また実は思っているほどパソコンの配線はややこしくないってこともわかります、ケーブルの一個一個がまとめられていて本数が多いのでとんでもなく複雑そうに見えますけども、結局はマザーの刺すところは決まっていてそっから伸ばしてるだけなんだ。パーツ数でいくとガンプラとかとたいして変わらない。精密機械でパーツひとつずつがもろくて高いっていうのを除けば、難易度は大型のプラモくらいの単純さであるということがわかりました。
 
 ただ一日完全につぶれるけどな!!w

 

1925  檸檬 梶井基次郎

 檸檬という漢字はレモン感がまったく伝わってこない漢字ですよね。とくに、もん、のほう、なんだこの漢字は。もんごるのもん、ってこと?

 蜜柑という感じはなんとなくミカンだという感じがする。

 蜜柑というと芥川龍之介を思い出し、檸檬というと梶井基次郎というわけですね。林檎は・・・林檎の歌か、今では椎名林檎ですかね。椎名林檎というとメンヘラーの女神w メンヘラーというと、メルヒェンに造詣がありそうな響きだから、メンタルヘルス、じゃなくてメンタルディスオーダー、メンディサーとしたほうがよいと思いませんか?
 メンタルヘルスってヘルシーだから精神が安定してるみたいだし。



芥川に対して梶井のほうは知名度は低いですが玄人に言わせると基次郎のほうが、世界観を持っているというわけで素晴らしいという人が多いようです。あの三島由紀夫が褒めたということが大きいみたい。

 三島というと最後にファンキーな死にかたをしたことをどうしても思ってしまいますね。やっぱりクリエイターは死に様というのが大事で、どぶ川で入水した太宰、おなじように入水のウルフ、睡眠薬自殺の芥川、火山に身を投げた哲学者、無実の罪で毒ニンジンをあおったソクラテス。どうやって死んだか、というのが遡及的にその人間の作品の真実味というのか、そういうものを規定していく気がします。どんなにすごい作品を書いていても、死にかたが残無いと、なんか価値が下がる気がするし、たいしたことを書いてなくても、死にかたがセンセーショナルだと読んでみようという気がするし、付加価値がかかる。

 三島はどうかと思うけども。私は三島由紀夫が文章上手いとはあんまり思わないんですよなぁ・・・。


基次郎は肺結核で31で死にました。でもまだ檸檬のころは結核はそこまで進行してなかったみたいですが、体調はよくなかったみたいです。

 24歳くらいの作品で、ヴァガボンド的な生活をしている基次郎がその憂鬱を振り払うために京都の街を歩き回るというお話。まぁいわゆるニートですが、ニートってどんどん意味が変わっていって本来の意味とは全然違うことになってて使いにくい言葉になってしまいましたね。ニートって「教育を受けてもいないし、働く気がない」、無気力状態を示す言葉だったはずですが、今では「金持ってないやつ」、がニートってことになってませんか?フリーターも、売れない作家も、バンドマンもニートと呼ばれている気がする。何の仕事をしてなくても、金持ちであれば、趣味人ということになるんだろうし。

 本来の意味であれば、いくら金持ちの息子でも、何もしてなければニートだし、いくら売れてなくてもなんか目標があってがんばってる人はニートじゃないはずなんで、基次郎も作家として本を書いてるからニートじゃありません。

 クズ人間、という言葉をやわらかくしてクソニートとして呼んでいるという感じですわね。

 
 話が戻りますけど、肺結核で若くして死んだということが、基次郎の作品の半分以上だと私は思いますね。長生きしてたら、だれも注目してないと思う。文体は芥川よりも素晴らしいといわれているといいますけど、私は芥川派ですかね。芥川って、天才ちゃんです、普通に、単純に頭が良いんです。それと結核で自分の意思と関係なく死ぬよりも、自分の意思で自殺するほうが、ワタシ的にポイントが高い。ODで中毒死したジミヘンよりも、ショットガンを使ったカートのほうが高得点です。


 そうはいってもこれはすぐれた作品であることは間違いなくて、基次郎タッチというのは、上段からふりかぶってないし、共感力という点で芥川よりも優れています。芥川はやっぱり頭がよすぎるところがあって、どっか、これがわかるか凡人ども?っていう臭いが少ししていますし、自分の弱いところなどを見せないタイプですものね。いきなり漱石に認められるというエリートコースの芥川にたいして、基次郎はなかなか作品が認められずに、ようやく認知された頃に死ぬという、みんなが食いつきやすい経歴を持っています。

 天才の孤独と失敗者としての焦燥、どちらが共感できる人が多いかというに圧倒的に後者ですものね。天才の孤独を理解してあげられるやつなんて、基本的には数人しかいないわけですから。漱石はそこまで見抜いていたのかもしれません。

1740 美女と野獣

 作者はヴィルヌーヴ夫人という、おそらく貴族の女性。1740年という、イメージのわきにくい時代のお話。何故かわかりませんが、18Cってのは古代ローマとかよりもイメージがわきずらいですよね、どういう服を着てるとか、生活スタイルとか、まったく予想がつかない。フランス革命以降の世界なら、な~んとなくはイメージがわきますが・・・。ルネサンスから近代までの時代ってどういうつもりで人間が生きてたのかっていうのがあんまりわからない。ルネサンス時代のいわゆる暗黒時代、についてなぜかそういうフェチの神の国に興味があるひとがいて、エーコとかロシアの映画とかが扱いますけども(タルコフスキーにもひとつあります)ハッキリ言うとまったく意味がわからない。ここまでわからないものかね!?ってくらい共感できるものが何もない。ローマ帝国が崩壊してからルネサンスまで、暗黒時代長っ!!ってびっくりしますよね。

ぼんやりとディズニー、というかキングダムハーツでの美女と野獣しか知らなかったので原典を聞くとそんな話だったんだ、って思いました。(能登真美子おはなしNoteというラジオで聞きました)
 オリジナルにはしゃべるランプとかは登場しません、あれはディズニーのアイデアなんですけど、ディズニーは原作にあるネガティブな部分を排除してファンタジー色をつけたのですね。それは正解だと私は思う・・やるなディズニーって感じです。ベルのキャラデザのセンスはひどいと思うけども。ディズニーの女キャラって可愛くないですよね、小人とかチップとかはいいのに、人間の女に関してだけは非常にセンスがない。それはアメコミでもそうですけど。

 プロットはベルのおやじは裕福な商人だったのが落ちぶれたしまって、生き倒れそうになったのを野獣に助けてもらったのだけれど、ベルへのおみやげに持っていこうとした白薔薇を盗もうとしたので野獣は怒って娘を差し出せということになった・・・へーそんな話だったんだ・・・。なんで野獣が白薔薇を大事にしてたのかは本編ではまったく説明されていません。どうして魔女に呪われたのかといういきさつも。
 さらにベルには二人の姉がいて、典型的ないじわる姉さまたちでベルが野獣に食われて死ねばいいのに・・などと思っている。最後まで徹底的にヒールに徹していて、いいところが一つもない。白雪姫の姉さま連と同じタイプ。
 さすが女性作家という感じでこのいぢわる姉さまたちの描写だけが童話風の世界で妙にリアリティがあります。女性ってのは同性嫌悪っちゅーのか、女性の悪い部分ってのが自分たちでも見えてるんだなってのがわかります。
 けどこの物語も結局は野獣は王子様だとわかり、大金持ちでイケメンであることが判明してベルは幸せになるというサゲ。非常にこれこそ女性の悪い部分が出てますよねw 結局はイケで金持ちと結婚したい。それが勝利、であり幸せ。だからこそ同性はやっぱり最終的には競争相手になるわけで、仲が悪くなるのもさもありなんというわけでいじわる姉さまが美人の妹につらく当たるのも当然といえば当然の行動なわけです。
 ワタシ個人の見解ですけど男同士って打算的でない本当の友情ってのは、わりかしあると思います。イケメンの友達が美人とやりまくっていても、まぁさもありなん。やるねぇ!とは思うけど、死ねばいいのに、とかは思わない。そいつがいいやつなら全然友達でいられる。
 なんでそうかというところを掘り下げると男っていうのは、潜在的には、女はアホでどうしようもない生き物。っていう軽蔑がどっかには必ずあって、イケメンにやりまくられてたって、まぁそうだろねー。でも女なんて腐るほどいるし、どれも実は大して差が無い。と思うからなんだと思います。確かにおにぎりはツナマヨがおれも食いたいけれど、まぁ腹が膨れればなんでもいいや、おかかでいいか。おにぎりくらいのことでやいやい言うなよってことです。たかが女くらいのことで、ドハマリしてんじゃねぇよっていう感覚なわけです。
 あなたは真実の愛を知らないの!とか言われるとオーマイ、カルト教信者現る、進化論は信じないタイプのアレかぁ・・って思うのですよね。
しかし物語には、ロミオみたいに一人の女に執着して命まで捨てようという男がかなり現れる。性欲の虜となって我を忘れているのか、それともそれが本当の愛ってものなのね!ってことなのか、女性のオーディエンスに向けて嘘っぱちを並べているのか、これは・・・最後が正解だとワタシは思うのだがこれいかに。

 けれど視点を変えて、女性が結局はイケメンの大金持ちを望むのも、すべて子供をう幸せにしたい、子供が美しく、裕福に育ってほしい、優秀な子孫、DNAを残したいということなんだと考えれば、それはやっぱり、愛なのかもしれません、種の遺伝子がそうさせているんじゃ、と思うと、なんかDNAに操作されて生きていてかわいそうだなぁ、って必死で働くアンドロイドを見るような気分にもなりますね。プログラム通りに動いてるだけなんだ・・それから逃げられないのかってね。



 魔女は王子を醜い野獣に変えて
「だれか乙女に真心から愛されない限り元の姿には戻れない」
 という呪いをかける。
まさにこの魔女が一番女性ってのをわかってますよね、そんなやつは現れないことを知っていて無理難題をふっかけている。

けれどこの物語、野獣はなんか魔法みたいなものが使えるのはもちろん
「野獣は屋敷にすむ大金持ち」
っていうところがポイントですよね。野獣がもしさらに財産まで没収されていたら野獣は絶対に人間には戻れなかったでしょう。どれだけ醜くても金持ちなら50点は確保されているわけで、イケの富豪なら100点、だが、素寒貧のイケも50点。醜い貧乏人は0点です。よし、50点、とりにいこう。っていう女性は結構いくらでもいると思います。
 
 けど魔女もさるもの、キスとか結婚したら、というのではなくて
「真心から愛されるなら」
 という呪い解除の条件はそういう金目当ての女性も不適格になる、ただ!金持ちだということだけでも、本当に好きになる、ということもあるよなと思います。
 豊かさは真心に侵食していく。
 
 また逆にベル、がどうして美人じゃないといけないのかということもあります。心がきれいだけど不細工な女でもいいんじゃないの?ベルという、そのままの美女、という名前の女です。
 ここもやっぱり女性作家のやり方なのかもしれません。女性は美しい女性はライヴァルだから、DNAがそれを受け付けないので、ちきしょう。と思いつつ、一方で美しいことを賛美してやまない。憎いけれど大好きってわけで、不細工で優しい女の子を女性はなんて良い子なの!親友!っていいますけども、一方でこいつはワタシよりもブス、なんの危険もない。と見下している部分がある。でもそれはどっちも真実であると思います。軽蔑してるゆえに、DNAが許容するので、安心できて、本当に、親友にもなりうる。

1400 ?  浦島太郎

何がいいたいのかまったくわからない物語として有名な浦島太郎という物語があります。
 
 亀を助けたら竜宮へ連れてってくれて、竜宮から帰るとそこはタイムリープした未来、自分の時代と切り離された浦島が絶望して玉手箱を開けるとさらに老人にされるというオチ。

 つまりはいぢめられてるやつを助けると、なぜかろくなことにならない。ということを言ってるようにとれます。そう考えると、実は恐ろしく現実的な処世訓を与えてくれているのかもしれませんね、弱者をみんなと一緒になって迫害すると、なぜかうまくいく、弱いものから奪え、というリアリズムをたたきこんでいるのかも。
 しかしそんなガリガリの真実を子供に教えてどうするw それにそういった本当の意味で成功する方法ってのは他人に教えてはいけないものです。自分だけがずるく生きて利益をとらないといけないんだから。
「オレ以外の人間はみんなクズだ、全員利用してやる」
 と思うのは勝手ですけどそれを宣言するのは愚の骨頂だってことです、心の中に秘めておいて、うわべはにこにこして好意を振りまいて相手が油断した時に後ろから・・・。が原則ですから、いきなり敵を作るような真似をしてはいけない。


 この浦島太郎っていう話は元祖タイムリープものですよね、なんらかの状況によって自分の生まれた時代や世界から切り離される。女子高生が戦国時代にぃ!?っていうよくあるアレの原型だってわけです。何故か日本人はこれが大好きでして、戦国自衛隊、漂流教室、ほしのこえ、ロンリープラネットなど。だいたいは元のいた時代や世界に恋人などがいて、さみしいよぉ~(泣)、っていう恋人がいないDT連には、RJ爆、っていうもの。
 タイムリープ物ってものの正体はメロドラマだってことです。お涙ちょうだい型のお話。

ただ浦島はメロドラマではないんですね、乙姫は亀の化身だっていうパターンもありますが、乙姫がやってることはどう考えても浦島を色気でハニートラップに落としてタチの悪いいたずらをしかけているだけです。玉手箱を開けるな、といって渡すという、高度な悪徳商法としか思えません。マイナスしかない呪いアイテムですからね。忍者の投げるでラスボスに放り投げるくらいしか使い道がないぜw

 もうひとつのオチとして浦島はそのまま老人になったが仙術を習得して神になったというものがあります。けれど、これは中国的改作の臭いがしますし、中国的改作を日本人がしたという感じがします。だいたい、人間は、仙人にはなれない。というものが中国では普通のサゲです、杜氏春、寒山拾得にみるように仙人ってのは解脱していて、もはや人間というレベルのものを超えている、感情とかが無い、まさに霞のような存在で、仙術を駆使してハーレムの術!っていう幸せそうな存在ではないのです。
 死んで永遠の平和を手に入れました、仏門に入って心の平和を得ました。みたいなことで、それを普通はバッドエンドと呼んでいるのでは?ということと同じことです、仙人になるというのは。

 なんにせよ物語的に、カタルシスができていないというか行動と結果がちぐはぐでなんでやねんという構成になっているとはいえ
・亀がしゃべる
・海の底に桃源郷がある
 そして特に
・別の場所では、時間の流れ方が異なっている
 という相対性理論を先取りしたようなトリックがあって、まさにこのトリックを発明したというだけでもこの物語は存在し続ける理由、があるわけですね。誰もが当然のこと、として考えている、前提、を覆す、という手法はトリックとしてはかなり優秀なものです。時間の流れるスピードはどこでも一定である、という前提崩しなんですね。



 かぐや姫もそうです、結果的にはなんじゃらほい?竹から出てきた娘は育ててはいけないということ?じじぃは自分に都合がわるいことになると人間のエゴむき出しのクズに変貌するから気をつけろということ?って何がいいたいのかわかりませんが
「月、という別の星に異星人がいる」
 このSF的な発想、ただそれだけで千年の時を超えて生き残る理由となってるわけですわね。このようにワンアイデアだけで古典になってるってものはたぶん他にもいろいろあるんでしょうなぁ。一点豪華主義ってやつですね。


2017年10月16日月曜日

2015 Yakushimaru Experiment - Flying Tentacles

 やくしまるえつこ、相対性理論というバンドのボーカルなんですが、これはソロプロジェクトでして、やくしまるえくすぺりえんす、なる実験音楽のアルバムです。


 普通の音楽ファンみたいなヒトにはまったくオススメ出来ないアルバムで、ノイズ、ポエム、朗読、などで構成されております。スマホに入れて歩きながら聞こう~~♪みたいなタイプの音楽ではまったくありません。

 ただ実験音楽、っていうジャンルでいうとかなり聞きやすいほうになると思います。シュトックハウゼンとかのメチャな作品に触れてる人間には、ふむふむ・・なるほどね。っていう感じです。


 相対性理論、というバンドはすごく聞きやすいポップなバンドなので、そのヴォーカルがこんな前衛的なのに手を出すなんて、暇なんだな(生活に不自由してないくらいカネがあるんだなぁ)、ってのが素直なワタシの感想です。
 この手のコンセプトアルバムとしては相当良く出来てると思います。ソニック・ユースとかを聞けるヒトには是非オススメいたすものなり。



 こういう実験、が出来るのって、そしてそれが普通の流通ラインにのってワタシみたいな一般の人間の手にも届くってのはある程度の知名度とかメディア露出力が必要なわけです。非常に斬新でいい作品だったとしても、実験音楽を売ってる場所なんてどこにもないわけで、それを扱うメディアもない。有名なアーティスト、が片手間に発表する、っていうのしか入手手段がない。実験音楽をやりたいなら、まずポップアーティストとして売れなきゃいけない。
 ポップアーティストとして売れるにはまず見た目がかっこよかったり可愛かったり、そして何より若くないと音楽業界は相手にしてくれない。
 様々な障害があるので、実験音楽、はつまるところ、どうしようもない作品ばっかりです。オーディエンスもめちゃくちゃ少ないですし。


 よく「売れてしまったら後はもうどうでもいい」、一発当てればおけ、みたいなアーティストが大勢います。実際、ある程度大儲けしたら「続けること」の意味が無いわけで、なんの為に音楽やってるの??みたいなことを考えてしまうと、迷宮入り。バンド解散、ってことになります。
 
 「夢をみよう」とか「恋をしよう」、みたいな普通の若者の共感、を集めること以外に、何か伝えたいことがある?ってことなんですよね、若者の支持を集めてる、みたいな言い方されますけど、それはつまり若者が考えそうなことを「こういうことあるよね」って歌ってるだけで、いわばあるあるネタと同じこってす。

 曲がヒットしてブルジョアになったら、そのこんなことあるよね、というメッセージは嘘なわけで「金持ちってこんなに楽しいぜ」、「曲が当たって大金持ちになるとみんなの見る目が変わるぜ」、「彼女や彼氏のルックスのランクが上がっぜやっほい」っていうのが正直なメッセージになるわけですけど、そういうことを歌うヒトはほぼいないし、やっぱりそんなこと誰も聞きたくもないわけです。


 そこで何か、歌でなくても、本当に何か伝えたいこととかがあるの??ってことになりますが、たいていの若者にはそんなもの無いです。若者というかほとんどの人間には、誰かに伝えたいことなんて何もないです。


 やくえつさんは、そういうのが、ある、ほうの人間。しかも女性で、若い。実験音楽に女性ってだけでめちゃくちゃなレアケースなので、ほんとこのヒトはすごいと思いますね、才能人です。異能者です。素晴らしいですw 文才のある女性ってのはほんと限られていて、さらに音楽的才能もあるなんて他に例を見ないですよね。歌が上手いとかそういうのならいくらでもいますし、作曲的な才能があるヒトも稀にいます、けれど女性アーティストっていうで、リリックが深いなんてのはまぁいないです、というよりも、ワタシ的には初めての、未知との遭遇です。こんなタイプがいるのか!?っていう驚愕ですよね。


 ワタシ的にはビョークとかそのランクよりもさらにすごい才能人だなと思うのですけど、やっぱり日本語なんで、そうじゃなかったらもっと世界に激震が走るくらいの才能を持ってる逸材ですよ、これにくいつかないなんて海外メディアもアホばっかりやなという感じですw
 ワタシの今、というか何年も前からずっと一番注目のアーティストです。

2017年10月15日日曜日

2008 アイアンマン

アイアンマンの元ネタコミックは1963年に初めて作られたんですって、wiki情報。そんな古いシリーズだとはまったく知りませんでしたね、というかアイアンマン自体をワタシは全然知らなかったのですけど。

 この作品はマーヴェルユニヴァースシリーズというマーヴェルのお祭り企画映画の連作として企画されたもので、今では12本?近くの映画が作られておるとのことやんす。そしてスターウォーズやハリポタを抜いて、世界で最高の興行成績を上げている映画シリーズになっています。知ってましたか?


アメコミって読んでみようかな、と思うんですが、一体何をどうやって読んだらいいかわからなかったりしますね。
 それはアメコミって1人の作家が一つの作品を書くという作家主義のスタイルじゃなくて、一つのストーリーを会社規模で描くというスタイルで、全然日本のソレとは違うものなんですよね。
 スパイダーマンといっても、オリジナルから、別の作家によるリライト、スピンオフ、別バージョンというふうに、だから今でも続いているのです。

 さらにアメコミにはユニヴァースといって、DC、とかマーベル、という会社のキャラが総登場するお祭りマンガみたいなのまであります。この映画もまさにその流れ。ジャンプのキャラ総出演マンガ!みたいなことです。そんなの日本ではありえないですよね、どうやって書くねん、ってことになるから。けどアメリカは個人の作家、じゃなくて、会社として作ってるので、ウルトラマン総出演、みたいなことが可能なわけです。

 だからアメコミって描き方が全部同じなんだなってことでもあります、同じにしないと描く人によって全然変わってしまうし、要するにアニメと同じですね、キャラデザがはっきり決まっていて作画担当が変わってもデザインは同じ、みんなが描けるデザインにする。複雑すぎたり、クセとかがある作画は無いというわけです。


 よってスパイダーマンの作者は誰?といっても1人じゃなくて大勢の人間がいるわけです、さらに向こうは分業体制で、作画、ストーリー、色塗り、など分担されているのが普通です。


 日本では同人作家達、がやってることを会社が飲み込んでやってるという感じですよね、みんなでキャラ共有して世界観を拡げていこうぜ!っていう。(まぁエロはさすがに向こうも向こうの同人作家がやるわけですが)

 日本という国はマンガがすでに市場にあふれていて(といっても近年面白いマンガがちっともないんですけど面白いマンガは軒並み休載)アメコミが入ってくる余地が無いからわかりませんけど、アメコミという文化はものすごい巨大な文化で、前述したとおり、世界で一番売れてる映画シリーズは、マーヴェルユニヴァースシリーズ、なんです。これって意外と知られてないんじゃないでしょうか、まぁ本数が多いってのもありますけどね。

 それにX MENだのBAT MANだの、同じようなタイプの映画もめっちゃ多くてどれがマーベルでどれがDCなのかなんて知るかいってこともある。とにもかくにも21世紀はマンガ、コミック原作の映画がほとんど全てだってことです。



 マンガ、コミックなんてのは絵コンテみたいなものですから、絵コンテが面白ければ映画も面白くなるのは当たり前。映画の出来は絵コンテで決まりますから。

 この映画もスーパーヒーローものなんですけど割りとお話は大人向けでコドモが見ても意味がよくわかりませんね。主人公は天才技術者で、兵器開発会社のトップ、ミサイルなどを開発して売りまくっていたのですがテロリストグループに拉致されて、そこで自分がやってきた武器輸出のことを反省して、アイアンマンなるサイボーグスーツみたいなのを生み出してそれで戦うっちゅー話です。

 厳密には普通の人間がサイボーグスーツを着ているだけなので、それってスーパーヒーローなの?ってワタシは思うんですけど、ただのサイボーグじゃん。って。まぁそんなことはどうでもいいんでしょう小型の核融合炉みたいなのを搭載していて、そんなわけあるかいっていう動きをしますw

 どうでもいい話ですけど、西洋の鎧っていうのがナポレオン戦争の時代に無くなったのは、鉄板で防御しても、銃弾を弾くことは出来ないからです、防御っていうものがだんだん意味がなくなり、攻撃力、の時代になったのですね。当たったらどうせ死ぬから防具なんていらねぇってことです。あと飛行機があるので城壁なんて作っても意味ないし、空爆されるから塹壕を掘ったところで、ってわけです。核ミサイルが来たらどうせ何をしたところで無駄な足掻きですし。だからノーガードなんですね。どうしようもない。


 よってアイアンマンのまぁ武器とかはまぁいいとして、なんで銃弾を弾けるの??っていう説明は無いんだなーと思いましたw 嘘でも核リアクターを用いた電磁境界が鉛玉を防ぐのだー!!みたいなことをやればいいのに。
 

1939  新樹の言葉  太宰治

 太宰シリーズが続きます。


 太宰が甲府に行った時に、疎遠になっていた乳母の息子と偶然に再会するという短編。


 おそらく事実にかなり基づいている系の半ドキュメンタリー的な小説、全部作り話だったらあまりにもリアルすぎます。

 こういう自分の人生を切り売りする、っていうのが太宰治のスタイルなわけで、いわゆる「私小説」なるジャンルで呼ばれるものです。

 多少脚色してるんでしょうけどね、実体験に脚色して創作するっていうのが私小説ならすべての小説は私小説なんでしょうけど。その中でも、暴露というか露悪、みたいなのが私小説なんじゃないかしら。

 ロマン主義とか、物語イズム、みたいなのから写実主義、リアリズムというのが生まれて、さらにそれを突き詰めて実体験を述べるということになったわけですが、これは面白い体験をしなくちゃどうしようもないわけで、太宰治みたいに自分の人生がすでにひとつの作品になってる、破滅型じゃないと成立しないジャンルですよね。

 そして最近めったに見ないジャンルだと思います、まぁワタシは現代小説をちっとも読んでないんですけど、小説とかじゃなくて、普通のメディアにあんまり出てこないスタイルですよね、自伝的物語みたいなのも最近少ない気がする、ノンフィクションなら別の人間が誰かの人生に焦点を当てるっていうやり方をするわけで、オレの人生はこんなのだ、どうだ!オレはとんでもないクズ人間だろう!っていうのは見たことがあんまり無い気がします。みんなプライベートは隠して起きたい、無頼とか破天荒を、新進気鋭を気取る人間は反吐を吐くほどいますけど、自分の生活をさらけ出すってことはしないですよね、なんででしょうかね?こんな女を抱いてる、こんだけカネをもらっている、みたいな悪い自分をぶちまけるってこと。

 たぶんそれは芸人、が役割としてやってるのかもしれませんが、今では芸人も自分の生活を見せないようにしてる、破滅型のタレントっていうのはエガちゃんくらいしか生き残ってないですものね。

 自分で誰もしないからスキャンダル週刊誌がそれを強制的にやらせているんですね。

 

2017年10月14日土曜日

1939 秋風記 太宰治

 これからしばらく太宰シリーズが続くことになりますw

 漱石、芥川、太宰、国語の教科書にも乗るような作家ですけど、実際この三人が日本文学の代表だよね、間違いなく。頭抜けているもの・・・って思いますよね、しみじみと思います。別に他の作家が悪いことないけど、このラインに比べると問題にならないくらい、レベルが違いすぎる、なんだよ、こいつら、才能が違うじゃんっていう。
 
 漱石は間違いなく現代文の歴代で一番文章が上手いし、現代文を生み出した開祖でもあります、自分が生み出したんだから自分が一番に決まってる。
 芥川の構成術、みたいなのはほんと一流の職人です、非の打ち所がない。作文として900満点みたいな感じ。簡潔で洗練されています。

開祖、その一番の弟子、そして最後に来るのが、問題児、であり破壊者の太宰というわけです。小説のルールみたいなんを全部ぶっ壊している。


 よくよく読んでみると、この秋風記なんて、金持ちの家の子息である作家がモテすぎて困るということを言ってるだけなんですが、すべて太宰のセンスと才能で作品に仕上がってるというわけです。さらりと、ものすごい名言や、そんなばかな!っていう真実をさらさらと書く。時々、良い言い回しを思いついたな、って自分で思っていると、太宰の小説でなんでもないフレーズとして使われていたりする。そのくらい、名言乱射というのか、ちょっとした会話の節々に、ものすごい名文を書いたりします。ほんと才能人ですよなぁ・・。

 神は貧しいからといってその人間を愛さない、その中にサタンがいるからである。強く富裕なものの中にいる、善人、これを神は愛するのである。

 こういう具合。愕然とする真実を解き放つ。

 この秋風記、何回か読んだと思うんですけど、やっぱりすごいですね、まぁ1939年という時代に書かれてるという時点で、なんかかなわないなぁという気がするわけですが。

1979 quadrophenia さらば青春の光

 原題のQuadrophenia は四重人格という意味で、the WHOのロックオペラ的なコンセプトアルバムからとられています、この映画の内容はそれ自体とはあんまし関係ないですけど、BGMはほとんどWHOから使われています。

 どういうわけで「さらば青春の光」というタイトルになったのかは謎、意訳にもなってない完全オリジナルですね。確かにそのまま和約した「四重人格」というタイトルも、クアドロフェニアというカタカナタイトルもまったく流行りそうにないタイトルですけど。(お笑い芸人がたぶんそっからタイトルをとっていてググりずらくなっていますね)
 「モッズキッズ」とかそういうタイトルにすりゃ良かったんじゃねぇかとワタシは思います。


 この映画もWild Oneと同様で、映画のプロットみたいなものはほとんど無い感じで、モッズ、というスタイルを前面に押し出した映画です。

モッズってのは妙なファッションムーブメントで反体制でヤンキー的な立ち位置なんですが、服はスリーピースとトラッドなファッションをするという謎なセンスです。反体制ならもっと反体制的な服を着そうなものですが、一番トラディショナルなスタイルをする。
 ロッカーはワイルドワンに出てきたような、革パンとレザーという、まさにカウンターカルチャーみたいな服装なので、モッズは見た目はすごい真面目そうに見えるのでとっても妙ですよね。モッズはスーツの上にMー51みたいなミリタリーアウターを着てるのは、スーツが汚れるのを防ぐためで、彼らはスーツに非常にこだわるのですね。スクーターに乗るのも、エンジンむき出しのバイクだとスーツが汚れるからです。スーツはオーダーメイドで作ってるし、モッズはロッカーがワーキングクラスなのに対して、少しミドルクラスの家庭の不良だってことなんでしょうね。 

 モッズは60年台のムーブメントなんでこの映画は昔はこういうふうなのだったよ、という記録映画みたいな調子です。

  モッズのその後、はスキンヘッズみたいな極右、ネオナチっぽい軍団に変化していったらしく、かなりやばい奴らなんですが(彼らはファッションにユニオンジャックを取り入れていて、屈折した愛国心はあるんでしょうね、たぶん)
 モッズファッション、は彼らの思想とか行動にはまったく関係無く、きれいめのオシャレとして受け継がれていくことになります。もはやメインストリームといってもいいですね、トラッドにミリタリーテイストを入れるっていうのは。当時は、この映画にもあるように、スーツにミリタリージャケットなんて「普通じゃない」、という受け取られ方だったのですが、今では普通中の普通。MA-1を一枚は持っておこう♪みたいなことをいわれておるくらいですし。
 あとモッズのスタイルとしてスリムフィットってところも大きいです、ロッカーとかマッチョと違って、ジャンキーの彼らは細身のスーツ細身のパンツというわけで、これも今風、ですね。


 映画のストーリーはモッズキッズが、さんざん暴れ倒して、セックス、ドラッグ、パーティーというループを繰り返したあげく彼女をNTRされて、仕事をキレてクビになり、最後には・・・

 っていうめっちゃベタベタな展開というか、ドラッグ破滅型の映画の王道を言っているプロットであります。

 よくアメリカ、イギリスだけにかかわらず、台湾でも韓国でもどこでも、クラブやダンスホールで音楽を聞きながら踊っている、っていうシーンがありますけども、ワタシ個人は一体何が楽しいねん、って思うんですよねw だいたいこの映画の80%くらいは音楽を聞きながらグダグダしてるんですけど、あぁいうパーティーピープルとはワタシは相容れませんなぁ・・、家でゲームしてたほうが楽しいものね。それじゃ映画にならんのじゃけどw インドア派なんだなぁこれが。


 でもファッションは不良が作っていくってのは間違い無いと思いますね、不良というか、反体制とかマイノリティ。だって体制側の人間は、みんな同じ格好をしてるわけで、そっから新しいものなんて生まれっこないですわね、新しいことをうまないってことが、体制側の人間として優秀である所以であるともいえるし。もちろんただの糞野郎みたいな不良から、極○的なガチ勢までいろんな不良がいますけども、ストリートに彩りを添えるには必要悪なのかもしれませんな。

2017年10月13日金曜日

1953 the wild one 乱暴者

初めて暴走族を扱った映画だということです。
 
 注目すべきはそのファッションでして、暴走族のファッションって1950年台前半にすでに完璧に確率されてたんだなってのが確認出来ます。

 マーロン・ブランドの来ているライダースジャケットのデザインがすごい完成されていて、ライダースってもう半世紀以上ずっと同じデザインなんだなってわかります。

 もちろんスーツはすでに100年以上ずっと同じデザインなんですけど。ファッションってのは移り変わっていくようで、あんまり新しいスタンダード、みたいなものはなかなか生まれないものなんですね。


 最近ファッション雑誌でノームコア、っていう単語を目にして、一体何それ?って思って調べてみると

 Normal+Core=NormCore    超普通。みたいなことなんですね。

 代表的なノームコアのファッションというと、スティーブ・ジョブズみたいなことで、セーター、デニム、スニーカー。シンプルスタイルで、しかもずっと同じような服を着るというスタイル。
 でもジョブズのスタイルってのは、いわゆるビートニクスタイルでもあるんですよね。メガネ、セーター、デニム、サンダル、これがビートニクスタイル。
 ビートニクも1950年台の流行というか、スタイルですんで、ノームコアってのはビートニクの再来とも言えますよね。


 ファストファッションが市場を席巻して、スタンダードな服ってのが安くて簡単に手に入るようになり、みんなシンプル極まりない、服装をするようになってきた。

 一昔前はダサい服、ダサいファッションのやつってのがもっとたくさんいたんですけど、ダサくなくなって来てます。特に都会ではすさまじくダサい人間ってのをあまり見かけなくなった。全身ユニクロ、みたいに、普通、なかっこをみんなしてる。

 もちろんちょっとでも文化レベルの低いところにいくと、ボロボロの服だったり、ヘインズのシャツ一枚で乳首丸出しで出歩いているヒトもいますけれども、表通りではユニクロ一色という感じ。


 それはでも裏を返すと恐ろしくみんな個性が無くなってきていて、個性、ってのいうのに対する規制が実は強くなってきているのを感じます。
 よくSFとかの未来都市だと、みんな同じカッコをしてますよね、何か機能的に優れてるっぽいスーツ、それに近づきつつありますよね。ダサい、とか浮くのを避けるためにみんな同じに近づいてる。
 ワタシはスーツってのがキライで、なーんでこいつらは制服にしろ、みんな一緒ってのにこだわるんだ気持ちわりぃってずっと思ってるんですが、だんだんそれがカジュアルにまで広がって来てる。恐ろしいですね。


 デザインをする時にありモノを使うってのは一番安易で簡単なんですよね、高校生だから制服にするか・・、社会人だからスーツにしとくか。みたいに、それって楽してるだけでめっちゃ面白くもなんともないですよね。


 この映画、内容自体はめちゃめちゃというか、は?っていう感じなんですけど、スタイル、ってのを完璧に打ち出した作品ですね。たぶん暴走族スタイル、っていうのを知らないヒトには、なんだこのスタイルは!?っていう衝撃だったと思います、この手の新しいスタイルをガーン!と打ち出すっていう映画ってのが稀に出てきますよね。

 マーロン・ブランドが主役なんですけど、もちもちしてるっちゅーか、ぽっちゃり男子です。どうなんでしょう、アメリカってのは男はガリガリよりもマッチョ、ややぽちゃくらいが受けるんですかね?

 実はマーロン・ブランドはTシャツ、というのを流行らせた人間でもあるようです、下着であるTシャツ一枚で、ウロウロする、っていうのはそれ以前にはナシだったのですが、ブランド―がそれをアリにした、らしい。

 ブランド―は演技の方向性を変えたともよく言われたます、戦前のわかりやすく、明るい、あるいはとにかくかっこいい!っていうのではなくて、何を言ってるかわからない感じでしゃべり、何を考えてるのかわかんない感じで行動する。つまりは、わかりにくい、スタイルなんですね。謎っぽい。確かにジェームス・ディーンがかなりブランドに影響されてるのがわかります。

 
 カネにこだわり、エロオヤジでしかもデブ、乱暴者ですぐ怒る、わがまま。という最低なハリウッド・スターの代名詞でもあり、それでも、存在するだけでオーラを出す、そういう懐かしスターですね。今、一番毛嫌いされる、個性的、な俳優でした。

2017年10月10日火曜日

2003 elephant エレファント

 なかなかこの映画が好きっていうヒトが多い映画です。オシャレ映画・・・、というにはちょっとハードすぎる内容なんですけど。

 どういう映画かというに、ゾンビじゃなくて生身の人間を撃つ感じの映画です。それも戦争映画風のバキバキドカンじゃなくて、普通の日常の中に突然ヴァイオレンスをぶち込んだ感じの映画なり。

 監督はガス・ヴァン・サント、この人も、なんか映画好き、気取りみたいなヒトにすごい人気がある監督ですよね。


 この映画はカンヌでパルムドールを取ってますし、映画通とか詳しいヒトは見てる映画なんでしょう。まさにカンヌが好きそうな映画だなー。っていう感じですね。

コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしてるといいますけど、たぶん実話ではないんだと思います、モチーフにしてるだけで。事実の再現だったら、キャラクターとか遺族がだまっちゃいねーですものね。


 ざっくり言うといじめられっ子が実はサイコパス男で銃を通販で大量に買い込み、最後に無感動に撃ちまくるという感じです。

 映画のパッケージを見ると金髪の少年と女の子がいて、なんかこの2人の青春映画的な感じなのかなーと思いきや、この金髪はほとんど映画の主たるプロットには関係ないというパケ写詐欺です。ワタシは逆でなんかこのパッケージからして面白くなさそうだなー、と思って敬遠してたんですが、実際はパケよりも良かったと思います。

 ただ、面白いのベクトルが観て、あー楽しかった、なんて言える映画じゃ全然無いんで1人で見るべき映画ですね。


 ワタシがちょっといいな、と思ったのは、サイコパスと違う、女の子のいぢめられっこもいるんですね、ちょっと頭が弱いし不細工なキャラ。このキャラが何か重要な役を演じるのかと思いきや、一番最初に殺されてしまうのです。おっと!
 いぢめられっこ同士だからオマエは助けてやる、みたいなことになるのかなという予想を裏切って瞬殺。でもそれが暴力の、不条理っていうか、暴力たる所以を見せている感じがして、良かったですね。ここはカンヌ審査委員長もうなったであろうw



 銃乱射事件がつい最近も起こってますよね、銃だけじゃなくて爆弾も、ライブとかヒトが集まるところを狙ってドカン。

 
 けどこの映画でもそうなんですけど、車を売れば確実に交通事故は起こるし、銃を売れば誰かが撃つ、核ミサイルを搭載すれば、いつかは発射するでしょう、そんなの確率の問題で「誰が撃ったか」、なんてほんとはどうでもいいんじゃないかな?とワタシは思ったりもします。

 人間にはココロがあるように思えて、全体としてはただの簡単な確率で動く、自殺するヒト、成功するヒト、大金持ちになるひと、挫折するひと、それもたまたまその確率、に左右されたってだけなんじゃないの?と思っちゃいます。だいたい映画っていうのはそれにはこういう社会的背景、政治的背景、個人的な事情があってね、というのを説明することによって成り立っているんですけど、どっかでワタシは、そりゃ何億人もヒトがいれば、そういうヤツもいるし、いなきゃおかしいだろって思います。
 ミサイルを撃ったからトルーマンを憎む、なんてことはしませんね。そりゃ誰かがいつか撃つでしょう、それはこれからも。


 だから銃を規制しようとか、車を全て自動にしようとか、ミサイルを廃絶しようとか言いますけども、それも無駄じゃない?って気がしますよね。

 銃がなかったら花火とケロシンで爆弾を作ったり、洗剤で毒ガスを作るだけでしょう、車が自動運転になったら、じゃあ個人が車を持たないで道路に電車を走らせればいいじゃんってことになり、自動車会社が潰れて、その失業者が、銃がなかったら・・の人間、の後ろの列に入るってだけだし、ミサイルが禁止されたらバイオ兵器、ナノ兵器、サイボーグ部隊、新しい兵器に変わるだけですもの。


 そうはいっても銃、GUNってやつはあまりにもお手軽すぎると思うのも事実、それとは逆に、日本は銃が売ってないから、通勤ラッシュ時に電車が遅れがちなのも事実。自殺を試みる文学者が妙な死に方をするのも銃が撃ってないからに尽きるわけですよね。あるいはシンガーやらバンドのフロントマンの原因不明の死。違うよ、手短にレボルバーがないから変な死に方をするだけだろうに。


 さてこれ以上はワタシはすごい言いたいことがあるんですけど一般的には絶対に支持されないことなんでここれにておしまいw

2017年10月7日土曜日

2013 Gravity ゼロ・グラビティ

今更ですね、たぶん見たヒトは相当いるんだと思います。2013年のヒット映画ですよね。なんかまったく映画をみない時期でしたね2010~2016年って。なんでじゃろ?


 ハリウッド流のたっぷりオカネかけたんだからこれ見なね。っていうのがまぁ2年に一本ペースくらいでありますわね。とにかく最新技術を全部ぶち込んでやればえぇやん、今の技術で出来る最高のテストとして作りましょうみたいなの。まさにそんな感じ。

 

 この映画ストーリーはほとんどありません。宇宙ステーションにスペースデブリがぶっ飛んできて、なんとか脱出するというワンシチュエーションもの。プロットは無に等しく、登場人物もほぼ2人しかいません。

一応主人公の女性は天才科学者であるけども、事故で娘を失くしたことをひきづっているのですけど、いやいや、そんなネガティブなヤツNASAは採用しないって・・・。ジョージ・クルーニーの役みたいに、ネガティブな感情をほとんど持ってない明るいサイボーグみたいなヤツしか選ばないでしょうよ。一応主人公は天才っていう設定なのにたいして知識が無いのも、おや?って感じ。


 映画の90%はISSの中ってこういう感じになってるんだ、宇宙から地球を見るとこう見えるんだ・・、へぇー、スイッチ類はこうなってるんだ、宇宙服ってこう脱ぐんだ、着るのが簡単だなぁ、腕時計なんであの手にグローブつけてるのに押せるの?こうやって気圧をあわせるんだ・・。

 っていう宇宙あるあるみたいなのを説明してくれます。ISSからの通信みたいなのはたまにありますけども、こういう風になってるってのを全然今まで説明してくれる映像とかそういうのは無かったですよね、だから今までに見たこと無い景色、を見せてくれるっていう映画なので、なるほどなー。っていう興味本位だけで見れます、映画自体が全然面白くなくても、新しい景色、それだけでおk。宇宙に興味があるヒトには是非オススメですね。

 まぁ科学的に言うとそんなわけあるかーい!!っていうツッコミどころ満載なんでしょうけど、まぁ日本人には思いつけないタイプの映画ですよね、情報が無い。人間ってのは自分で経験したことしか書けないものです、経験が無いものについては語れない。見たことが無いものはどんなに絵が上手い人間でも描けない。象を知らない人間象をいくら頑張ってもかけない。そういうわけです。
 だから最近の物語は学園モノ、主人公は高校生、ゲームのセカイに・・、みたいなものしか無いんです。だってそれ以外に経験がないんですもの、他の物語なんか作れっこない。戦争モノとかでも、重さ、が無いです、リアリティがないってのもそうだし、重さ、が存在しない。ライフルはこのくらいの重さだ、みたいな感覚、を持っていないので。そして空間、も無かったりします。感情描写ばっかりで、空間が全然無い・・・


 ワタシがこの映画で一番良いと思ったのは本編が80分くらいしか無いところですね。サクっと見れる。これが一番良い。短い故に中だるみしない。
 あまり良くなかったのは、カメラワークを斬新なものにしようってするあまり、ぐるぐカメラを回しすぎていてなんか気持ち悪くなる、初の宇宙酔いをする映画ですねw もっとステディなカメラワークのほうがなんか伝わる思うんですけどね。

2017年10月3日火曜日

1996 2005 Rent レント

 I'm New Yorker
 Fear is my life


 レントとはミュージカルとして始まったものでこれはその映画版。レントとはつまり家賃、家賃を払えない人々を扱ったミュージカルなんですね。

 ちなみに Rent Boy っていうのは、娼男、つまりはホモのおっさんに変われる男の子の売春をするヒトのこと。家賃を払うためにカラダを売るコドモってわけ。このRent ってのはそういうわる~いイメージのする単語なわけです。


 都市の貧困、みたいなのをテーマにしたものは腐るほどあって、それもその一つ。ジャンキー、ドラッグ、HIV、貧困、犯罪、ギャング、カウンセリング、NGO的な集まり、宗教、LGBT、風俗産業、ストリップ、売春、エトセトラ。

 2017年の現在ですと、それに高齢化、少子化、負債、難民、内戦、戦争、極右、差別、ミサイル、破産、生活保護、保護主義、差別と、個人的問題というよりももっとえげつないテーマになってしまいますね、4000年ずっと続いてる問題を未だに継続中というか。
 ただもうそういうのは考えるのも嫌だ、というわけでアイドルと美少女ですべてのものにフタをして、悪いことは考えない、というスタンスに変わっています。


 
確かにジャンキーやら陽性、性的マイノリティーを雇ってくれるとこなんて無いわけでしてこのへんは無限ループのように連鎖するわけですな。
 映画は2005年ですが、オリジナルは1996年、やはりというかなんというか、ワタシは勝手に思ってるのですけど1996年、はターニングポイントなんです、それ以前と以後ではセカイのあり方ってのが変わった。
 ともかく世紀末ブームの頃の作品なんですね、この頃こういうのがめちゃくちゃ流行っていました。若者の死、っていうジャンル。刹那主義の時代だったんですよね。

 このミュージカル、が流行ったのには別な理由があって、この劇の作家であるジョナサン・ラーソンという人物はこのミュージカルの通り貧しいミュージカル作家で、しかもこのミュージカルの公演が行われる直前に発作を起こして死んだのです。それが伝説となって、貧しい作家の遺作、というものすごいメロドラマちっくなエピソードが生まれ、それが絶好のプロモーション素材となり、爆発的ヒットへとつながっていったというわけです。


 ミュージカルそれ自体が日本には無い文化なので、奇妙な感じがしますよね、それはまぁ外国のヒトに歌舞伎とかが意味不明なのと同じです、なんなのこのちんたらしたリズム??っていう感じ。あれは日本人でも理解不能ってほうが多いですけど。
 でも歌ったり踊ったりすると、その物理的な作用で気分が明るくなるってものがありますよね。ナチュラルハイ。コトバで人生はいいものですよ、みたいなことを言うよりもよっぽどフィジカルで伝わる。
 ある重度の鬱病患者で自殺志願者だった人間が、枕を変えたらまったく別人のように明るい人間になったという例もあります、ココロとか気分とか高尚なものに見えて、向精神薬とか物理的、な方法で違う考えになるってこともある。



 映画に話しを戻すと、貧乏で家賃も払えないはずなのに服は小奇麗だったり、顔とかもさっぱりしてる・・・。家もめちゃくちゃ広い、日本の貧乏人の家の20倍くらいの部屋に住んでますし家財道具も揃いまくってる、いや全然貧乏じゃないじゃんって感じで、悲壮感をわざとなくそうとしたのか、なんかオシャレ映画みたいにされていて、ん~~・・・っていう感じ。正直映画の出来はイマイチ。ただやっぱり、伝説、が後押ししてRENTという作品全体になんか色をつけてるっていう感じですね。

 作者が長生きするとだいたいろくなことにならないから。落ちぶれるならまだいいんですけど、成功して金持ちになってしまうともう最悪です。ワタシはクリエイターってのは落ちぶれて死ぬのがいいと思います。オスカー・ワイルドみたいに。そのほうがまだかっこいいでしょう。まぁ絶頂期に自殺が一番かっこいいんですけどね。


 一番最初に書いたのは映画の中のセリフでして、HIVになって怖いか?と聞かれてこう答えます。

 ボクはニューヨーカーなんだ、恐怖ってのが生きるってことだよ。


 これはすごい気の利いたセリフですね。確かに、怖いことばっかりですよね、やれクレジット、やれ犯罪、失業するかもしれない、年をとったら雇ってくれないかもしれない、捨てられるかもしれない、サイコ野郎に襲われるかもしれない、自然災害がくるかもしれない、放射能に汚染されてるかも・・・エトセトラ。

 生きてくってことは怖いってこと。これはなんか真実がこもっていましたね。

2017年10月2日月曜日

Conor McGregor vs Floyd Mayweather

http://fullmmavideos.com/conor-mcgregor-vs-floyd-mayweather-full-fight/



  今!?と思うでしょうが見忘れてましたw

 メイウェザー対、UFC(MMA 総合格闘技)の元チャンプ、といってもまだ29才ほど。による、ボクシングルールでの対決。

 パッキャオ戦以上のスポーツ史上に残る巨額のマネーゲームだったようですが、結果的には、コナーは3Rくらいで完全にスタミナ切れ、あのメイウェザーがKOしに行くという珍しい展開の試合になりました。ほぼ中盤以降はただのサンドバッグ。リスクなんて絶対侵さないメイウェザーにKOされるなんて、UFCの格がちょっと下がりましたね。なんだやっぱMMAってたいしたことないんだな・・って感じがしました。
 
 やっぱ総合選手はスタミナが無いんですね、結構短期決着ですもんね総合は、ボクシングはその疲労度といったら並じゃないらしく、一度自分がやったら、二度と、なんでこいつパンチ出さねーんだよ!とは思わないらしいです、そんくらいしんどいらしい。

 
 まぁボクシングルールなんだからそりゃ勝てるわけねーだろって話なのかもしれませんが、メイウェザーはもう40才なんですよ?40才のボクシングチャンピオンなんて、おっさんにしてもおっさんすぎる、今度こそメイウェザーやばいんじゃないの?って思ってたヒトも結構いたと思います。

 しかいそういういつか負けるんじゃないかという期待を裏切り続けるのが稀代の金の亡者、マニーウェザー、やっぱりまだまだ最強伝説を続けるんですな。ちょっと八百長臭いなぁとも思いましたけども・・・。


 マニーウェザーがプロモーションしてやってるんですけど、総合対ボクシングという夢のカード、マンガみたいなことをやりますね、一体どれだけ稼げば気が済むんでしょうw でもマニーウェザーのヒール感、真面目にやってない感、ものすごいワタシは好きなんですよね、キャラが立ってるなぁ・・・。スポーツ選手も真面目にスポーツするのももちろん大事ですけど、やっぱキャラが大事ですよな・・・。

2017年10月1日日曜日

1608  The Tragedy of Coriolanus   コリオレイナス シェイクスピア

 シェイクスピアの最後の悲劇作品として知られています。これ以降の作品はロマンス劇、という風にカテゴライズされております。まぁそれは学者が勝手に決めたことなんですけど。



 舞台は紀元前500年頃のローマ、コリオレイナスという伝説上の武将が主人公です。紀元前500年なんていうのは、まだまだ伝説とフィクションと歴史、神話ってのが曖昧な時代ですので実際にコリオレイナスっていう人がいたかは謎ですね。カエサルとかアウグストゥスとかは確実に実在したといえるのですけども。
 
 コリオレイナスなんて知ってる日本人は1%もいないんじゃないですかね。この演劇も知名度はぐっと下がる。


 しかしこの演劇、実は名作だとワタシは思います。大衆的に人気が無い理由は一目瞭然でして、この演劇は実は、観客、オーディエンスをディスってるような演劇だからですね。市民、大衆、の愚劣さ、自分勝手さ、政治の矛盾。そういったものがテーマになっているからですね、劇を見ている、市民、達がいい気分になるはずはない。


 そしてShにしては珍しく性欲、っていうのがほとんど介在しない作品です、たいがいは下ネタとエロネタはどうあってもねじ込んでくるShにしては非常に珍しい、一番初期のヘンリー6世の頃に戻ったような感じもあって、真面目で政治的な作品です。


 プロットはコリオレイナスという勇猛果敢であるけれども、ウソを言うことが出来ない、他人に媚びたり追従を言うことの出来ない武将がいて、彼が戦争で武功を立て、執政官へと推薦されるのですが、コリオレイナスは市民にコンスルに任命してくれと頭を下げることが出来ず、市民達を護民官が煽動してコリオレイナスを追放してしまいます。

 コリオレイナスはローマに恨みを抱いて敵軍に寝返って復讐を果たしにくるのですが、ローマの使いがどれほど和睦を志願しようとそれを受け入れなかった、ただ母親が説得に来て、憎しみを忘れて和約を結びます。
 しかしそれが裏切りとされて、コリオレイナスは暗殺されて終わるというお話。


 SHらしい、普通のキレイゴト、を裏切る結末ですね。母親の願いを受け入れて、戦争を思いとどまったら普通ハッピーエンド、親子のキズナは強い、っていう終わり方をするはずですが、この演劇ではなんと、裏切り者として暗殺される。
 でも確かに裏切りといえば裏切りで間違いないし、それにコリオレイナスは何度も裏切りを重ねているわけで、暗殺されて当然とも言える。


 コリオレイナスは高潔すぎてこの世には生きていけない、といいますが実際コリオレイナスはほんとに正直すぎる人間で、ヴォルサイ人が反乱を起こしました、という伝令が入ると

「よし穀潰しども(穀物法、いわゆる生活保護みたいなもんです、を受けてる市民達のこと)、を使い捨てにして減らすチャンスだな」

といいます。確かにその通りなんですけども、それを口に出して言っちゃうやつにはやっぱり政治家はムリなのかも・・・。

 じゃあ政治家はウソをつくための職なのか??という根本的矛盾をえぐり出します。実際ウソをつかなきゃ政治家になんかなれっこない。

 失業者を減らすためには戦争で捨て駒として使って殺せばいい、高齢者が財政負担になってるなら、彼らを戦争に動員すれば結局は戦費のほうが安くつく、障害者などは生まれた瞬間にティゲトス山に捨てにいくべし。

 こういうことは思っていても言ってはいけない。ことでして、この手のコトバを吐く人物は正直者であるには違いないけれど・・・それが信頼を勝ち得ることにはならないわけですね。

 政治家は嘘つきだといいますが、じゃあ真実ばかりしゃべっていたら人気が出るかというとまったくの真逆。今ならもぉ速攻でメディアに吊し上げをくらって袋叩きにされてしまいます。


 でもなんでこんなことに?というとやはり大衆が無知であるということになり、コリオレイナスが大衆を愚衆扱いするのはやはり間違ってはいないわけで、ぐるぐるとこの演劇は誰が正しい?ということを意図的に回避しつつ、最後にはコリオレイナスが死ぬ。


 またコリオレイナスの母親、ヴォラムニアは国家の為に死ぬことが名誉であり、自分の子が祖国の為に戦うなら悲しむことなど何も無いという、今ではめったに見かけなくなった国粋主義者の母親タイプ、軍国主義者の求める母親像みたいな性格でして、さらに本音では息子が最高権力を握るのを目論む野心家でもあり、このヒトが良い人間なのか悪い人間なのかというのもまったく意見が割れるところです。1945年以前の日本だったら90%以上がヴォラムニアは素晴らしい人物とこたえたでしょうし、今なら、コドモを愛さない野望にとりつかれたごうつくババァとも言われかねない。


 しかしヴォラムニアタイプの人間ってのはほんといなくなりましたよね。祖国が最優先だ、なんていうヒト。徴兵カードを持ってきて、おめでとうございます!っていうヒト。この演劇、実はキーはこのヴォラムニアなんだと思います。


1607 アントニーとクレオパトラ  シェイクスピア

 ジュリアス・シーザーの続編とも言える作品。

 Shらしく選んだ主人公はらマーク・アントニーとクレオパトラという敗軍の将です。

 Shによるキャラ付けはアントニーは武勇には優れているが女には弱いという脳筋タイプ。悪い人間では決して無いが、人間味が強すぎるというキャラ

 クレオパトラ、これが複雑なキャラ付けがされてる気がします、ただのエロい男を堕落させる悪女ではなくて、高貴でもあり、おそらく美人でもあり、感情に走ることもあるけれど、女の悪い部分を持てるだけ持ってるような人間であるけども、ただこの劇では、クレオパトラのアントニーに対する愛情は、ただの政略的なものではなく真実が含まれているという風に描かれています。


 変わってオクタヴィアヌス・シーザーは、冷徹に政治を執行出来る、権謀術数にも長けた権力者としては完璧に近い人物、自分の感情に溺れることもない、20代前半の設定でありながら完成された人物として描かれています。



  重要な脇役としてイノバーバスという武将も登場します、堕落していくアントニーの部下で、主を見限ってはいるのだけれども、アントニーをほんとは愛してもいるという人物。


 ここまで書いてもわかるようにこの劇、というかこの時期以降のシェイクスピアは、こいつは完全に悪、こいつは善、こいつは純真無垢、こいつは非道な裏切り者。っていうはっきりとわかりやすい人物を描くことはなくなり、どちらともとれる、答えはそっちが決めて下さいっていうふうなやり方に変わっていきます。
 レベルの低い客層や、大衆受けを狙う場合、はっきりくっきりわかりやすいほうがいいに決まっている。ヒトラーの屈指の名言だとワタシは思いますが

 「一番理解力がない人間にもわかるようにしゃべり、うんざりするくらいそれを繰り返すこと」

 これが大衆の人気を集める手段なんですが、シェイクスピアはそういうのにうんざりしてきたのでしょう、どっちつかずの、どちらともとれる、物語にシフトしていきます。



 マーク・アントニーがクレオパトラという悪女につかまり、性欲に溺れて崩壊する悲劇。ではないんですこの演劇は。
 むしろクレオパトラは悪いことをしようとして悪いことをしてるというよりも、アントニーを愛するけれども、根性が無かったり、運が無かったりして、善意による行動なんだけれども結果的には災厄しかもたらしていないという役回りだと思います。

 アントニーはクレオパトラを愛し、彼女が裏切ることを常に恐れたり激怒したり改悛したりと、ある意味人間らしくふるまう人物。氷のようなオクタヴィアヌスよりも、好感が持てる部分もかなりある。

 アントニーを裏切ったイノバーバスも最後にはアントニーを裏切らなければ良かった、と後悔して死んでいくことになる。


 このように非常に多義性に富んだ演劇。


 話しは変わりますけどもクレオパトラのキャラクター、完全なShの創作ではないにせよ、エロくて官能的でありつつ、高慢で高飛車、褐色で美人。というものすごいキャラが立ってる人物ですよね、女キャラとしてこういうふうに際立った特徴を持っているかなり先駆者的な人物ですよね。
 今でもエジプト女のイラストというとこのクレオパトラのイメージだと思います、蠱惑的でミステリアス、露出が多くスケスケの服を着ていて、ツンデレ。そういうテイストで描かれます。

 実際のエジプトのドキュメンタリーなどを見るとそんなやつはまったくいないw まぁイスラム化してまったく古代エジプトとは違う国になってしまっているのでね。そして美女というイメージも正直無い。



 散々問題を起こしてきたクレオパトラですけれども、最後には毒蛇で自殺してオクタヴィアヌスは女にしては高潔な死に方をした勇気のある人物だった。といいます。


  ここがワタシ的には一番のポイントだと思うのですけれどオクタヴィアヌスが

「クレオパトラは痛み無く死ぬ方法を研究していたらしいからな」


 といいます。プルタルコスの著書にもクレオパトラは死刑囚に毒薬の実験体になってもらっていたという記述があるらしいのです。



 そこがクレオパトラっていうキャラクターの肝なんだと思いますね。普通の女のキャラクターはそんなことをしない。女ってのはその日暮らしで生きてますし、自分が死ぬ時のこととか、死ぬ方法とかを考えたりすることはない。基本的に自殺はしないんです女性ってやつは。


 クレオパトラはそれとは違って、自殺する方法を研究するほど、先のことを見越して考える、という女性らしくない部分があるんです、そして自分が自殺するような運命に追い込まれることを見越しているような部分がある、破滅を待っているような態度。


 長く続いた王朝の王女であるのです・・・

 という側近が言うように、彼女は歴史ある王朝の王女であって、ただの淫売とは全然違う。すごく難しいキャラですよね。シェイクスピアの中でも最も「女性らしい」キャラなのかもしれません。




2017年9月28日木曜日

1975 rocky horror picute show ロッキー・ホラー・ショー

 カルト映画、の代表とも呼ばれる、ミュージカル映画です。

ミュージカル、が先にあってそれが人気が高まり映画化されたというものなんですね。キャストもそのオリジナルの舞台俳優がほとんど起用されてるとのこと。


 公開当初の評価は最悪だったのですが、その最悪さ、趣味の悪さが逆に面白くなってきてしまって、映画をみながら一緒に歌ったり、バカにしたり、コスプレしたりしながら見るという、悪ふざけがなぜか一般化して、唯一無二の映画になったというわけです。ただ見るだけじゃなくて自分も参加するという、のが恒例になった、ほんとうに謎の映画です。


 では映画の出来はどうなのかというと、実はそんなにひどい映画ではない、セットも作り込まれてるし、カット割などもかなり工夫されています。
 ただ1975年という時代にしてはガリガリに尖りまくっていたというだけですね。まだまだこの時代はヒッピー・ムーブメントが沈静化してきたころで、性的マイノリティに対する風当たりはブリザードっていう時代なんです。

 よくヒッピーというとラヴ&ピースといいますけども、そのラヴの中に同性愛は含まれたなかったっちゅーわけですわね。ヒッピーのイメージ、みたいなものでもだいたい男女がセットとして扱われています。ジミ・ヘンドリックスのエレクトリック・レディランドのカバーを見ればわかりますが、ヒッピーっていうムーブメントは反体制としてあらゆる伝統をぶっ壊そうとしてましたけども、基本的な路線としては、自然に帰ろう、がその根っこにあって、自然、とはつまり、セクシャルマイノリティを認めることではないのですよね。


 この映画の主人公的なポジションは女装趣味のマッドサイエンティスト、フルンク・フルター博士なんですが、 こういうドラッグクイーン的なキャラが主人公になった初めての映画なんだと思います。こんなの今でも、あんまり見かけない。


 ともかくぶっ飛んだ映画なのは間違いないんですが、コメディタッチで軽いノリをキープしつつ、内容はタブーにつぐタブーでして、売る気ないですやんwっていう感じなんですよね。

 こういう売る気ないじゃんw 面白すぎるもん、っていう作品ってのはほんと最近は減りました。マーケティング、みたいなことが一般化して、売れる作品じゃなきゃ作りませんよ、慈善事業じゃないんだもん。っていう論調をどこに言っても耳にします。
 どういう年代をターゲットにしてるの?市場規模は?損益分岐点は?


みたいなことをすぐに言われるわけです。ちょっとでも反社会的な感じとかを出そうとすると、はいダメー!無駄にリスクとっちゃだめー!タブーとかに切り込んじゃダメー!訴訟とかの予算が無いからダメー!っちゅーわけです。 実験的な作品はダメー、結果が予測出来ないからダメー。



 こういうマーケティング的な考えってのは、まぁ良い面もあります、カネが無きゃ会社が潰れちまうし。カネが無きゃ生きていけないし。
 けど、新しいものが生まれてくる可能性はものすごい少なくなります、だって誰もリスクを取りたくないんですもの。新しいものに挑戦したり、新たな市場とか、新たな発想、考え、ってのに取り組めるのは一握りの富豪が趣味程度にやるくらいしか出来なくなってしまう。

 新しいことに挑戦しないっていう、計算されないリスクがあるんですよね、ほんとは。



 話しはちょっと変わりますけども日本は財政負債が爆発してて、800兆円ほどですか?実際にはもう破産してるんですけども、日本国民の資産、がそれと同じくらいあるんで、それと相殺することでペイできるから、日本国政府、が破綻したらそのかたとして日本国民の資産を差し押さえるっていうことで株価とか円とかが暴落しないわけです。借金ってことは未来のオカネを全部もう使い切っちゃってるってわけで、生まれてもない世代に負担を押し付けてるんです。選挙が近づいてるみたいですけども誰もそのことを何も言わない。

 消費税50%にします。それでも足りないので、国民の資産を差し押さえます。こんなことを言う政党に誰も投票しないですからね。


 日本国民はバカでポピュリズムは愚劣、政治家は無能だからこんなことになってしまった。ということを口だけの学者は言いますけども、ほんとは違います、逆です。


 自分が死ぬまでオレは税金を払いたくない、死んでしまえば何も関係無いから可能な限り借金をすればいい。どうせ死ねばすべてチャラになる。オレが生きてる限り楽しければ良い。

 という考えをしてるとすれば、これは愚劣な選択じゃなくて、賢い、選択なんです。未来の世代がどうなろうが確かに知ったことではない。

 財政健全化、なんて主張するリスク、を取る必要もない。マーケティング的な発想により、そういうリスクをとる必要はない、という政治家の選択は、賢い、選択です。



 1人1人が自分の利益になる、賢い選択をすることにより、全体は壊滅する。

 けどこのセカイは個人主義なんですし、賢い選択をしよう、とみんな教えられてるわけで、全体を優先して自己犠牲をするべし、なんてことを誰一人言わないんだから、そりゃ当然こうなる、当たり前の結果なんですよね。


一体何が言いたいかというに、個人にとっては愚かな選択をしよう。 愚行をする勇気を持ちましょうってことです。個性ってのはそういうことだとワタシは思います。正しい正解は一つしかない、けど愚かな間違いはその人の数だけあるんですから。



 

2017年9月25日月曜日

1606  マクベス   シェイクスピア

 恐らくシェイクスピアの最後の代表作、テンペスト、もあるんですけど。いわゆる最盛期の最後の作品だと言われております。
  晩年、っつってもそれほど年でもないんですが後期のシェイクスピアの作品はあまり評価は高くありません。よく意味がわからんのですな正直に言うと。



 ただシェイクスピアってのは常に変化を求めるタイプのクリエイターでこの手のタイプってのはたいていそういう道をたどるものです。オーディエンスは最盛期の、一番素晴らしい作品と同じようなスタイルを続けて欲しいと思うのですが、クリエイター自身はもうそれは完成したからいいんだ。むしろ観客に媚びるのはもううんざりだ。おれのスタイルでやる!っていう風な調子。でも長く続けるクリエイターってのはそういうカメレオンタイプじゃないと続けていけないのですよね。同じスタイルを貫くとせいぜい10年で飽きられてしまうというわけ。


 それはいいとしてマクベスは四代悲劇の中でもファンタジーに富んだ悲劇でして、まさにダークファンタジーっていう後期シェイクスピアの特徴を一番出してるって気がします。

 舞台の冒頭でいきなり魔女が登場したり、更にはヘカティ、という神まで登場します。もろに神、が舞台に出てくるってのはシェイクスピアにしては珍しい展開ですよね。
 ヘカテーは冥界の王女でして、



 プロットとしてはむしろ単純で、魔女によって「あなたは王になる」という予言をされたマクベスが、野望の虜となって暗殺を繰り返し悪の道へころがり落ち、やがて自分の罪にとらわれて気がおかしくなっていく、という野望と破滅、というシンプルなプロットを持ってます。

 誰もが知ってると思いますが、マクベスの妻であるマクベス夫人は夫の野心に火をつける悪妻として登場し、最後には「いくら洗っても・・血が落ちない・・・」

 っていうあの名シーン中の名シーンへとつながっていくわけですね。


 俳優としてはこの演劇、とってもやりやすいというかやりごたえがある演劇だと思います、演じるヒトの裁量の部分がものすごい大きいというか、実力がモロに出ます。マクベスが1人だけバンクォーの亡霊を見るシーン、空に浮かんだナイフを追っていくシーンなど、俳優の演技力でどれだけ真実味が出るかが決まってしまいますからね。



 この演劇それに加えて、見ていて楽しい、エンタメ要素みたいなのがすごく意識されてる気がします。魔女たちが黒魔法を使うシーン、一騎打ちになるシーン、など絵変わりがしっかり考えられていて、見るものを飽きさせない。


 リア王はワタシは最高傑作だと思うんですけど、実際に上演するのはかなりムリがあるんですよね、難しすぎるんです。リア王を演じきれるような俳優は存在しないと思います。架空の人物として完成されすぎている、こんなのムリだよ!!っていうののオンパレード。
 ハムレットはハムレットでこれも演じるのは不可能という気がする。だってハムレットはかっこよすぎるんだもの、俳優が見劣りしてしまう。あんなかっこいい人物は現実には存在しない。それにハムレットは青年でなければいけないのですが、若造にあんなに洗練されたキャラを演じさせるのは酷っていうもの。ハムレットを理解し始めたころにはおっさんになっていてハムレットには向かない。IQ200の天才少女、12の言語を操り、フィリーズ賞を獲るほどの数学者。みたいなキャラです、実際にはそんな少女は存在しない。
  舞台台本というよりは物語なんですよね。マクベスは舞台、の台本としてはこちらが最高傑作だとワタシは思います。
 シンプルでわかりやすい、面白い。 後味もシェイクスピアらしくなく気持ちのいい終わり方をする。そして短くコンパクトで洗練されている。

 


 実はこの演劇、改作されているというのが定説になっていて、ワタシもそう思います、勝手に編集されている。

 それはマクベス夫人ですよね、最初あんなに悪の華のようだったマクベス夫人がなんの脈絡もなくいきなり弱気になって、幻覚に襲われるような状態になっている、たぶんカットされた部分にマクベス夫人のエピソードがあると思うのが普通ですね。
 「ワタシは一度やると決めたら、自分の赤子のやわらかい唇を自分の乳房からもぎ取り、脳髄をぶちまけてでも、覚悟したことをやり抜く」

 こんなセリフを吐いていたマクベス夫人がどうして、手から血がぬぐえない・・・、なんて幻覚を見るまでに至ったのか?そこは自己補完するしかないですね。
「あの寝顔が父に似ていなかったらワタシが手を下していたのに」

 というフリがあるので、マクベス夫人と父とのシーンがあると考えると自然ですかね。自分のコドモさえ殺すと言っていたマクベス夫人が父に対しては逆らえない何かがあった・・・。


 しかし実は昔は暗殺というのはむしろ日常茶飯事で、人殺しをしたくらいでなんでそんなにマクベス夫妻が狂気にとりつかれていくのかは謎です、やっぱり魔女の仕業なんですかね。

2011 Hugo ヒューゴの不思議な発明

 マーティン・スコセッシのたぶん初めてと思われるコドモ向けの映画。


日本での知名度は相当低い気がしますけども2011年の映画賞をかなり取りまくった作品です。日本でヒットしなかったのは、Hugo、というタイトルがなんのこっちゃわからないということだと思いますね。邦題も不思議な発明となっていますが、ヒューゴは実際には何も発明はしない。



  内容は、実はジョルジュ・メリエスという映画の本当に創成期に活躍した奇術師、についての物語っていう感じですね。だから映画賞を獲るんだ、って感じですね。映画賞の審査をするような奴らはもちろんメリエスを知ってますし、ワタシももちろんメリエスを知ってます。まさに映画賞向けの映画っていう感じですね。
 

 コドモ、戦争、歴史  これこそ映画賞を獲るため三種の神器。もちろんこの映画にも的確にそれが組み込まれています。


 オープニングのシークエンスだけものすごい予算をかけて撮られています、モーションキャプチャーから合成など、うわー、すげー難しいカット作ってるなぁ、と思いますね。


 部隊は1920年くらいのフランスが舞台になっていて、ちょっとスチームパンクな感じですね。いい時代ですよねやっぱこの時代は、ベル・エポックから戦間期、この辺はほんとーに良い。


 ただ、なんとなくいい映画だなぁとは思うんですけど、ん~~、一体何がいいたいの??っていうと別に何も無いという、ディズニー映画みたいな感じの映画です。スコセッシの毒気を全部吸い出した感じですね。映画っていいよね、ってことなのかな?

2017年9月21日木曜日

1602  オセロー  シェイクスピア

 いわゆる四代悲劇の一つなんですが、ワタシ的にはあまりポイントは高くない作品・・・。
四代悲劇といいますが、ワタシが思うには、リア王が抜群の出来、ハムレットはとにかくかっちょいい作品、マクベスはややファンタジー的な魅力を持った作品、そしてこのオセローは昼ドラ的な女性受けする作品っていう感じですかね。これは作品の出来っていうよりはワタシの趣味なんですがね。オセローが一番完成してるっていう批評家もいるみたいです。



 内容はオセローというムーア人の黒人であるがヴェニスの将軍として優秀な軍人がデズデモーナという美女と駆け落ち同然で結婚するのですが、自分を出世させなかったという理由で逆恨みするイアーゴーという悪者によって、妻は不倫をしていると吹き込まれて、嫉妬に狂って妻を殺してしまうというお話です。こんな説明をしなくても知ってますよね?w  


 この時期にシェイクスピアが取り組んできた、性欲と人間という、ほんと超古代からの本質的テーマ、フロイトが飛びつきそうな一番古いテーマを完成させた作品でもあります。ワタシはでもこのテーマがあんまりなんかよくわからないところでして、別に妻が不倫していても、ふーん。ってワタシは思うだけなんですけどね。



 オセロー自身が言いますが、オレは愛するが故にこの悲劇を起こしてしまったのだ。と。深い愛故に、嫉妬で狂ってしまったのだと。

 なるほど、って思いますね。ワタシは自分で言うのもなんですが、愛情が淡白な人間ですので、オセローの気持ちがよく理解出来ません、しかしオセローという人物は、ヒトを愛することに長けた人物であるのです。

 
 このオセローという演劇の一番の売りはやっぱし主人公が黒人であるってことです。当時の黒人差別が盛り込まれているということで誤解されてるヒトが多いと思いますが、シェイクスピアは黒人に対して差別を持っていません、シェイクスピアほどヒトを差別しない人間なんてこの世にいないとワタシは思います。シェイクスピアは最悪の貧乏人や最低の悪党であっても、限りなく魅力的だ!なんて人間的だ!って愛するような人間です、どんな人間でも魅力的なキャラに昇華させるのですわね。悪党どもならず、金持ちの鼻持ちならないヤツ、ピューリタン気取りの偽善者、そういう俗物も大好きですからね。


 オセローはイアーゴー自身が言います
「オレはあいつが大嫌いだが、あんなに誠実で愛情深く高潔な人物はいない」

 悪党であるイアーゴーがそういうんだから間違いないでしょう

黒人であるにせよオセローは非の打ち所がない人物なのです。


 で!イアーゴーの分析通り、愛情深いこと。がオセローを破滅へと導く。


 これはよくよく考えるとすごいプロットですよね、オセローは何一つ悪いことをしていないが、ヒトを愛するので、悲劇的な結末を迎える。
 実はものすごい不条理ですよねこれって。勧善懲悪の真逆、善であるがゆえに罰せられる。



 悪党であるイアーゴーは最後には自分の妻に裏切られて捕まってしまいます。悪が強すぎた故に味方に裏切られる。イアーゴーは自分の妻を殺して逃げだすのですが、 徹底してます。
 徹底してるがゆえにこのイアーゴーというキャラクターは、ものすごいかっこいい、美しさを持ってると思いますね、リチャード2世タイプ。

 しかしイアーゴーはなんでそこまでしてオセローを憎んでいるのか?自分を昇進させなかったからという理由はあるにせよ、それでここまでするか?っていうくらい悪の道をひた走る。その理由は何か?ってのを考えると、それも、オセローが完璧な人間である、そこにしか理由が見当たりません。オセローが完璧な人物であるということ、まさにそれが、オセローが憎まれる理由なんですね。


 こういう一般のソレ、とは真逆の展開をさせることで、人間の本当、をえぐり出すという後期シェイクスピアの恐るべきテクニックが発揮されてるというわけですなぁ。


 なんとなくこの作品はドストエフスキーの「白痴」と似てる感じがしますね、白痴もまだワタシが学生の頃に読んだ時は、なんだか・・よくわからん話しだ。と思ってたのですが、何故かだんだんと、白痴の世界観ってのがワタシの中で膨らんでいて、ロゴージンの闇に閉ざされた家とボケてしまった母親っていうイメージがものすごい鮮明に浮かんできたり、ロゴージンの十字架の話なども何度も急に思い出してしまいます。そういうことってないですか?

 誰も救われない全滅エンド、やっぱりこれがワタシは大好きなんだよなぁw

2017年9月18日月曜日

1999 Buena Vista Social Club

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブというタイトル通りの名前のキューバのバンド、バンドといってもロックではなくてキューバのビッグバンドです。の一人ひとりを紹介していくっていうシンプルな作りのドキュメンタリーです。このバンドの殆どが老人であり90才?のギタリストなどもいたりするんですがかなりのテクニクシャンの集まりだってわけです。

 このバンドについてのドキュメンタリーというよりは、キューバっていう国についてのドキュメンタリーという感じです。キューバの町並み、キューバの暮らしとかそういう感じ。

  キューバは今となっては絶滅危惧種の社会主義の国ですが、南国ということもあって悲壮感が無いというか明るいですね、音楽もそう。キューバの町並みはボロボロのマンションが立ち並んでいて掃除をしてないパリみたいな感じです。いらないところにオカネをかけないのですね。車もずっと同じ車を乗っているのでクラシックカーばっかり。
 まちなかにはドミノ、を麻雀みたいにやってる人々やダラダラしてるヒトも多く、ファッションも自由な感じ。
 資本主義の街みたいに、みんなオカネを求めてスタスタ、と歩いてる感じがなくて時間の流れ方がゆるゆるしてるって感じがしますね。


 今日は台風一過でめちゃ熱くて何のやる気もしない一日、この熱い感じがキューバの町並みを観ててなんかシンクロしましたね・・・

2012 Searching for Sugar Man

ネタバレ警報


ドキュメンタリーなんですが、ネタバレがかなり大事なので見るつもりのヒトは読まないで下さいね。




1970代初頭ロドリゲス、なる何のひねりも無い名前のアーティストがデトロイトにいて、2枚のアルバムを出すのですが、恐ろしく売れずにクビになってしまった。
 その後、ロドリゲスはコンサートで自分の頭を銃で撃ち抜いて自殺した。



 南アフリカではアパルトヘイト闘争の真っ最中、国中が揺れていたのですが、誰かが持ち込んだらしいロドリゲスのアルバムが口コミで大ヒットミリオンセラーとなり、革命ソングとして大人気となりました。
 このロドリゲスっていうアーティストは一体誰なんだ?南アフリカの音楽評論家がロドリゲスについて調べていくと驚くべき事実が次々と明らかになる・・・


 っていう実在の探偵物語みたいなドキュメンタリーであり、アパルトヘイトについての新しい切り口を持っていたり、音楽ってやっぱいいよなって話しだったりと、かなり面白いです。ドキュメンタリーってやつは作り物じゃないからどんなオチになるかわからないけれど、それが奇跡的に動き出した時、作り物の映画では真似できないプロットになりますよね、ドキュメンタリーってそういうもんですよね、奇跡が起こるのをみんな待ってるっていう感じ。極稀にほんとに奇跡が起こることがあるっていうお話です。

2017年9月17日日曜日

2010 Bill Cunningham New York ビル・カニンガム NY

NY TIMESという新聞でストリートファッションのコラムを担当しているビル・カニンガムという老人のドキュメンタリー

 「みんな本当の趣味は多種多様であるが、クッキーみたいに全員おなじ格好をしている、自分の趣味の通りのファッションをする度胸がないからだ」

 ワタシは実はファッションがとっても好きなんですが、お店に売ってあるような服でいいと思ったことは殆ど一度も無いし、ファッション雑誌みたいなのでいいなと思うこともほぼ無い、だからワタシの服はめっちゃダサいです、ダサいというかただ単に安いだけの服です。本当にワタシが着たいような服はどこにも売ってないし、自分で作るには高すぎるから。自分が好きな服を着ることは諦めました。



 でもモード系の雑誌やファッションショーを見ると、うわーいいなぁ、と思うことはかなりあります。でもまちなかでそんなエッジの聞いたかっこをしてるやつは皆無か、原宿という治外法権エリアのみですねw あれもちょっとモードとは違う、原宿コスプレみたいな感じですよね、アキバコスプレも、それでも全員同じユニクロみたいなのよりは死ぬほど良いですよね。


 日本ってのはほんとルックスに関してはクソみたいに保守的な国です、まぁイスラムとかよりはマシだろうけども・・・イヤ、個性的であるって点では向こうのほうがマシかも・・・
 ワタシはずっっっっっっと思ってるんですけど、学校では髪を染めちゃダメ、とか言ってる時点で国際交流とかグローバリズムなんか出来るわけねーだろ、アホかよって思います。リクルートにはリクルートスーツ、そんなことやってる時点で、海外の文化を理解しようとする気が実は全然ないし、ココロの底ではアメリカ人をバカだと思ってるし、同じアジア人を見下してるのを知ってます。それなのにおもてなしとかほざいてるのがすごくキライです、ほんとは海外の人間なんて受け入れたくないけどカネが欲しいだけだろこのクズどもってワタシは至極思う、オリンピックなんて中止になればいいのに。日本人の本質は村八分の鎖国主義で、ずっとそれは変わってない、確信を持っていえます。ただそれよりも尚、ゼニのほうが好きだってだけです。
 なんて散々暴言を吐いてみむw







 Money is the cheapest thing
Freedom and Liberty is the most expensive

 Avoid the traps of Rich


 ビルは大金をもらうのを断ります、リッチになると良くないから。それだけでもこの老人が一流の写真家だってことがわかりますね。それがアーティストだと思います。ワタシはなんにせよお金持ちの言うことは聞かないし信用しないことにしてます。



また1980年台に日本のデザイナーが現れたことについての話しが面白いです。川久保玲(コム・デ・ギャルソンのデザイナー)のBag Womanというデザインは、NYのホームレス、ゴミ袋をカラダに巻きつけている女性からヒントを得ていて、そのシルエット、は中世のリヴァイヴァルのようだったという話。へー!

 

2010 ロシアの歴史【下】 19世紀後半から現代まで ロシア教科書

  ロシアの歴史教科書  明石出版

 レヴュー
これはいい本です、2013年のベスト暫定1位です。まだ2月ですけどw
 他の国が日本をどう見ているかがわかる、というのは(この各国の教科書シリーズの趣旨なんでしょうけど)別にどうでもよくて(アメリカの犬だと思われてるでしょう)、ロシアが自分の歴史をどう考えてるか、が興味深いところです、というのは、ロシアはソ連ではないから。ロシア自身のソ連への公式見解が歴史教科書に書かれてるわけです。
 一番驚いたのはロシア政府は中学生や高校生にもろに革命について教えてるのだなということですね。
 課題 君は大革命時の赤軍が正しかったかどうかを考えて、自分の態度を決してください。

まじか?って感じですよね、そんな15そこそこのガキにボルシェヴィズムとメンシェヴィキの正しさを評価して自分の態度を決めるなんてことを求めるの?一体どういうテストがあるんでしょうか。
 
革命は必ず流血を伴わないといけないので、スターリンのテルールは評価出来る、反対派の抑制が、国家の統一には必ず必要で、どの先進国にもテルールが行われている、アウグストゥス、フランス大革命、クロムウェル、アメリカの現地民虐殺、むしろ大量殺戮、ジェノサイド、民族浄化が国内のイデオロギーを統一、近代化させることに貢献し、より大きな災厄、戦争での敗北を防いでくれる、とかそういうことを書けばいいのでしょうか?なんにせよ、ロシア政府は教育でバカを生み出すという方針をとってないのですね。
 アメリカにしろ日本にしろEUにしろ歴史教育は、いわゆる中道左派的、無責任な上っ面だけの倫理と道徳を吹き込むものです。世界の人は協力するべし、平和が大事、でも石油を自分の国家のものとするなど自由資本主義の帝国支配に抵抗する中東のカス、テロリストどもは一掃すべしっていう。G5イデオロギーを教えるものです。彼らにとって教育は政治的に無能で、金儲け主義の質のいいサラリーマンを養成するものだから・・・
 またこの本のよいところは、帝国主義への批判も鋭いということです、アメリカ、イギリスへの批判もコテンパンにしております。資本主義国家は、工業化の資金を植民地からの略奪、侵略戦争による賠償金、不平等条約の押し付けによる利益、教会からの資産没収などで成し遂げた、ロシアはそれをなしで自国内で工業化をしなければならなかった。と。
 これは現在の新興国が直面してる問題のそれです、産業の発展には、最初になんらかの裏ワザ的な膨大な資金が必要なわけです、西洋からの借款を受ければ、彼らの植民地になり、どんなに稼いでも金がウォール街に流れるようになってしまう、共産主義圏からの援助も無い、侵略するべき土地もない。だからソ連のように自分の国内に植民地を建設しないといけない、独裁権力を築き、国民から搾取して、資本を蓄積し軍事産業複合体を作ってそこから産業を展開する、核兵器による交渉によって借款でない資金を手に入れる・・・インテリ気取りや自由主義者は近視的にそれを批判するけれども、それ以外の近代化の方法という代替案を持ってはいない。

・スターリニズムについて。これもテーマの1つです。G5的にはスターリン=ヒトラーと同じような悪の親玉、のような扱いですけれど、スターリンはそんなに簡単ではない。スターリンは英雄です、靴屋の息子だし、グルジア人だし、何度も投獄、脱獄を繰り返した、生粋の闘士。チャーチルは大貴族の息子、ローズヴェルトはチャーチルの遠縁で、これも大金持ちの息子(大統領になった人物のいる家系だし)、レーニンも貴族で学校の校長の息子。などなど、結局権力者というのは、名家の生まれなものと比べると際立ってスターリンは実力でのし上がってきた人間だとわかります。ちなみにヒトラーは没落貴族の絵描き崩れ。逆な言い方をすれば、生まれが悪い人間が権力を手に入れる方法は独裁しかないということでもあります。いかに民主主義、ってものは機能しないかということの証左でもありますけれど。(権力者が能力じゃなくて出自(資本)で決まるから)
 スターリンは粛清を繰り返し、反対者を全員死刑にした、というのがおそらくスターリンの悪としてのイメージの源泉ですけど、スターリンの目標ってのはスターリン自身がちゃんと語ってくれてます
 「ロシアの進歩を止めてはならない、力と可能性を信じよ、立ち遅れたものは打ち負かされる、ロシアのよくないところは打ち負かされたことだ、我々は二度と打ち負かされるのを望まない」
 ともかくそれです、もう二度と!敗戦はゴメンだ、スターリンの真実はそこにしかないと思います。彼は現実主義者だから、結局うわっつらだけの人気取りをしたところで、ロシアはすぐに帝国の食い物にされることを知っていた、だから何があっても帝国と、ファシストとに、勝たなければと、それだけを信念にしてあらゆる手を下したとしか思えない。結果それを成し遂げた。だからスターリンを簡単に悪党にすることは出来ない。スターリンは大人しくて、自他的な人間であったというのも、あながち嘘ではないのかもしれません。
 乙は倫理ってのを範囲で考えるようにしてます、自分だけのことしか考えないやつ、自分と自分の恋人だけのやつ、自分と自分の家族、共同体、民族、国家、人類・・・っていうふうに。もちろん広いほうが倫理は高い。いまの政治家、政治的主張を持たないで自分の小銭のために政治をする人間、これは倫理的には最低ランクです、資本主義のブルジョア、インテリも。
 そう考えるとヒトラーはやっぱり自分だけの事を考える人間ではなかった、民族の事を考えた、スターリンは連邦の事を考えたからもうひとつ上、マルクスは人類を考えたからもうひとつ、と、いうわけです。現行の資本主義世界では、ほとんどの人はヒトラーやスターリンよりも倫理に乏しいといえるし、だから悪をなすにもチンケな悪しか出来ない、スケールの小さいくだらない人間ばっかりだなって感じがします。とくに君が好きだの嫌いだのっていうラブソングばっかがお店とかで流れてるとそう思う、なんか世界が狭っ・・って感じがする。半径50Mの世界で生きてる感じがする。

・19世紀ロシア文学が好きな人にもオススメです、ドストエフスキーがネチャーエフ事件をどう考えたか、なんでシベリア送りになったか、なんで保守化したかなどが手に取るようにわかります。だからやっぱ乙は悪霊が一番好きですけどね。罪と罰は面白すぎるし?カラマーゾフはひよってる。白痴は主観主義すぎる、未成年はこれは謎が多すぎる・・・

・資本主義化したあとの文化の定式化が秀逸でした
創造の自由⇔文化インフラの予算の削減(ソ連は文化に融資をしていた)
検閲の廃止⇔スポンサー、消費者に依存する文化
文化の国際化⇔文化レベルの一般的な急激な低下、俗悪化(ポルノ、暴力に集中)
宗教の復活→市場主義のモラルを補完するもの?カルト化しやすい

 


 まとめ
・「革命かは破滅の運命を背負った人間である、革命家には個人的関心、仕事、感情、執心、財産、名前さえない、革命家の一切は例外な1つの関心、ひとつの思い、ひとつの激情、すなわち革命に支配されている」
 ネチャーエフ「革命家のカテキズム」→内部ゲヴァルトにより、反対派を全員でリンチ死刑にする事件を起こす
・「目的は手段を正当化するという人間は自分を神よりも高く置く、そして生殺与奪権を自分に与える」 ドストエフスキー
・移動派 神話やファンタジーよりも、現実の生活を描く、アカデミーを離れて移動展覧会を開く
※ 権力とは正義、のことである。権力の放棄は、正義の放棄である。芸術家は20世紀、新しい芸術と唱えて権力をすべて放棄して現実との接点を無くした、アートは自分を無力化した。そしてアートは力を失った。権力を放棄するということは社会における正義を放棄するということです
※他の人が悪をするということで正義を成さないひとは、常に正義を成さない
・生産手段を国有化すべし(私有財産の保護という人権宣言の書き換え)
・武力革命路線を採用したのがボリシェヴィキ(レーニン)、改革・修正派がメンシェヴィキ
・日露戦はアメリカ、イギリスの陰謀によってけしかけられた、日本は明治維新以来ずっとアメリカとイギリスにいいように使われただけである。
・帝国主義戦争を内戦による革命に転嫁することが唯一の正しいプロレタリアのスローガンである  レーニンの敗戦主義
※国家の財政をポピュリズムでボロボロにしてデフォルトさせることで混乱に乗じて革命を起こす、財政崩壊主義路線の革命が可能では?
「これは何か?愚行なのか、裏切りなのか」 ミリュコフ
・「ロシアには世界革命戦争を行う能力がない」 レーニンによる世界革命の放棄、マルクスは世界革命が成されなければならないとしていた。事実、ほとんどの理論は世界革命がなされなければ成立しない、共産主義、はまだ人類史にはあらわれていない、世界革命がなされていないから。
・大革命期にソ連は債権のすべての踏み倒し、銀行口座、金の没収、土地、企業の国有化をした。相続権も廃止した。
※金融資産を分散すれば安心という、証券会社の嘘。国家は暴力で簡単にゴールドを没収できる。
・大革命の飢餓の原因 貨幣がデフォルト状態だったので農民が食料供給を拒否、大規模な飢饉へ、レーニンはこれを教会財産を没収する好機ととらえた。
「人間が人間を食べている、これは教会のすべての権限を没収する好機である」
→飢饉は驚くべきことではなく常に発生していたもの、内戦の飢餓で500万人ほどが死んだ。
・ラーゲリ 収容所の事
「銃剣でもって思想と戦うことは出来ない、思想には思想で戦わなくては、将兵たちはそれを永遠に理解しない」 サヴィコフ 
・「共産党宣言には全世界を闘いとらないといけないと書いてある」 ブハーリン
・「スターリンは粗暴すぎる、いつかもっと忍耐強い人間の交代させるべきだ」
レーニンのスターリン評(しかしレーニンはスターリンを後継者にした)
・スターリンは一国社会主義、永久革命論のトロツキーと対立。追放。世界革命に基づく、共産主義のマルクステーゼ完全放棄
・30sの農村の集団化コルホーズにより、2000万人ほどの飢饉、それにもかかわらず食料は輸出されて外貨獲得へ。第一次五カ年計画に基づく、重化学工業を優先した国内植民地化経済成長。粛清、大テルール、矯正労働収容所、民族同化、文化革命、共産党史の神話化。社会主義リアリズム(ありのままの現実ではなくて、社会主義の理想を描くことがリアルであり、真実である)
「五カ年計画を四年で!」
・「人事権を掌握したものが組織を支配する」 スターリン
・社会を安定化させるために、国民を無知にしておくのは短気的には正しいが、国民が愚劣になることにより、国家の運営が成り立たなくなる。言論統制は、多くの愚劣なでくのぼうを生み出す、独裁者は常に、なんで無能な部下しかいないのかと嘆くが、独裁は必ず愚劣な部下を生むのである。
・41.6  大祖国戦争 第二次大戦というのは70%以上はほぼナチス対ソ連の闘いで、フランスなど大陸ヨーロッパはあっというまに蹴散らされてしまうし、イギリスもすぐに無力化されている、アメリカは実際は戦争の態勢が決してから協力しただけで、ノルマンディーがなくてもソ連の勝利はほぼ決定していた。太平洋戦争も、日中戦争の後の日本の暴走の後始末のようなものである。
 モスクワ防衛戦(バルバロッサ作戦)、レニングラード攻防戦、スターリングラード戦、クールスク戦(ナチスはタイガー、パンサーの新型戦車を導入、しかし遅すぎた)、スターリングラード反撃戦(コードネーム、ウラン)
 45.4.30 ベルリン制圧 ヒトラー自殺
45.9.2  日本降伏 ソ連の死者は3000万ほどで圧倒的
 戦後、スターリンは社会主義を強化、再粛正
「共産主義の発展により、国家は無くなる」というマルクス共産主義の否定。
・45年にはアメリカとイギリスはソ連に196個の核ミサイル攻撃作戦を作成していた。
※日本が核攻撃をされた最大の理由は、日本が核ミサイルを持っていなかったため。
・52~ 帝国と戦うのではなく、帝国の内部の紛争お起こさせるという方針変換 スターリン
・53.3.5 スターリン死亡
・91 ソ連崩壊 7年で二度のデフォルト、国債の支払い停止

市場文化の課題
創造の自由⇔文化インフラの予算の削減(ソ連は文化に融資をしていた)
検閲の廃止⇔スポンサー、消費者に依存する文化
文化の国際化⇔文化レベルの一般的な急激な低下、俗悪化
宗教の復活→市場主義のモラルを補完するもの?カルト化しやすい
 
 

2009 KINGDOM HEARTS 358/2d

KHシリーズのぉ・・四作目?かな。KHシリーズナンバリングがややこしぃですし時系列にもなってないので、もしゃもしゃします、でもIは全部やってます。KHシリーズは結構ゲーミス(♀ゲーマーのこと)人気があるみたいですね。358はFFとは一切関係なくなっちゃいましたね、FFのキャラほぼ1人も登場せず、っていうかほぼKHオリジナルキャラのみで構成されております。というかディズニーのキャラもほぼ登場してません、オリジナルキャラのみでほぼ進行。



KHシリーズ新しく始める人に言っておくと、時系列にやると


KH1→KH COM→KH 358→ KH2

の順番にやるとストーリーを時系列で追えます。けど358とかは後付やん、っていう設定がたくさんありますので発売順にやるのが普通かもしれません。




DSのゲームなので3Dはものすごいローポリに抑えられていますが、ボリュームはかなりあって、なかなか歯ごたえあります。KHシリーズ、敵が単調、ってのが弱点だったのですが、今回敵がボタン連打だけでは勝てなくなっております。っていうかキーブレードの攻撃力がめっちゃ低いので魔法がかなり重要になりました。しかも属性弱点がすごいので魔法をちゃんと揃えていかないと全然勝てないってことになりがちです。しかれども終盤になるにつれて魔法は一切効かないので魔法デッキでは勝てませぬ。



 武器はたくさんあるのですが、結局空中戦がメインなので使うのは数本・・、それで武器の性能が表示されないのでどれを使えばいいのかがすげーわかりずらいっす。これはちょっとバランスの悪いところですね。もっとそれぞれ使い道があったほうが良かったです、あと最後は約束・・・になってしまうのですがすげー使いづらい。二刀流ももっと早く解放して~・・・って思います、普通にクリアするだけだと二刀流は2分くらいしか使えません。

あとロクサスだけじゃなくて他のキャラも操作さしてくれやーーってすごい思います。特にジグバールみたいなロングレンジの武器超強え・・・。



 ストーリーはシリーズをやってない人には一切意味不明なので間違っても358から手を出すのは辞めたほうがいいと思います。そいでストーリーがややぬるっとしてる気がする、トモダチだろ?とか親友じゃねぇか。みたいな、なにこの感じ・・・、この感じ、の正体はボーイズラブのノリを拝借してるわけですわね。ゲーミスが多いのでそこをつかむためにもBL系のチューニングをされておるのでしょう。たぶんもしかしたら、シナリオに♀が加わってる可能性大ですね。だいたい♀ってのは♂をそーーーーとーーー美化して描く傾向にありますので。♂が♀を美化するってのはちょっと違ってて、エロく書いてしまうか、その人の性的トラウマが丸出しになってしまう感じです、だからゲイとかバイとかビアンみたいな、どっちの気持ちもわかるっていう人がシナリオライターには適しているのです、Iはそう思いますね。それもその人は結構モテて、恋愛経験豊富ってほうがいい。ブスでヲタクってのはやっぱ作家には向かないです。想像だけで書いてしまって、なんか気色わるいことになるから。新海誠とか気色悪いストーリーの書く典型ですね、そーとーモテなかったんだろうな・・ってかわいそうになる。
 エロ本なら別にその気色悪さが変態に刺さるからいいのですけど、みんなに受け入れてもらおうっていう万人向けのものなら、やっぱバランス感覚があって経験もたくさんある人のほうがいい。アーティストにセクシャルマイノリティが多いのはそういうわけでもあると思います。



 一体何の話・・?w  それにしてもやっぱKHシリーズはよく出来てます、いい仕事してやがる。チームが機能してるんだなって感じ、優秀ですわ・・・。自由に戦えるのがやっぱいいですよね、ターン制のRPGとかだとだいたい勝ち方なんて一種類ですけど、KHはドッジロールでゴロゴロ転がって戦ってもいいし、ガードのタイミング合わせて戦ってもいいし、エアダッシュで飛び回ってもいい。リミットブレイクでいっつもすれすれで勝つってやり方もできるし。それに退屈なレベル上げも必要ないし、真っ直ぐに適度に歯ごたえありつつ進んでいけるバランスもグッド。
 それと携帯ゲームってこともあって、妙に映像美にこだわりすぎてないところもいいですよね、このぐらいのクオリティのほうが逆にストーリーに集中出来る。ゴリゴリのフル3DCGってなんか内容が入ってこないですもの。なんかHQな動画ほどスキップしたくなるのですよね。



 ちょっとだけここも悪いなぁって思うところはXlll機関のキャラデザインがちょっと適当すぎんじゃねぇかって気がします、キャラも弱い。なんとなく13っていう数を最初に出して、後から埋めていったって感じがしますね、最初から思い入れのあるキャラじゃなくて。キャラクターっていうやつはクリエイターの思いを吸って大きくなるものですので、どうもザルディンとか、シグバールやっつけ感がぱねぇ。サイクスももうちょっとかっこ良くしないとヒールとして存在感が薄い・・・・。あと女の子キャラ、カイリ、シオン、ナミネ、全員顔同じ・・・髪の色だけじゃんって気がする。しゃべり方も個性がにゃい。
 まぁキャラ立ちが悪いのは、全員同じ黒のローブで、コスチュームで個性が出せないからってのもありますね。

1999 elegant universe

 還元主義とカオス主義

・SS によってすべての基本の構成要素がわかりさえすれば、それ以後の構造がすべてわかるはずだ、というのを還元主義と言う。
 つまり、0と1さえわかればそれ以後の数はすべて理解できるという発想。
SSによって、ヒトの記憶や感情を100%再現可能だ、とする考え方。
 還元主義者=reducitionist
*海里はreduterに近い、ヒトがredを拒否したがるのは、精神がもっと複雑であってほしいという感傷がそうさせているだけだから。

 それと違う立場は カオス理論派、アリストテレス派で、などで、系の複雑さは、その構成要素の足し算+αであって、世界は数字のような単純な足し算ではないとする考え方。系が複雑さを増すと、要素以外のカオス要素が発生する・・・

*おそらく意識、に関してはそうだ・・・X、K同意。キヲク、情報がイシキ、へアッサンブラージュされるときに、足し算ではない処理が行われる。

・ブラックホールの近くでは時空の歪みにより時間の進みが遅い、そこにしばらくとどまると何年もワープすることができる

・ブラックホールを予測するシュヴァルツシルト解を解いたシュヴァルツシルトは戦争で病に倒れて、解を見つけた数カ月後に死んだ

・ブラックホールへ落下するものは光速に加速しその加速されたXRAYが外に飛び出すのでブラックホールの輪郭は光って見える

「quantum physics を理解している人間などこの世にいない」
                 ――FEYNMAN

量子とは、単位ということ、単位が無いと。
Σ(xn) で無限小でもnが無限になるので答えが無限になる
Σ(xk) とKを定数にすることで無限を避けられる

・速く動いているものほど時間が遅れて見える

・物質は時空の中を光速で進んでいる、加速運動はその時空を進む運動力を他の次元へと交換していると考えられる、よって加速度運動をすると時空を進む速度は遅くなるのである、空間を光速で進めば、時空の速度は0になり、時間は止まる。よって光は時空を動かない、永遠に年をとらずに0のままである。


・広島原爆はウラン1KGほどの威力。

・E=mc2 により、物体は加速してエネルギーが大きくなると重くなる

・QUANTUMによる最小の単位とかんがえられるのは
 プランク定数であり
1.05 X 10(-27) gcm2/s
(hに線をひいたエイチバーで書かれる)


・光は粒子であり波動でもある。
 FEYNMANの経路積分では、光子の動きはその取りうるすべての動きの総和である。0秒ですべての場所に存在してから、最短経路を選択して、その和が光子の動きとなる。


・何も無い、真空の中では常に、プランク時間内でミライとカコの貸し借りがあるようにエネルギーが無から生まれては、打ち消し合っている、何も無い、というものは存在しない。

・ヒッグス粒子は、スタンダードモデルの数値のパラメータの1つにすぎず、なぜそうなのかという理論的枠組を提供しない。
 スタンダードモデルは、実験による数値測定だけで作られていて、なぜ?素粒子はこういうものなのか?というのを一切説明出来ない。

・SSはオイラーのベータ関数によって記述される

・Super symmetry
 最後に発見されたSym、非可換幾何におけるSymである。Mに非常に重要。
SSymを取り入れた String theory が Super string theory である

・Super Partner 
SSによって導かれる、1/2スピンの対が存在するという予想、しかし高エネルギー体なので測定は難しい

・STRONG 、WEAK、EMGは距離によって伝わり方が違うだけで、プランクスケールでは同じチカラ 統一力となる。

・クライン・カルーザ空間
 空間は巻き込まれた形でプランクスケール以下に高次元が存在するという考え方。高次元宇宙の原理

・カラビ・ヤウ 空間
 高次元を表現することが出来る空間言語。

・科学の探索法として常に摂動法 (perturbation)が用いられてきた、それは
≒10
≒10.27
≒10.2827
 というふうに少しづつ精度を上げていく方法
 これはどこまでいっても数値代入による近似でしかない。
近似ではSSのような微小スケールではすぐに狂ってしまう。

 それに変わる方法として双対法(duality)が使われるようになった。
これは物理的に同値な違う系に変形させてもとの計算不可能な系の答えを出すもの。系を変形させることは、空間が破れて、コニフィールド転移することでKY空間が変形出来るので物理的意味を持つ。

・量子論では点粒子、空間を持たない粒子が想定されているので極小では無限になってしまう、SSはそれをプランクスケールまでで止める、ビッグバンですから無の点からではなくて、プランクスケールの塊、から始まったと考える。

 つまり宇宙はBBから始まったのではなく、それ以前がある、ということになる。空間と時間はBBと共に生まれたというBB仮説はとれない。
 M0理論はプレBBのセカイを探るもの。また宇宙がいくつも存在しうるということにもなる、その宇宙の種の塊が1つである必要がないので。

 BBモデル、あるいはスタンダード宇宙モデルは、初期の速度が遅く測定結果と異なっていた、それが修正されて、宇宙は最初のほんのわずかの時間に急激に膨張し、一気に速度が下がる、インフレーションモデルに修正された、M宇宙論モデルはそれにさらに修正を加えるもの。
 *インフレーションモデルでは宇宙は光より速く膨張する、宇宙の中では光より速く動くことは出来ないが、宇宙の外では、宇宙自体は光より速く進むことが出来る。


・ブラックホールは1つの巨大な素粒子のように振る舞う・・

・相転移
 温度の変化で急激に系の対称性が壊れる(エントロピーが増える)ことを相転移という、たとえば温度0でいきなり水が氷に変わる。相転移は突然起こるのでカオスエフェクトである。
 統一力がS-WーEMGに別れるのも相転移の1つ。宇宙という系ものその熱と空間で相転移を起こす。


・人間原理
 人間が生存できる奇跡の星地球、のようにそれはただ単にそれに会わせるように人間が進化しただけで、視点を変えれば当然であるということ。

1990 劇画ヒットラー 水木しげる

水木しげるって実は妖怪モノよりも、こつこつこういう歴史物を書いておりますね。昭和史(ねずみ男の)、戦争もの、などなど、まぁ死、というか向こう側のセカイの匂いがするようなものばかりなんですが。 
 ただ明るい話なんて書いても作品になりませんからね~、明らかに写真を起こして描いてるシーンがあるのですけど、あれどうやってんですかね?優秀なアシスタントがいるのか、まさかコピー機を駆使して、全近代的手法なのかw 90年にはフォトショとかないし。

 けど、奇特な猟奇趣味の作家というわけではなくて水木さんはバランスがとれてると思うのですよね、手塚治虫みたいに、人間はバカ。っていう諦念決めつけ路線でもないし、といって平和が一番、平和が大事みたいなアグネス・チャンみたいなヒステリー平和主義者でもない。そこがやっぱ実際に戦争に参加して片腕持ってかれてる、本当、の戦争世代の視点なんでしょう。他のやつらはすべからく、勘でしゃべってるだけですから。

 ほんとに、最後の、1人ですよね、戦争現役世代の。宮﨑駿よりも18も年上なんですね、実は手塚よりも年上です、手塚も戦争には行ってないというわけで、今91才・・91才!! まじかよ。

 前にも書いた記憶がありますけどあるドキュメントで、しげる氏はハナクソをほじって最後にそれを掘り当てたのですが、それをひょうと食べて、塩分補給。と言ってました。ほーーーーーぅ!wそれができるのは今では日本に1人だけじゃないですか、テレビ番組で。


 ヒトラーものは大好きなIですが、これはよく出来てるなぁという気がします、特にやっぱヒトラーの貧乏時代をちゃんと描くところが良い、浮浪者ヒトラーからフューラーヒトラーへ。こんな魅力的な人物は他にいない。

 やばいヤツと思われるのを覚悟でいいますけど、20世紀で一番偉大な人物はヒトラーだし、一番21世紀的な人間もまたヒトラーだと思いますね。Iはナチ党員じゃないですけどw

 なんでそこまでヒトラーが魅力的かというと、ヒトラーはたぶん一番ワタシタチに似ている、他のだれでもなく、自分たち、ワーキングクラスで、安定した未来なんて描けない自分たちに一番似ている。矛盾してて、愚かで空想癖、夢見がちで、自己中、美しいものを愛していて、誰かを好きになったらおいおいとその死を悲しむ、残虐なことをしながら、本当に正しいこと、偉大なことをしたいとも願ってる、ヒトラーは狂人でも天才でもない、超人でももちろん無い。普通のニンゲンです。矛盾と迷いと弱さを抱えた、普通のニンゲンなんです、だから普通のニンゲンのココロ打つ、狂気をマジシャンのように演出できる、超越的天才なんかではないんです。



 セカイの圧倒的大多数の人々、つまり夢破れてカネも無い落伍者達、の本当の夢はヒトラーになることです、権力者は当然それを目の敵にするのですけど・・・・・ともかくAHは最もニンゲンらしいヒトだとIは思いますね・・・

1986 赤瀬川 マンガの歴史

忍者武芸帳 
カムイ伝
   白土三平

 白土三平と反権力エネルギー・・安保精神がみなぎっとると言われる



 ・・むかしの若者にはアメリカ支配を覆してやろうという闘争心を持っていた。
それが古き善き時代といわれる所以で、今は敵がいない。
いないというよりそれは見えないもので、見えないというより敵は分散して自分自身の中にも
入り込んでいるので若者が闘争しようとしても自虐的にならざるを得ない



白土三平が中心のGARO、手塚治虫中心のCOM、同人漫画雑誌のような2つの雑誌が青年向け雑誌の走りであった

前衛芸術はいくところまでいってしまって間が抜けた、それを突き抜けたところにマンガが現れた。
特につげ義春

 GAROの作家
滝田ゆう
林静一
佐々木マキ

マンガ自体が好きなわけではなく、面白いマンガ家の作品が面白いだけ。
 企業マンガが面白くない、会社の業績の為に線をひいてるのが見える。それはテレビと同じで平均点以上に面白くしてはいけない。
暇つぶしのためのメディアで、暇が無い人には向かない。

 ヤクザ映画というのは安保闘争がなし崩しに経済成長に切り崩されて、行き場のない闘争心のセンチメンタリズムとして始まった。

1986 ZZガンダム

ファーストガンダムが最初は失敗だったけど口コミで火が付いてブームとなり、Zが作られたわけですが、Zは軍の内戦、という子供にはたぶん理解しずらいテーマでしたので、は??っていう感じになった子が当時多かったんだと思いますね。ティターンズは軍のエリートだが軍の中で独善的に走っていく、もちろん日本帝国の海軍エリートの感じそのままなんですが、まぁちょっとむっかしいっちゃむっかしいですよね。でもファーストとくらべてZは作画が圧倒的に綺麗になって、見るに楽しい画作りになりました。思うにガンダムの作画はZの頃が一番出来が良かったとIは思います。別に全部見てないけどw でもSEEDとか作画ひでぇって思いましたもの。というか目が大きい萌え系の作画になってしまったのでね。


 ZZはその反動なのか、コメディタッチというかちょっとガキ向けであり、それに人気が出ちゃったから次々シリーズを作らないといけないってのもあったのでしょうか、脚本が練りきれてない、出たトコ勝負って感じがすげぇする。それでもところどころいいシーンはあるんですけど、全体としてムチャクチャや~。ッて感じがすごいします。それとジュドーっていう主人公がややネアカなのもちょっとガンダムっぽくない。主人公がネアカだと物語もネアカになってしまう、これ物語の鉄の掟。主人公は超ネアカなのにシリアスな物語ってのを思いつかないでしょう?逆もしかり、主人公は超クールで面白いこと言わないギャグ漫画ってのもあまりない。アムロやカミーユのように主人公が、やったるぜー!タイプの兜甲児的熱血漢じゃないところが、ガンダムの色、だったのにこりゃあイカンです。




 仮面ライダーアマゾン、ウルトラタロウ、と同じでかなりファンが離れていった作品じゃと思います、こっからガンダムの迷走がしばらく始まるわけですね。しかしやっぱシリーズ三作目ってのは魔の三作目でして、3ってのはほぼ失敗しますよ。2は失敗するって言われるけど、本当に失敗するのは3、そして特に4、だとIは思います。続編が失敗する理由は、第一作目ってのは製作期間が実は作家としては10年とかかかってるわけです、それまでの人生、みたいなのを全部ぶっこめるから。荒削りだけど処女作が面白いのはそういうわけ。それまでの20年、くらいが入ってるのですもん。けど2は10年単位じゃなく2年くらいで1と同じ厚みを出さないといかん、こりゃ作家としてどれだけ内容があるかってのが問われるわけですが、まぁムリでしょうね。あのドストエフスキーですら第二作目の分身では大失敗してんですから。

 3、ってのは変化、がテーマです、起承転結、の転、ですからね。デヴィット・ボウイみたいに、路線をガラっと変えてまったく新しいものに変えることが出来るかどうか。今までのファンを裏切って、批判覚悟でどれだけ転回、いわわゆる飛ばす、ことが出来るかがポイントです。跳躍力。一番悪いのは無難にまとめようとすること。しかし跳躍して悪い方に飛んでしまうと大怪我では済まない、爆死ってことにもなりかねん。

 FFだけは4,そして5が名作なんですよね。というかFFは6まではノーミスでどんどん進歩してった、こりゃすごいことです。DQは確かに全部それほど失敗ではないけどなにせ遅すぎです。7の頃にはDQのゲームシステム自体時代遅れになってた気がしますね、内容云々よりも。


 ともかくなんか、むちゃくちゃやー・・。っていう感じがすごい残りますねZZ。 最後の方になってくると戦術や技術云々じゃなくて、精神力勝負になるのはいつものこってす、気合だけで武器が増えたり、エネルギーが増えたりする。なんでやーー・・・。ニュータイプだからって物理法則を無視出来るんですね。ツッコミ出したらほんとキリが無いんですが、特にハマーンのキャラ設定が弱いっていうか何がしたいのかわからん、この敵だけでもわかりやすいしっかりした構図にすればもっとすとんとまとめられるのに。
 ともかく全体的にふわふわしてるのですね、ジュドーも何がしたいのかわかんない、ほぼ物語の70%くらいは妹のリィナを助けるんだ!って暴走してんですけど、なんでそこまでリィナにこだわるのかも謎。Iが個人的に兄妹ものってのがキライなのかもしれませんね、兄妹とか肉親が仲良いってのはぞんぞんします、きしょくわる~~・・。血にとらわれるな!ってグレミーにジュドーは最後に言うのですが、妹!妹!って散々シスコンやってきたのは誰・・・。



 でも最近になってもクィン・マンサのフィギュアが新しく発売されてたりしますから、ファンは根強くいるんでしょうね。スパロボやってる人にとってはクィン・マンサは鬱陶しい敵のファンネラーなので嫌でも記憶に残ります、強化人間にしか使えないはずなのに・・・。


 いやガンダムシリーズ今でもしつこくやってるのはほんとある意味すごいですね。誰が見てるんだろうか?おっさんが見てるのか、新しい子供のファンが見てるのか?今のガキはガンダムとか見て面白いんですかねーー?